目覚めてからの一週間はあっと言うまに過ぎ去り。 マリーは廊下の窓から、試験の開放感から校庭に出て行く生徒たちを穏やかな眼差しで見つめていた。 「マリー?」 立ち止まった自分に気づき怪訝そうな顔で振り返ったスネイプに、「あぁ」と応えてマリーはスネイプの隣に並んだ。 「今も昔も、試験が終わった後の生徒たちは変わらないね」 スネイプはその話題をつまらなそうに鼻で笑った。 「スネイプ教授」 後ろから呼び止める声に、二人は振り返った。 「少し、よろしいでしょうか……」 二人分の大人の視線を浴びて若干緊張している様子のマルフォイが、伺うようにマリーに視線を向けた。 話しづらいころか、と納得したマリーは「先に部屋に行ってる」とスネイプに断りを入れて、先に地下に向かう廊下を進み始めた。 マルフォイがスネイプへと話す声を背中に聞きながら、マリーは地下に向かう階段を降りて行く。 窓のない地下は昼間でも随分薄暗い、明かりをもう少し増やせないものかとそんなことを考えているうちに。いつの間にか二人の声は聞こえなくなり。廊下にはマリーの足音だけが残る。 「ガブリエル・マリー・カウンシル」 不意に、名前を呼ばた。 その声に振り返った先にあった闇に、マリーは目を見開いた。 「おいで」 歪められた口元には、狂気が浮かんでいた。 マルフォイと別れ、ドアを開けて「まったく」と溜息混じり続けようとした言葉は、ひっそりとした部屋の静けさの前に霧散した。 「マリー?」 人の気配のない部屋に、先に着いている筈のマリーの姿がないことにスネイプは眉をひそめた。 「何処へ……部屋に戻ったのか?」 そう呟いた声は、一人の部屋に答える人もなく消えた。 特別約束があったわけではない、ただ彼女が『先に行っている』と言っていただけで、それは自室のことだったのかもしれない。だが、言い知れぬ不安がスネイプにじわりと忍び寄る。 スネイプはローブを翻し、隣室の彼女の部屋に向かうために足を踏み出した。 バタンと少し大きな音を立ててドアがしまった後、部屋には不気味なほどの静寂が纏わり付いた。 部屋を出て、隣のマリーの部屋のドアをノックする。 数度叩いてみたが、反応がないため少しの逡巡の後でスネイプは杖を抜いた。アロホモーラ、と呪文を囁いてドアノブを回す。 押し入った部屋は、しんと静まり返り人の気配がない。 「マリー? いないのか、マリー」と声をかけながら部屋を見渡し、続く寝室のドアも「開けるぞ」と念のため口にしながら開けてみたが彼女の姿はどこにもなかった。 寝室のドアを閉めなおし、スネイプは無言のままマリーの部屋を出た。 薄暗い廊下の奥の暗がりに視線を向けて、この先にはスリザリンの寮しかないことを考える。そしてその反対、自分がつい先ほどやって来たばかりの廊下だ。 「……」 スネイプは自分の部屋に戻りデスクの前まで戻ると、懐に入れていた小さな鍵をとりだした。 金色の小さくシンプルなその鍵を、1番上の引き出しの鍵穴に挿しこんで回す。カチリと、金属が同士がぶつかる音がして錠が外れた引き出しを開けると、そこには様々な重要な書類の1番上に、紫紺の紙で包まれた小包が鎮座していた。 スネイプは、それをそっと丁寧な手つきで取り出した。 『何かあった時、私自らがこれをダンブルドア先生に届けられない状況に陥ったら、君がこれを先生に届けてくれ』 じわじわと神経を焦がす嫌な感覚に、スネイプは顔を顰る。 有り得ないと思う反面で、スネイプはそれを大事に懐にしまっていた。 スネイプは引き出しに鍵を閉めなおすと、大股で部屋を後にした。 ・・・ 「ダンブルドア先生は、留守の間のことは彼女に任せると言っていました……」 姿を消したマリーのことを相談したところ、マクゴナガルはそう少し青ざめた顔で言った。 夕食時になっても、マリーの居所は掴めなかったため、スネイプはマクゴナガルとも相談した上でダンブルドアにフクロウ便を送り。生徒たちを寮へと戻してから教師陣と学校中を探し回ったものの、その足取りはやはりスネイプと別れたところで途絶えていた。 深夜に近づき、廊下の十字路に四方から集まった教師陣は焦りと困惑を浮かべた表情で顔を付き合わせた。 「何処にもいませんわ」 「こっちもです」 「一体、マリーは何処にいってしまったんでしょう……」 人目を憚るようにひそひそと声を潜めて話す教師たちの言葉に、スネイプは顔を顰た。 「ダンブルドア先生がいない時に……」 そう落ち着きなく言って、爪を噛んだのはマクゴナガルだった。 「誰にも何も言わずに学校の敷地内からマリーがでるとは思えない……。もう一度、校内を見て周りましよう」 スネイプは乱れた感情をあらわにせぬように、抑えた声で言うと教師陣は頷き合いまた四方に散っていった。 スネイプとマクゴナガルも続くように歩き出そうとしたが、その場に立ち止まりあたりを見渡しているハグリッドに二人は怪訝そうな顔をした。 「どうしたんです、ハグリッド?」 少し怒ったような険しい顔で去っていく教師陣の背中を睨むように見送っていたハグリッドは、マクゴナガルを振り返って「いえねぇ」と不満そうな声を漏らす。 「この大変な時に、あのクィレル教授は何をやってるんだと思いましてね。 あいつめ、マリーが心配じゃないのか」 「──そう言えば、クィレル教授の姿も見えませんね」 憤慨したように鼻息荒く言うハグリッドの言葉に、スネイプは弾かれた様に走り出した。 「スネイプ教授?!」 マクゴナガルの困惑に満ちた声に応える事なく、スネイプは放たれた矢のような早さで、四階を目指した。 何故気付かなかったと、スネイプは自分への苛立ちに奥歯を軋むほどに噛み締めた。 クィレルにあれだけの注意を払っていて、重要な時に活かせなければなんの意味もないのだ。 (くそっ………!) 何度か足を縺れさせながらスネイプは走った。 クィレルがもし石を守るための罠をくぐり抜ける術を、どうしても得ることが出来なかった場合、マリーの《言霊》を狙うであろう可能性を考えていないわけではなかった。 しかし、クィレルごときが彼女を上回る想定は、スネイプの中では全くなかったと言っていい。 しかしそれは、マリーとクィレルの“一対一”での話であり──例えば、ユニコーンの血を得て復活しかけているヴォルデモートが絡んでくれば、その想定は破綻する。 (私は大馬鹿者だ!どうしてあんな話を聞いた後に、マリーを一人にした…!) 心中に渦巻く自責の念にスネイプは顔を歪めた。 (マリー……!) スネイプはたどり着いた例の扉の前に立つと、乱れきった息を整えるように深呼吸を数回すると、鍵の開け扉をゆっくりと開いた。 途端に唸り出す3つの頭を持つ怪物に、スネイプは何の躊躇いもなく杖を突き付けた。 「先を急ぐ、邪魔をするな」 その表情は恐ろしく冷たく、暗い瞳をしていた。 ・・・ 真っ暗な、何もない広い空間に、マリーは鉛の様に重く感じる体をぴくりとも動かせずに横たえていた。 瞬きさえ忘れたような瞳で、果ての見えない闇を見つめ続けた。 マリーはこの空間に覚えがあった。自分を呼ぶ声が鳴き声が一番近くなったときに、行き着く空間。 そこには必ず、奴がいた──。 『気分はどうだ、ガブリエル・マリー・カウンシル』 「……ヴォルデモート」 足音という概念がこの空間にあるかは定かではないが、ヴォルデモートは音もなく横たわるマリーの傍に立った。 まるで闇と同化しているように黒いローブから、覗く白い顔と赤い瞳がまるで闇に浮かぶようにこちらを見下ろす。 膝をついて顔を寄せ、動く唇が触れるんじゃないかというほどに距離をつめて男は笑った。 『気分はどうだ?』 「口の中が鉄臭い……、私に何をした?」 『酷く抵抗するから、私のしもべが数回殴ったな』 「成る程」 感情無くぼんやりと話すマリーに、ヴォルデモートはくつくつと喉を震わせた。 『感情をそこまで殺すか。まったくつまらない女になったな』 「貴様に好かれるぐらいなら、心など1つ残らず殺してやる」 『馬鹿な女だ』 ローブの裾から現れた骨と皮だけのような不気味な手がするりと頬を撫ぜた。 そのゾッとするような冷たさに僅かに眉をひそめると、ヴォルデモートはさらに愉快そうに笑った。 『もうすぐわしは《賢者の石》を手にする──そうしたら、お前もわしは手にすることが出来る……ようやくな』 頬を撫ぜた指が眼帯の下に潜り込み、その下に隠された傷をねっとりとなぞる。 その不快さにマリーは顔を歪め、それから不遜に笑って見せた。 「簡単に手に入れられると思うなよ、ヴォルデモート」 ヴォルデモートが僅かに怪訝の色をその赤い瞳にちらつかせた。 「貴様らには、石を見つける事は出来ない──そういう呪いを私はかけておいた。 そして、石は誰が手にするのかさえも。私は呪いかけた」 『マリー、貴様……』 忌々しげに顔を顰めたヴォルデモートとは対照的に、穏やかな表情でマリーは瞼を伏せた。 「貴様の好きには、させない」 『無駄だ、無駄だ、貴様がわしから逃げる事は出来ん…!』 白い手がマリーの細い首を掴み、締めあげた。しかし、マリーはむしろ愉快そう笑う。 『ガブリエル・マリー・カウンシル!』 「悪いな。まだ、そこへは堕ちるわけにはいかない」 『───……』 開いた瞼からあらわになった瞳に宿る感情に、ヴォルデモートは顔を歪め、絞めていた指を離した。 また床に投げ出されたマリーに一瞥をやると、ヴォルデモートはローブを翻す。 『諦めはせん、いつかいつかお前を我が物にする──…』 その声が遠ざかるとともに、マリーもまたこの空間から離れていく感覚を感じて瞼を閉じた。 そして、ゆっくりと開いた瞼にうつったのは、見覚えがない薄暗い部屋と、鏡を調べるクィレルの後ろ姿。 冷たい石床に横たわったままマリーは、ただぼんやりと現実を見つめていた。