十月に入ると、学校は湿った冷たさに包み込まれ。 生徒だけでなく教員たちの間でも、急に風邪が流行しだして大忙しだった。 風邪などここ十数年ひいたことのないマリーは、隣でパーシーに校医特製「元気爆発薬」を飲まされ赤毛の下から煙をあげているジニーが心配になって、「大丈夫?」と声をかけたが、返事をするジニーはどこか心非ずだった。 ここ最近、顔色の優れないジニーに、マリーは眉を下げた。 薬のおかげで風邪を吹き飛ばしたジニーを呼ぶ声がして、マリーは「じゃあ」と軽く手を振ってジニーと別れた。 同学年で同室のジニーとは仲が良いが、ジニーは明るい子だったので沢山の友達がいたし、マリーは定期的に“彼”の部屋を訪ねるので、ずっと二人でいるわけではない。 立場や理由は様々だが、マリーはふと、昔の親友と呼べる女性との付き合いと似てるなとぼんやり思った。 廊下から見た窓の外は、ローブの前をたぐって寒さに身を縮こまりながら中庭を歩く生徒たちが見えた。 今日は午後の授業はない、マリーは寮に戻り読み掛けの本でも読むか、と止めていた足を進めた。 「カウンシル!」 背後から自分を呼び止めた声に聞き覚えがあり振り返る。 「ミスター・マルフォイ、何か?」 「あ、いや……あの」 珍しく一人のマルフォイに首を傾げると、彼は血色の悪い頬を少しだけ赤く染めて口ごもった。 マリーは重さでずり落ちそうな鞄を持ち直しながら、少し高い位置にあるマルフォイの顔を目だけで見上げた。 よくよく見ると、クィディッチのクニフォームを着ていた。 「……クディッチの選手に?」 「あ、あぁ! シーカーに決まった」 「おめでとう、父上もお喜びでしょう」 とは言いつつ、彼の父親のご機嫌そうな顔を想像して抱いた不愉快にマリーはわずかに眉間に力が入る。 しかしそれはあまりに微かな変化であり、マルフォイが気付くことはなかった。 「そ、それで……君の叔母上に、それを伝えて欲しいのだが……」 「自分ですれば良いのに。 叔母は暇をしているだろうから、手紙をくれれば喜ぶかと」 「本当か……?」 「元教え子からの手紙だ、喜ばない筈がない」 そうか、と小さく呟いてマルフォイは微かに表情に喜色を浮かべた。 「その、君は──」 「マリー!」 何か言いかけたマルフォイの言葉を遮るように、マルフォイの後ろからハリーが大きな声で名を呼んだ。 マルフォイはそれに忌ま忌まし気に小さく舌打ちすると、「またな」と呟いてハリーとは反対方向に歩いていってしまった。 その背中を見送ってから、駆け寄ってくる三人に視線を戻した。 「マルフォイと何してたの?!」 確実に何か厭味でも言われたのだろう、と目を吊り上げさせたハーマイオニーを宥めながら「大したことは」と返す。 「シーカーになった事報告したかったんだって、私に。 いや“叔母”にかな」 「親の金で入ったくせに、自慢になるかよ」 忌々しげに顔を歪めたロンに、やっぱりと思いながらも責めつもりはない。 今も昔もスリザリンは、そういうところは変わらない。 「姉も、だったな」 ポツリと呟いた声に、ロンが目を瞬かせた。 「? 何?」 「いや……なんでも。 ところで、なにかあったのハリー?」 表情が暗いハリーにそう尋ねれば、微かに彼の肩が震えた。 「立ち話もなんだ……談話室に行こうか」 そう言って歩き出したマリーの後ろを、三人は慌てて追いかけた。 ローブの翻し方といい、仕草が“大人”の時とまるで変わらない。 中身は変わらないのだと、彼女の正体を知る三人にははっきりとわかった。 「マリーは、子供だけど中身は変わらないわね」 肩をすくめてそう言ったハーマイオニーに、マリーは喉を震わせた。 「可愛いげがないっていうんだろ? 昔からなのに、マクゴナガル教授は直せと言う。 私にとってそれは。スネイプ教授を大爆笑させる程に難しい」 「それって、無理ってこと?」 太った婦人の前に立ちながら、ちらりと三人を振り返った碧瞳は愉快そうに細められていた。 「懐かしい表情ね。でもやめたほうがいいわ、マリー」 「太った婦人の言う通りだよ」 苦笑まじりの太った婦人と呆れたようなハリーの声に、マリーは肩を竦めた。 「『ミミダレミツスイ』 太った婦人は、可愛い子供の味方なんだね?」 「貴女も、今は可愛い子供でしょ」 「そう、だった」 クスクスと笑う太った婦人の肖像画の穴を抜けて、丸い談話室に入ったがそこにはちょうど生徒の姿はなかった。 「で、何かあったようだね。 ドビーがまた来た、とか?」 談話室のソファに座りながら、話を切り出したマリーにハリーは目を見開いた。 「ドビーを知ってるの?!」 「家にも来たんだ。 『ポッターをホグワーツに戻さないために手助けしてほしい』と言ってね。 もちろん、頷いてないよ」 腰を浮かしたハリーを制するように言って、マリーは額に手を当てながら「話は聞いている」と呟いた。 「親戚の家での話も、休み中におこった事全て」 ハリーはホッとした表情で、ソファに座り話し始めた。 「……ドビーじゃないと思うんだ、あの声」 「声?」 怪訝そうに目を細めたマリーに、ハリーはロックハートの部屋で聞いた声の事を説明した。 「君にだけ聞こえる、声……か」 「何の声なんだろう。不気味で、氷のように冷たい声……」 「まだ、ヒントが足りないな」 こめかみに手をあて、考えるそぶりで碧瞳を細めるマリーは唸るように呟いた。 「……わかった、こちらも調べてみる。 また、声が聞こえたら教えてくれ」 「うん、わかった」 そう言って立ち上がったマリーは、こきりと首を鳴らした。 「声、ね」 ふと触れた右目の瞼が少し引き攣ったような気がした。 ・・・ ハロウィンの浮かれた雰囲気に似合わない沈黙に、マリーは眉を潜め目の前にいる人の壁を掻き分け中心に進んだ。 後ろでジニーが引き止めるように名を呼んだ気がしたが気にしている暇はなかった。 「継承者の敵よ、気をつけよ! 次はお前達の番だぞ、『穢れた血』め!」 沈黙を裂くように叫んだマルフォイの声に、ちょうど最前列をようやく掻き分けたマリーは目を見開いた。 前に進み出て三人の目の前に立つマルフォイの表情は、“あの男”によく似ていた。 そして、壁に塗り付けられた文字を見て、マリーは疼いた傷が浮き出る前に押さえた。 ──秘密の部屋は開かれたり 継承者の敵よ、気をつけよ── 「……開いたのか」 呟いた言葉に、追い付いたジニーが背後で震えた気がした。 「なんだ、なんだ? 何事だ?」 マルフォイの大声に引き寄せられたに違いない、フィルチが肩で人込みを押し分けてやって来た。 そして、ミセス・ノリスの変わり果てた姿を見た途端、フィルチは恐怖のあまり手で顔を覆い、よろよろと数歩後退りした。 「私の猫だ! ミセス・ノリスに何が起こったというんだ?」 金切り声で叫んだフィルチが、見開いた目でハリー達を見た瞬間「お前だな!」と続けざまに叫んだ。 「お前だ!お前が私の猫を殺したんだ!」 「フィルチさん、落ち着いて下さい!」 今にもハリーに掴みかからんばかりのフィルチに、マリーは慌てて彼の腰にしがみついて押さえ込んだ。 それでも興奮したフィルチは止まらず、マリーをずりずり引きずりながら、血走った目をハリーに向け、腕を伸ばし叫ぶ。 「あの子を殺したのはお前だ! 俺がお前を殺してやる! 俺が……」 「アーガス!」 ダンブルドアの声に、フィルチの動きはようやく止まった。 ダンブルドアがスネイプ達を従えて現場に到着した。 ちらりとこちらに向けられたダンブルドアの視線に、マリーは慌てて隠すように右目を手で覆った。 ダンブルドアは、ミセス・ノリスを松明の腕木から外して、下ろした。 「アーガス、一緒に来なさい。 ポッター、ウィーズリー、グレンジャー、君達もおいで。 ──あぁ、カウンシルも、アーガスが暴れないようにそのまま着いて来てくれるかのう」 ダンブルドアの呼びかけにそれに頷きながら、腰にしがみついていた手を離し泣き出したフィルチの腕をとって、歩き出したダンブルドアの後に続いた。 ロックハートがいそいそと進み出た。 「校長先生、私の部屋が一番近いです──すぐ上です──どうぞご自由に」 「ありがとう、ギルデロイ」 人垣が無言のままパッと左右に割れて、一行を通した。 ロックハートは得意げに、興奮した面持ちで、せかせかとダンブルドアとマリーに支えられたフィルチの後に従い、その後をマクゴナガルとスネイプそして三人が続いた。 明かりの消えていたロックハートの部屋に、部屋の主が蝋燭を灯し、明るくなった視界にマリーは頭が痛くなる思いがした。 沢山飾られた数多くの写真は予想通りと言えば、予想通りだ。 ダンブルドアがミセス・ノリスを磨き立てられた机に置き調べ始めた。 マリーはそのすぐそばの椅子にフィルチを座らせ、涙を拭うようにとハンカチを渡した。 ハリー達三人は緊張した面持ちで目を交わし、蝋燭の灯りが届かないところでぐったりと椅子に座り込み、じっと猫を調べるダンブルドアとマクゴナガルを見つめている。 マリーは、ミセス・ノリスをまともに見ることが出来ず、手で顔を覆いしゃくりを上げるフィルチの背中を宥めるように摩ってあげた。 ふと、ダンブルドア達のその後ろに半分影の中に立っているスネイプが、なんとも奇妙な表情をしていることに気付き、僅かに頬を引き攣らせた。 スネイプのそれはまるで、ニヤリ笑いを必死で噛み殺しているようだった。 (この男は………) まだ、ミセス・ノリスの事で笑いを堪えているわけではないのがまだましではないというか。 おそらく、ハリーを退学に持ち込めに値する材料を目の前に喜んでいるのであろう。 ロックハートがいるため、未だ右目を押さえ込んだままマリーは深い溜め息を吐いた。 そのロックハートと言えば、みんなの周りをうろうろしながら、あれやこれやと意見を述べていたが、誰の耳にも素通りしているようだ。 ダンブルドアが、ようやく体を起こし、しゃくりあげるフィルチに優しく言った。 「アーガス、猫は死んでおらんよ」 「……死んでない?」 フィルチが声を詰まらせ、指の間からミセス・ノリスを覗き見た。 「それじゃ、どうしてこんなに──こんなに固まって、冷たくなって?」 「石に、なってるんですね」 そう言ったマリーに、ダンブルドアがうむと頷いた。 「ただし、どうしてそうなったのか、わしには答えられん……」 「あいつに聞いてくれ!」 フィルチは涙で汚れ、まだらに赤くなった顔でハリーの方を見た。 「二年生に、こんなことが出来るはずがない。 最も高度な闇の魔術をもってして初めて………」 「あいつがやったんだ、あいつだ!」 顔を真っ赤にしてフィルチは吐き出すように言った。 「あいつな壁に書いた文字を読んだでしょう! あいつはみたんだ、私の事務室で、あいつは知ってるんだ。 私が……私が……」 フィルチの顔が苦しげに歪んだ。 「私が、出来損ないの“スクイブ”だって知ってるんだ!」 「ぼ、僕! ミセス・ノリスに指一本触れていません! それに…僕、“スクイブ”がなんなのかも知りません!」 このままでは自分の意見など無視で、フィルチの言葉が通りそうだとハリーは慌てて弁解を口にした。 「馬鹿な! あいつはクイックスペルから来た手紙を見やがった!」 『アーガスさん、落ち着いて下さい』 仕方がなく使った《言霊》に、ようやく体の力が抜けたようにフィルチは椅子に座り込んだ。 マリーの正体を唯一知らないロックハート以外は、そのことに気付いたようだが誰も何も言わなかった。 「校長、一言よろしいですかな」 影の中からスネイプの声がして、不吉感を感じる。 ハリーも同じように顔を強張らせているので、その予感は間違いないのだろう。 「ポッターもその仲間も、単に間が悪くその場に居合わせただけかもしれませんな」 (思ってもない事を……) 自分では全くそうは思わないとばかりに、スネイプは口元を微かに歪めて冷笑していた。 「とはいえ、一連の疑わしい状況が存在します。 だいたい連中はなぜ三階の廊下にいたのか? なぜ三人はハロウィンのパーティーにいなかったのか」 ハリー達は一斉に“絶命日パーティー”に行っていた事を説明し始めた。 「それでは、そのあとパーティーに来なかったのは何故かね?」 スネイプの暗い目が、蝋燭の灯りでギラリと輝いた。 「なぜ、あそこの廊下にいったのかね?」 ロンとハーマイオニーがハリーを見たので、なんとなく理由がわかった。 (また、あの声か) 聞こえない声、近くにいたマリーにも聞こえなかったが、傷は疼いた。 原因の大元は奴だと、この傷は訴えていた。 「校長、これではポッターが真っ正直に話しているとは言えないですな」 自身の思考に耽っている間に話が進んでいたらしい。 ハリーは、声についてはごまかしたようだった。 「全てを正直に話してくれる気になるまで、彼の権利を一部取り上げるのがよろしいかと存じます。 私としては……彼が告白するまで、グリフィンドールのクィディッチ・チームから外すのが適当かと思いますが」 「そうお思いですか、セブルス」 マクゴナガルが鋭く切り込んだ。 「私には、この子がクィディッチをするのを止める理由が見当たりませんね。 この猫は箒の柄で頭をぶたれたわけでもありません。 ポッターがしたという証拠は何一つないのですよ 」 マクゴナガルの言い分を小さく頷きながら聞き、ダンブルドアはハリーに探るような目を向けた。 「疑わしきは罰せずじゃよ、セブルス」 きっぱりと言ったダンブルドアに、スネイプと飼い主のフィルチはひどく憤慨した。 「私の猫が石にされたんだ! 刑罰を受けさせなけりゃ収まらん!」 叫ぶフィルチや、不機嫌をもろに出すスネイプ、そして自分達を取り囲む煩わしい程の写真、疼く傷にマリーの神経は限界まで擦り減っていた。 「誰か落ち着いて、自分の利など考えない節度ある話し合いを、この場では出来ないのですか?」 酷く覚めた冷たい声に、部屋の熱くなっていた空気が一気に冷めた。 「マリー……君は少し熱くなった方がいいのう」 ダンブルドアの呟きに、誰も心の中で頷いた。 頭に上った血が下がっていく中で、徐々にマリーの苛立ちが感じられその血がどんどん下がる思いがする。 こえーと、隣のロンがほとんど声になるかならないかの呟きをもらしていた。 「とにかく、アーガス。君の猫は治してあげられますぞ」 ダンブルドアの穏やかな声は、酷くその空気には合わないように思えた。 「スプラウト先生が、最近やっとマンドレイクを手に入れられてな。 十分に成長したら、すぐにもミセス・ノリスを蘇生させる薬を作らせましょうぞ」 「私がそれをお作りしましょう」 ロックハートが突然口を挟んで来た。 「私は何百回作ったかわからないぐらいですよ。 『マンドレイク回復薬』なんて、眠っていたって作れます」 「お伺いしますがね」 ニコニコと話すロックハートに、スネイプが冷たく言った。 「この学校では、私が“魔法薬”の教授のはずだが」 先ほどよりも酷い、とても気まずい沈黙が流れた。 「帰ってよろしい」 ダンブルドアがハリー達三人に言った。 言われなかったマリーをちらりと見たハリーに、マリーは気にするなと言わんばかりに、ひらりと手を振った。 それに頷き、部屋を後にした三人を見送った後。 パタンと閉じた扉の音と同時に、マリーは《言霊》を発した。 バタンとひっくり帰ったのはロックハートだった。 「荒れとるのぉ」 「……そう思うなら、労って下さい」 愉快そうに言うダンブルドアに、マリーは思わず顔をしかめた。 倒れているロックハートを跨いで、ミセス・ノリスが置かれた机の前へと近く。 「……死んだか」 「寝てるだけだよ」 スネイプのそのほうがいいのにと言わんばかりの声色に、マリーは呆れたように返してミセス・ノリスに触れた。 冷たく固い、石になったミセス・ノリス。 「……どう考えますか」 「“秘密の部屋”の事かの?」 ダンブルドアの問いに、マリーは「まさしく」と答えながら碧瞳を細め探るようにミセス・ノリスを見めていた。 「しかし、部屋などいくら探しても出てこなかったのですよ?」 「開ける人間を選んでいるとして………その人間があらわれた」 「ハリー・ポッターか?」 スネイプの問い掛けに、マリーはいいや、と呟いた。 「彼じゃない──奴だ」 疼く傷がそう、訴えている。 頬が引き攣る感じがして手のひらで触れる。 感情の高ぶりに合わせて傷また浮き出てきたようだ、それを隠すよう掌で覆ってから振り返る。 「では、私は寮に戻ります」 「気がすんだかね?」 「えぇ、ヒントは頂きました」 「ヒント……?」 怪訝そうなスネイプの言葉には答えず、机から離れ前髪で右目あたりを隠すように撫ぜてから、扉に向かって歩き始めた。 「ロックハート教授はご心配なく。 この扉が閉まった音で目を覚ましますから」 おやすみなさい、と言って部屋を出る。 パタンと閉じられた扉の音に、ぴったりとロックハートは瞼を開けた。 「あれ?私は何を?」 「──疲れておるのじゃろう。今日は早く寝るといい、ギルデロイ」 不思議そうな顔をするロックハートに、ダンブルドアはそう穏やかに笑って肩を叩いた。 「……誰にも聞こえない声が聞こえるのは、狂気の始まり、か」 誰もいない廊下でそう呟いたマリーの声は闇に溶けて消えた。