夜八時、大広間には多くの生徒たちが集まっていた。 食事用の長いテーブルが取り払われ、広くなった大広間の奥に金色の舞台が見えている。 ハリーたち三人は、生徒の群れの中に割り込みながら進んでいるうちに、ふと見慣れた顔を見つけて手を振った。 「マリー!」 呼ぶ声に彼女が振り返る。 「あぁ、君達も来てたんだ」 「役に立つかも、と思って」 「スリザリンの怪物に? 怪物に役に立つかはわからないけど、教える相手があれでは役に立つか怪しいな」 そう苦く口元を歪めたマリーに、ハリーが「まさか」と続けようとして、結局でたのは呻き声だった。 生徒たちの歓声に押され、ロックハートが舞台に登場して来たのだから、仕方がない反応である。 「マリー、知っててよく来たね」 男を毛嫌いしているのを知っているロンは幾らか関心した声色でそう言った。 「だって。助手が“アレ”なら、見なきゃ損だろ」 愉快そうに喉を鳴らすマリーに首を傾げたが、きらびやかな深紫のローブを纏い舞台を歩くロックハートの後ろから、続いて舞台に上がってきた人物にハリー達は納得半分驚愕した。 それは誰であろう、スネイプだったからだ。 「面白い見物になるな」 マリーの声は笑み混じりだった。 ロックハートは観衆に手を振り、「静粛に!」と呼び掛けた。 「ダンブルドア校長先生から、私がこの小さな“決闘クラブ”を始めるお許しをいただきました。 私自身が、数え切れないほど経験してきたように。 自らを守る必要が生じた場合に備えて、みなさんをしっかり鍛え上げるためにです──詳しくは、私の著書を読んでください」 ロックハートは満面の笑みで、隣に立つスネイプを指した。 「では、助手のスネイプ先生をご紹介しましよう。 スネイプ先生がおっしゃるには、決闘についてごくわずかご存知らしい」 ごくわずか、とオウム返しに繰り返してマリーは忍び笑いを漏らした。 悪戯仕掛け人という悪童どもとやったあれそれが“ごくわずか”だとしたら、たいていの人間の決闘知識など豆粒ほどもないのではなかろうか。 「訓練を始めるにあたり。 短い模範演技をするのに、勇敢にも手伝って下さるご了承をいただきました」 「私からすれば、勇敢なのはあの男だな」 「そうだね……」 ひどく愉快そうなマリーにハリーは頷きながら、スネイプは今まで見たことのない表情をしていて、ロックハートはよく笑っていられるなと思った。 スネイプがあんな表情で自分を見ていたら、回れ右をして全速力でスネイプの前から逃げるだろうに。 「さてさて、お若い皆さんにご心配をおかけはしたくはありません。 私が彼と手合わせした後でも、皆さんの魔法薬の先生は、ちゃんと存在します。 ご心配めさるな!」 「相討ちで、両方やられちまえばいいと思わないか?」 ロンがハリーの耳元で囁いたが、隣にいたマリーとハーマイオニーにも聞こえていたらしく。 しかし、婚約者であるマリーは相変わらず笑ったまま「相討ちになれる呪文をやつが知っていたらな」と言った。 ハリーはおそらく、あんな恐ろしいスネイプの前で笑ってられるのは、ロックハートと別な意味で、ダンブルドアとマリーぐらいだろうなと思った。 ロックハートはスネイプと向き合って一礼をした。 模範演技が始まったらしい。 少なくともロックハートの方は、腕を振り上げくねくね回しながら体の前に持ってきて、大袈裟な一礼をしたが、スネイプは不機嫌にぐいと頭を下げただけだった。 それから二人とも杖を剣のように前に突き出して構えた。 「ご覧のように、私達は作法に従って杖を構えています」 ロックハートは観衆に向かって決闘の説明を始める。 「三つ数えて、最初の術をかけます。 もちろん、どちらも相手を殺すつもりはありません」 「僕にはそう思えないけど」 「私も思うよ」 スネイプの表情を見て呟いたハリーに、マリーが同意するように大きく頷いた。 「1──2──3──」 二人とも杖を肩より高く振り上げた。 スネイプが叫んだ。 「エクスペリアームズ! 武器よ去れ」 目も眩むような紅の閃光が走ったかと思うと、ロックハートは舞台から吹っ飛び、後ろ向きに宙に飛んだ。 その勢いのままロックハートは壁に激突し、壁伝いにズルズルと滑り落ち。 床に不様に大の字に倒れ伏した マルフォイやスリザリン生が歓声をあげる中、ハーマイオニーは爪先立ちで心配そうに、自分の立ち位置から見えなくなったロックハートの姿を探していた。 「先生、大丈夫かしら?」 「知るもんか!」 ハーマイオニーの悲痛な声に、ハリーとロンは声を揃えて答えた。 マリーと言えば、もう楽しみが終わったのかいつもの無表情に戻っていた。 「マリー、君って案外顔に出やすいんだね……」 「そう? うんまぁ、そうかもしれない」 先程と違い興味がなさそうな声でそう呟いたマリーに、ハリーとロンは顔を見合わせた。 「予想以上に飛んでくれてすっきりしたよ、スネイプ教授には感謝しなきゃね」 わりとストレス解消になった、と続けた言葉にハリーが「それは同意する」と返した。 ロックハートはフラフラ立ち上がるとよろめきながらも壇上に戻って来た。 「さぁ、みんなわかったでしょうね! あれが、『武器解除の術』です──ご覧の通り、私は杖を失ったわけです」 ロックハートの杖は彼の手から離れ、ニヤニヤ顔のマルフォイが握っている。 それを奪うように取り返しつつ、貼り付けたような笑顔でスネイプの前に立った。 「スネイプ先生、確かに、生徒にあの術を見せようとしたのは、すばらしいお考えです。 しかし、遠慮なく一言申し上げれば、先生が何をなさろうとしたかが、あまりに見え透いていましたね」 ギロリと、スネイプの黒い目がロックハートを見据えたが、彼はまだ気づいていない。 「それを止めようと思えば、いとも簡単だったでしょう。 しかし、生徒に見せた方が、教育的によいと思いましてね………」 スネイプは限界らしい殺気だってきている。 流石のロックハートもそこでようやく気付いたのか、手を叩いて不穏な空気を誤魔化すよう明るい声色で言った。 「さぁ!実技に入る前に誰か、皆さんの中でも、私と一緒にここで模範演技をしてみましよう! 誰かやりたい人は?」 それに、何人かの生徒が手を挙げた──もちろんハーマイオニーも授業中のように真っ直ぐ手を挙げていた。 ロックハートはそれを見渡して、「では」と言った。 「私の実力に見合う相手──もちろん手加減はしますがね。 ミス・カウンシル!壇上に上がって来て下さい」 手を挙げていないのにも関わらずのご指名に、マリーは眉を潜めた。 「ほら、早く! 大丈夫、レディに怪我なんてもちろんさせませんよ」 笑顔で呼ぶロックハートにマリーは肩を落とすと、ハリー達に向かって口元を歪めて見せた。 「私が彼に、怪我を負わせそうなんだけどね」 「マリー、ハリーの敵とって来てよ!」 ロンの言葉に、マリーは笑ったように見えた。 割れる人垣を越えて舞台に上がる前、マリーはスネイプと視線を合わせてから舞台にあがり懐から杖を抜いた。 「さて、やり方は覚えましたか? まず──」 「ミス・カウンシルに決闘のやり方の説明など、不要でしよう。 仮にもかのカウンシル家の人間だ、私より決闘について詳しいと思われますが」 スネイプの言葉は、いつものグリフィンドールに対する厭味に聞こえたが、ハリーにはそのくせ彼の声色が先程のマリーの様に愉快そうだと気づいてしまった。 夫婦とは似てくるものなのだろうか、まだ婚約しかしてないのに。 「それでは」 ロックハートが先程と同じように、大袈裟な一礼をした。 対して、マリーのそれはロックハートとはまるで違う。 伸びた背筋と、いつになく鋭い横顔から、騎士のような厳格さが漂っている。 先ほどとは違い引き締まった空気に、自然と大広間のざわめきは消えていた。 そして、二人は杖を構えた。 舞台の上で大人と少女が対峙するという奇妙な構図であったが、確実的に少女の方が上回った空気を持っていた。 「では、始めましょう」 にっこり笑ってロックハートは杖を構え、マリーもそれに続いた。 「1──2──3!」 ロックハートが杖を振り上げた。 2が言い終わり3を言い切る前に、ロックハートが叫んだ。 「エクスペリアームズ!武器よ去れ」 マリーはまだ、呪文を唱えていない。 ロックハートの杖から迸った閃光が赤紫だということに、ハリーは一瞬不安が過ぎった。 「エクスペリアームズ、武器よ去れ」 その瞬間走った目が眩む紅の閃光は、怪しい赤紫の閃光を飲み込み。 驚いたように杖を向けたまま固まっていたロックハートを直撃した。 また、ロックハートが後ろに吹き飛んだ。 二度目の壁への激突に、唖然とロックハートとマリーを見つめる生徒達をよそに、スネイプはわざとらしく呆れたように肩を竦めた。 「ミス・カウンシル、ロックハート教授は二度目なのですぞ。 手加減して差し上げないと、怪我をなさってしまうのではないか?」 「以後、気をつけます」 マリーは相変わらず抑揚のない声でそう答えたが、微かに口元は緩んでいた。 「模範演技は、これで十分!」 床にはいつくばったままロックハートが叫んだ。 ・・・ マルフォイが魔法で出した蛇に向かって、ハリーが唇をゆっくりと動かした。 その口からこぼれ出たのは声ではなく、人間の鼓膜を微かに震わせるような不気味な囁き。 言語にはとれないそれは、確かに言葉だった。 蛇語──“パーセルタング”、ハリーがそれを話したのだ。 大広間は不吉な雰囲気をもって、ひそひそ声をたてながらハリーを見つめている。 慌てたようにロンとハーマイオニーが、ハリーの手を引いて大広間を出ていく。 ハリーは両側に割れた人垣の向こうで呆然と舞台を見たまま立ちすくむ、マリーの横顔を振り返り見た。 その表情は、悲痛に彩られていた。 ざわめく生徒たちを声を荒げて、宥めるロックハートをよそに、スネイプは立ち尽くしたままのマリーに駆け寄った。 「マリー」 囁くように彼女の名前を呼び掛けると、マリーはハッと目を見開いてスネイプを見上げた。 その瞳が珍しく悲痛に揺らいでいて、スネイプはちらりと壇上で話すロックハートを見た後、マリーの背に手を回して胸元に抱え込むようにしながら大広間を後にした。 大広間の扉を閉めた後、スネイプはしばらく無言で廊下を早足で歩いた。 「セブ……痛い」 小さく呟かれた声に、スネイプはようやく立ち止まりマリーと正面から向き直った。 いつの間にか、二人は人通りの少ない地下へと向かう廊下まで来ていた。 「一体、どうした?」 スネイプが青白い冷たい頬を手のひらで暖めるように包み込んでやると、マリーはスネイプのローブに縋りついた。 スネイプは微かに目を見開いた後、胸に額を押し付けて黙りこくるマリーの背中を宥めるように優しい手つきで撫ぜながら、「どうした」とまた優しい声色で繰り返した。 「ポッターがパーセルマウスだったのが、そんなにショックだったのか?」 マリーはスネイプの胸に額を押し付けたまま、ゆるゆると首を横に振った。 「違う」 「? なら……」 怪訝そうに眉根を寄せたスネイプに、マリーがようやく顔をあげた。 「なんとなく、去年の事でわかってはいたんだ」 濁った瞳を細めたマリーに、スネイプは目を見開いた。 「あの呪いのせいで、ハリーの中に、ヴォルデモートの一部が入り込んでいる……」 マリーの小さな手がローブをぎゅっと手が白む程に握っている。 スネイプはかける言葉を見つけることが出来ず、微かに震えるその体を抱きしめた。 するりとマリーは、スネイプの心音に耳を傾けるように頬を彼の胸元に寄せた。 大きな手のひらが、細い肩から背中を撫ぜる。 分け与えられた温もりに、マリーはほっと息を吐いた。 「奴は、とことんあの子を苦しめたいらしい……」 体の震えをおさめたマリーは、いくらか落ち着いて来たようだった。 「呪いをかけられた時に移されたか。 ……意図して、ではないだろうがな」 「傷以外に余計な物を……」 そう呻くように呟きながらスネイプは、傷のないマリーの右の目元を指でなぞった。 「セブルス、私もまた、この傷とともに余計なものを頂いてしまっている」 「マリー……」 窘めるようなスネイプの口調に、マリーは緩く笑った。 「また、迷惑をかける事になりそうだよ、婚約者殿」 「これくらいのこと、迷惑とは言わん。馬鹿者」 柔らかく頭を撫ぜたスネイプの手に目を細めながら、碧瞳には微かな輝きが見えた。 「しかし、今だけは喜ぼうか」 「?」 「見えてきたよ、部屋の“中味”がね」 いつも調子を取り戻して口元だけを歪めて笑ったマリーに、スネイプはやれやれと肩を竦めた。 「また、どうせ話してはくれんのだろう?」 「あぁ、まだ早いからな──知っても、長い尻尾は掴めないだろうよ」 硝子玉のような瞳で虚空を見つめ、マリーはそう囁くように呟いた。 「でも……今夜あたり、動くかな……」 「誰かが襲われると言うのか?」 スネイプの問いに、マリーは答えなかった。 夜に降り出した雪は、朝方には吹雪になった。 その日、薄暗い廊下で生徒とゴーストが石にされた。 一番先にそれを見つけたのは、ハリー・ポッターであった。