「材料はどうする?」 湿ってシミだらけの『最も強力な魔法薬』の本を覗き込みながら、そう押し殺した声でハリーは言った。 立て篭もった“歎きのマートル”の故障中のトイレの中で三人は顔を突き合わせている。 「ハーマイオニー、どんなに色々盗まなきゃならないか、わかってる?」 ロンが恐れ慄いた声でささやく。 「毒ツルヘビの皮の千切りなんて、生徒用の棚には絶対にあるずないし。 そうすると、スネイプの個人用の保管倉庫に盗みに入るの? うまくいかないような気がするけど……」 ハーマイオニーが本をピシャッと閉じて男たちを睨んだ。 「二人とも、怖じけづいて、やめるっていうなら結構よ。 でも──もしかしたら、スネイプよりも安全に材料を手に入れられるかもしれないって言ったら、どうする?」 「また、ロックハートを騙すのか?」 呆れたように目を細めたロンに、ハーマイオニーは「違うわ」とぴしゃりと言った。 「私達の身近に、魔法薬に精通する方をお忘れ?」 ハーマイオニーの頬は興奮のためか赤みがさし、目はいつもよりキラキラしている。 顔を見合わせたハリーとロンは「あっ!」と声をあげた。 「ガブリエル・マリー・カウンシル元魔法薬教授助手!」 「そう言うこと」 「二角獣の角の粉末と、毒ツルヘビの皮の千切り? 何……君達はポリジュース薬でも作る気なの?」 夜の談話室で謎の本──おそらく『禁書』指定の本であろうそれを、胡座の上に乗せて堂々と読んでいたマリーは軽く目を見開くと、さして驚いた様子もなくそう言った。 「反対、します……?」 「いや、減点覚悟でやるならいいんじゃないか。いい経験だろ。 ただ、よく作り方が載ってる《禁書》を、二年生の君達が借りられたね」 相変わらずの無感動な調子で聞かれ、脱力しながらもその経緯を説明すると、なるほどねと言って小さく苦笑した。 「あれしかいなかった、ていうのは本当だったんだね……。 それで? いつまで用意しとけばいい?」 「出来れば早めに……難しいですかね」 「確か、私の鞄に……いや」 「どうしました?」 微かに渋い顔をしたマリーに、ハリーが首を傾げた。 「大丈夫だ。 早めに用意しておこう、揃ったらハーマイオニーに」 「よろしく、お願いします」 「うん、ハリーは明日試合だろ早く寝た方がいい」 「あ、はい」 「頑張って、ね」 目を細めて微笑んだマリーに、ハリーは大きな返事をして、三人は口々に「おやすみなさい」と言うとマリーと別れ部屋に向かう螺旋階段を昇っていった。 「マリー、なんか難しい事でもあったのかな?」 後ろを振り返りながらそう呟いたロンに、先程のマリーの反応を思い出してハリーは曖昧に頷いた。確かにどこ煮え切らないところがあった気がする。 「マリーが、大丈夫っていうなら大丈夫よ。 ハリーは、明日の試合に頭を切り替えてね」 「わかった」 「おやすみなさい」 「あぁ、おやすみ」 女子の塔へと入っていったハーマイオニーと別れ、二人はもうルームメイトが寝静まった部屋に入った。 声が聞こえなくなった談話室で、三人が消えた上を見上げてマリーは頬をかいた。 「彼と共同で材料を使うようになった、とは言いにくいな……流石に」 はぁと、溜め息を吐くとマリーは本を閉じた。 『私はマジックだ』 その《言霊》により《禁書》は装飾の派手なその本に姿を変える。 目眩しの完成度を確かめてから、「よし」と呟くとマリーはそれを小脇に抱えて談話室を後にした。 ・・・ 甲高い笛の音とともに、鉛色の空に飛翔した真紅と深碧の姿を見上げ。 マリーは白くなり始めた息を吐き出した。 「始まったか……」 近づいてくる気配にマリーは、空から視線を外し振り返った。 目の前にいるその小柄な姿は、彼女が待っていた存在であった。 「次はどんな手を使うつもりだ──ドビー?」 細められた碧瞳に、小さな体がびくりと震えたのがわかった。 後ろから大きな歓声を聞きながら、向かい合う二人の間に沈黙が保たれる。 「……ハリー・ポッターは学校に戻って来てしまった」 打ちひしがれたように呟くドビーに、なんの感情もなくマリーは「そうだね」と答えた。 「ハリーが望んだ事、外野の警告など意味はないのだよ」 「あぁ! それでは、ハリー・ポッターは安全ではありません!」 激しく頭を振るドビーに、マリーは頬をかいた。 ドビーが自分と同じようにハリーを守りたいのだというのはわかったが、自分とは──どことなく放任的な自分とは違い、ドビーの考えは極端だ。 危ういな、と小さく呟いたマリーの言葉はドビーには聞こえていない。 雨が降り出す。激しい雨で、大粒の雨が二人を濡らしていく。 ドビーが身に纏うボロに、大きな丸いしみが増えて濡れていくのをぼんやりと見ながら、マリーは重さを増した髪をうっとおしげにかき上げる。 雨音に負けない歓声がまだ耳に届いていた。 「ハリー・ポッターはどうしても家に帰らなければならない。 ドビーめは考えました」 「考えた……?」 瞬きを忘れたように見開かれたドビーの視線はマリーを見ておらず、その視線を辿り振り返った先の様子にマリーは眉を潜めた。 選手に向かって飛び回るブラッジャーが、怪しい動きをしている。 目を細めて確認したその選手の姿は、ハリーとそれを守って飛び回っているのはウィーズリーの双子だ。 「なんだ?」 呟いたマリーの声に、ドビーは悲しげな声色で呟いた。 「ドビーめは考えました──ドビーのブラッジャーで、そうさせるとこが出来ると」 「君“の”、ブラッジャーだって?」 幾分冷たさを帯びたマリーの声に、ドビーはびくりとまた体を震わした。 「何を考えてるんだ? ハリーに怪我を負わせる気か」 「どうか怒らないで、カウンシル家の血筋のお方。 これはハリー・ポッターの命をお助けするためです!」 ドビーは小さな拳を握って声を大きくした。 「ここに留まるより、大怪我をして家に送り返される方が良いのでございます!」 苛々と振り返った先で、ハリーの頭ぎりぎりを飛ぶブラッジャーを睨んだ。 懐に手をつっで杖を抜きさり、呪文を飛ばすとあやしい動きをしていたブラッジャーはハリーと反対方向に飛んだ。 杖を空に向けたままのマリーに、ドビーが泣き縋った。 「ドビーめの我が儘をお許し下さい! ハリー・ポッターのためなのです!」 「君が言うハリーの為には、賛成出来ない」 きっぱりと言ったマリーに、ドビーは悲しそうな顔をした。 「ならば……!」 「!」 バーンと大きな音がしてマリーの体が後ろに吹っ飛んだ。 突然の事になんの受け身が取れなかったマリーは、木の幹に背中を軋むほどにぶつけた。 「………っ!!」 白む視界と、息の詰まる苦しさに激しく咳き込む。 痛みで軋む身を強張らせながら睨みあげたドビーは、伸ばしかけた手を不安げにさ迷わせた後で「申し訳ありません」と震えた声で呟いた。 悲鳴が上がり振り返った先で、ハリーが地面へと向かって降下していくところだった。 杖を途中で離してしまった為に、相殺させる呪文が途切れ自由になったブラッジャーがハリーを襲ったのだろう。 歯を食いしばって体を起こそうとしたマリーは、背中の激痛にまた地に手をついた。 背中の骨はどこかおかしくなったのだろうか、マリーは雨とともに流れる冷や汗に口の端を歪めた。 「どうか、ご理解くださいませ!」 ドビーはそう涙声で叫ぶように言うと、パチッと大きな音ともに消えた。 ばしゃりと泥水が跳ねる。 動かない体を横たえながら、マリーは重くなる意識を必死で堪えながら、無意識に彼の名前を呟いていた。 意識は闇に落ちていった。 試合後。 折れたポッターの骨どころか、腕の骨三十三本を抜き取ったロックハートの理解不能な言い訳を聞き流しながら、試合前から姿が見えないマリーを捜す。 煩わしいほどのロックハートの身振り手ぶりを横目で睨みながら、城に戻っていく生徒の中にその姿はない。 (一体、何があったというのだ……) ポッターを追い掛けていたブラッジャーが一瞬だけ見せた正常な動き。 あの時確かに彼女が魔法を使ったのを感じた。 しかし、そのあとすぐに途切れた魔法に不安が積もる。 相変わらず、ダンブルドアに似て、思うところをなかなか口にださない癖は治してもらわなければこちらの心臓にかなり悪い。 思わず速くなる足に、隣を歩いていたロックハートは呼び止めるような声をあげたが、反応する気にもなれずそのまま無視して足早に城内へと戻った。 姿を捜すにはこの城は広すぎる。 無事の確認だけでも、梟を飛ばそうと地下の研究室兼私室を目指す。 まだ生徒一人戻っていない人気のない地下をほぼ走るように通りすぎ、鍵のかけていた扉を開け放った先に思わず目を見開いた。 「おかえり……ハニー」 力無くひらりと泥だらけの手を振ったマリーは、びしょ濡れてぺったりと頬に髪をへばり付かせ、無理に笑おうと口の端を歪めた成りそこなった微妙な表情をしていた。 精一杯な強がりのジョークに、眉根を寄せて暖炉の前に横たわるマリーの傍に膝をつく。 頬に張り付いた髪をよけてやりながら、どこかぼんやりとしている双眸を覗き込む。 「何があった?」 「ちょっとね……邪魔が……。 ハリーは…? ハリーは、無事だったか?」 「あのいかれたブラッジャーに骨折だけで済んだものを。 どこぞの阿呆が骨を抜いてしまったのでな、医務室行きだ」 そうかと、吐き出す息に紛れて呟くと、マリーは気怠げに目を伏せた。 「顔色が悪いな……? 体調が──まさか、また呪いが?」 「いや、ちょっと。 しこたま背中を木にぶつけて、ね……折れたかも」 「馬鹿者! それを早く言え!」 懐から杖を出し呪文とともに軽く振ると、痛みが消えたのかマリーはほっと息を吐いた。 ついでに濡れた服を乾かしてやり、手の泥汚れを拭くようにとタオルを押し付けた。 「悪いね……痛くてなかなか《言霊》のかかりが悪くて。 一人じゃなんともできなかったんだ」 ふらつく体を起こしたマリーを支えソファーまで誘導すると、紅茶を呼びだす。 柔らかいソファーに瞼を閉じて深く座り込むマリーを、紅茶を入れながら横目で見やる。 疲れ、だけでなく微かなささくれ立った空気のマリーに目を細めた。 「──セブルス」 「あぁ」 「面倒だな、これは」 深い溜め息混じりのマリーの声に、何がだと紅茶の入ったカップを渡しながら視線で問うと、「うん」と曖昧に唸った。 紅茶を一口飲んで、眉を潜める。 そして、カップをこちらに差しだしながら「砂糖」と手短な要求がなされる。 忘れていたと、角砂糖を入れてやると、うんと満足そうに頷いた。 「問題点が変わって来た」 もう紅茶のせいでないだろうに、顔を微かに顰ながら呟いたマリーに、スネイプが顔を顰めた。 「意味がわからん」 「まだ、わからなくていい。 私もまだはっきりはわかってないから」 はっきりとしたような、どこかぼんやりとしたマリーの発言に混乱してきた。 「はっきりするのは、そう時間がかからないだろうけど」 「何の話だ、ポッターの事か? それとも秘密の部屋についてか?」 「どっちも、かな……」 碧瞳がちろりとスネイプを見上げた。 「まだ、ヒントが足りないんだよ」 「……お前は、言葉が足りなさすぎる。 私には何もヒントがないではないか」 不機嫌そうなスネイプの表情に、マリーは微かに目を見開いた後、頬を緩めて微笑んだ。 「私の考えが読めないとは修業が足りませんね、スネイプ教授」 軽いからかい口調のマリーに肩を竦めてから、身を屈め彼女の耳元に意地悪い声で囁く。 「真実薬を飲ませてもいいと言うのなら、話は簡単なのだがな、ミス・カウンシル」 「薬を使うのは反則だよ、セブ──」 そう言ってすぐ傍に寄せてあった頬に触れるだけの軽いキスをされ、甘さを含んだ苦笑を浮かべた。 「なら、キスも反則だ」 重ねた唇の隙間で、マリーが小さく笑った気がした。 ごまかされているのはわかっていて、ごまかされてしまう自分は随分と丸くなってしまったものだと自嘲する。