クリスマスの翌朝、マリーは朝早くに目が覚めた。 ぼんやりと少し低めの天井を見上げてから、隣で眠るスネイプに視線を移す。 スネイプは微かな寝息をたて、まだ深い眠りのなかにいるようだった。 体の左側を下にして眠るスネイプの方に、マリーも仰向けの状態から彼の方に体を倒す。 「…………」 穏やかな表情で眠るスネイプに手を伸ばし、顔にかかる長い髪をよけてやりながらマリーはふっと表情を和らげた。 胸をいっぱいにするのはしあわせと言う感情で、マリーはそれに気付くと微かに苦く表情を歪めた。 ちらつくのは、自分を罵り不幸を囁く実の姉の恐ろしい表情。 「姉さん………私は………今、幸せだよ」 スネイプの頬をそっと撫ぜながらマリーは小さく小さく、声にならないほどの呟きを漏らした。 頬から離れた手が、投げ出された左手に触れる。 めくれた袖からあらわになるのは、彼に刻み付けられたまがまがしい闇の象徴で。 マリーはそれを指先で撫ぜた後、上体を起こすとそこに触れるだけのキスを落とした。 そしてそこから唇を離しちらりと、まだ目を閉じたままの彼を見上げる。 「……嫌がらないんだね」 呟いた声は独り言ではなく、相手に問う言葉だった。 「お前なら、構わない」 そう寝起きの掠れた声で呟くとスネイプはゆっくりと瞼を開け、その闇色でマリーをうつした。 「知っているお前に、わざわざ隠したてるものでもあるまい」 確かに、とそう小さく呟いて、またそこへ唇を触れさせる。 くすぐったいのか微かにスネイプの指がピクリと動いた。 「私の“傷”までまるごと愛してくれた君を、この象徴のせいで私が拒むはずはない」 「──……」 スネイプは無言で右手を伸ばし、マリーの右目を走る傷を撫ぜた。 「愛しても……私はこの傷の全てを知らない」 かさついた、男にしては細く神経質な指が、瞼の上の稲妻型の傷をゆっくりと優しく撫ぜる。 マリーは猫のように目を細めて微かに笑った。 「知って、くれるか?」 碧眼に少しの不安を滲ませて苦く笑うマリーに、スネイプは横になったまま身を屈めて、自分の左手を持ったままのマリーの傷に優しくキスをした。 「お前の事なら……全て知りたい」 マリーが顔をあげて、スネイプの唇に自分のそれを重ねた。 「セブルス……一緒に来て欲しい場所がある」 それにスネイプはキスで答え、マリーは少し悲しげに笑った。 「君に、全てを知ってほしい」 ・・・ 二人が向かったのは、人家もない寂れた丘だった。 枯れ木が数本生えたばかりの荒涼な丘を見渡せば、平らな雪原の中に点々と石碑のようなものが雪に埋もれている様が見えた。 白い雪に覆われ色彩を失ったことで、殊更に寂しさを増す丘に立ちスネイプは、隣に立つマリーを見た。 「此処は……」 「私の生家があった場所であり──今は仲間達が眠る墓場だ」 「!」 黒髪を冷たい北風に揺らしながら、マリーは沈痛な面持ちで丘を見つめていた。 「私が18の時、我々の一族は闇の勢力に殺され、一族が住んでいたこの場所には火が放たれた。 私が来た時にはもう、此処は焦土と化し……何も残っていなかったよ」 姿勢を落とした足元は今は白い雪に覆われているが、その下に埋まっているものを考えスネイプは顔を歪めた。 「何も、残らなかった……」 マリーは小さく呟いて、雪原の中に潜在する石碑を見た。 「骨、以外はな」 ここは大きな墓場なのだ。 マリーは黒いローブを翻すと雪原に向かって歩き始め、スネイプはその後ろをゆっくりと追いかけた。 「その後すぐにわかったのは、私の姉が火を放ち闇側に降ったという事だった」 「……ナディア・カウンシルか」 スネイプは同寮の生徒であった、一人の人物を脳裏で描いていた。 彼女もまたルシウスに口説かれ闇側に行き、ヴォルデモートに心酔した者の一人だった。 ザクザクと雪を掻き分け、マリーは雪原を進んでいく。 スネイプはそんな背中をただ黙って追いかけた。 「姉は、私を憎んでいた、いや……おそらく一族全てを憎んでいた」 《言霊》が使える妹も。 自分を差し置いてその妹を跡継ぎに決めた父親達も。 《言霊》を使えない自分を産んだ母親も。 ナディア・カウンシルは嫉んで恨んで──そして、すべてを壊して闇に堕ちた。 真っ白な丘を進んでいくと、目の前に大きな墓石らしきものが見えて来た。 装飾がなされた東屋のような古めかしい墓石は、おそらくカウンシル家当主が代々眠る墓なのであろう。 ドラゴンの石像が墓跡を守るように大きな翼を広げ、カウンシルの家紋が彫られた盾を模したタペストリを、鋭い爪な生えた前脚で掴んでいる。 マリーはその墓跡で足を止め、スネイプはその隣に並んだ。 一陣の風が巻き上げた雪と共に。二人の黒いローブの裾を舞わせる。 牙を剥くドラゴンの石像の瞳に嵌められた赤い石が、微かな光りに反射して煌めいた。 「11年、いや……もう12年も前か」 ぽつりと呟いたマリーの言葉に、スネイプは見上げていたドラゴンから彼女の横顔に視線をやった。 「この場所で、私は姉の呪いを受けた」 淡々と話す横顔をスネイプは驚いた表情で凝視した。 感情のない瞳でドラゴンを見上げたまま、マリーはゆっくりと呟いた。 「始まりは、全て此処だったんだ」 雪を孕んだ冷たい風が当たる頬は、赤く染まることもなく、死人のように青白く見える。 墓石を見つめるマリーの横顔を凝視していたスネイプ、溢れ返った疑問を吐き出しかけて、整理をつけるために口を噤んだ。 それを振り返ったマリーが微かな苦笑を浮かべた。 「そんな深刻そうな顔しなくても、過ぎた事だよ」 「──しかし、その呪いはお前の中でまだ生きているんだろう」 「そうだね。でも、そのおかげで私は今、君の前にいる」 呟かれた言葉にスネイプは、どういう意味だと顔を顰めた。 「ハリーが」 マリーがいつものぼんやりとした口調で突然あげた名前に、スネイプは微かに怪訝な色を細めた目に浮かべた。 「私と同じようにヴォルデモートに呪いをうけながら生き残ったのは、リリーのハリーへの“愛情”のおかげだというのは、聞いているだろ?」 「ポッターの話はいい、今はお前の事を聞いている」 「だから、言っただろ? 私とハリーは同じなんだよ」 マリーはいびつに笑った。 「ただ、違ったのは──私が呪いを跳ね返せたのは、姉からうけた“憎悪”のおかげだったということさ」 「!!」 表情の変化の乏しいマリーの表情に悲痛さが浮かんで見えた。 スネイプは思わず、その細い体を抱きしめた。 「セブルス……君にそんな顔をして欲しくなかったから、黙ってようと思ったんだ」 「馬鹿者……!」 逆に宥めるように背中を撫ぜられ、スネイプは声を震わせた。 耳のすぐそばでマリーが微かに笑った。 だが、表情が見えない今の状態では、それがどんな感情を含んでいたのかはわからない。 「此処で数年ぶりににあった姉は、もうボロボロの状態で……私に呪いを遺して死んでしまった」 スネイプの背中を撫ぜていた、マリーの手が止まった。 「その呪いがなんなのかを知ったのは、ヴォルデモートに眠りの呪いをかけられた時」 「それは……どんな呪いだったのだ?」 一瞬の間を開けて、マリーは短く息を吐いてから、口を開いた。 「眠りの呪いが完成し、私がヴォルデモートの手に堕ちたその時。 私が死ぬように、姉は呪いをかけた」 その言葉に驚いて、マリーの目を見ようと離しかけた体を押さえ付けるように、背中に回された手に力が込められた。 「っ──マリー!?」 「姉は知っていたんだ、ヴォルデモートが私の力を狙っている事を」 スネイプの声を無視して、マリーは淡々と言葉を続ける。 スネイプから唯一見えるマリーの白い首筋に雪片が落ちた。 「あの人にどんな感情があって私にそんな呪いをかけたのかは、はっきりとはわからない。 けど、私はむしろ感謝している」 「───……」 「自我を失い、あの男の思うままに自分の力を使われるような事があっては、絶対にならないのだから」 温度のない声で呟かれたマリーの本心に、スネイプは唇を噛み目を伏せた。 緩んでいた腕に力を込め、マリーの肩に額を擦り寄せた。 「お前は───その事を、私に全て隠しておくつもりだったのか」 「……」 この沈黙は肯定であるのは明確であった。 「どのみち、私が呪いによって死ぬ事にはかわりないからね」 「……ナディアからの呪いだけでも解くことは出来ないのか?」 マリーはゆるく首を横に振った。 「二つの呪いはどうしてか癒着しているような状態でね。 どちらかを解けば、バランスは崩れて──結果は同じさ」 「……」 しばらくの沈黙の後、マリーがゆっくりとスネイプに回していた腕を離した。 それに合わせスネイプも顔を上げ、腕から力を抜いた。 向かい合うマリーの表情はもう、いつもの平坦なものへと戻っていた。 「此処は、寒い……帰ろう」 そう言って墓石に背を向け歩き出したマリーの背中を見つめていると、数歩先でマリーが立ち止まった。 「行こう、セブルス」 微かに口の端を歪めたマリーが差し出した手を、見つめてスネイプは目を伏せ笑った。 「あぁ…」 冷えたマリーの手に自分のそれを重ねながら、スネイプはただ行き着く先に光が見えない自分達のこれからを悲観した。 それでもなお、彼女をもう離すことは出来ない自分に気付いて、笑みが微かに苦いものが混じる。 それに気付いているであろう、マリーは何も言わなかった。 それで、いいとさえ思えるのは、なぜなのだろうか。 まだ答えはでなかった。 ・・・ カウンシル家の敷地から街へと移動した二人は、そのままダイアゴン横丁を歩き漏れ鍋に入った。 暖炉の暖かさで包まれた狭い店内は、冷えた二人の体に心地良い。 クリスマスというイベントを終えて、いつもの活気にも少し元気はないが、魔法使いで埋め尽くされた道を歩いたおかげで、マリーの存在をちゃんと外に知らせるという作戦は上手くいったようだった。 体を温める為に頼んだ度数の高い酒を嘗めながら、マリーはスネイプの目をじっと伺うように見つめた。 「──なんだ?」 「いや……怒ってるのかなと思って」 微かに苦く笑うマリーはグラス片手に、ばつが悪そうに頬をかいた。 「ほう……怒らせるような事をしたという自覚はあるのだな」 「ごめん」 「謝るな、お前が考えている事には理解があるつもりだ。 ただ……」 「ただ?」 口を噤んだスネイプに、マリーは微かに首を傾げた。 「お前は私にもう少し頼ってもいいと、思っただけだ」 恥ずかしいのか投げやりなスネイプの口調に、マリーは目を細めた。 「うん……ありがとう」 素直に零れた言葉に、スネイプはふんと鼻を鳴らすとグラスを煽った。 その様子を穏やかに見つめていたマリーは、微かに目を伏せた後「話は変わるが」と声を潜めた。 「セブルス」 「?」 「ルシウス・マルフォイが、ヴォルデモートの昔の学用品などをばらまいているのは本当か?」 その名前をフルネームで出したマリーに、スネイプは眉を潜めたが、マリーは気にしないでいいと言った。 「私達の会話は回りに聞こえてはいない」 「……《言霊》か」 二人を覆う薄い膜のような気配に、スネイプはほっとしたような呆れたような声でそう呟き、マリーはそれに頷いた。 「それで、本当なのか?」 「らしいな。魔法省のアーサー・ウィーズリーは、そう睨んで調べているらしいが」 「そう、か」 そう呟いてから考え込むように顎に手を当てたマリーに、「それがどうしたのだ?」とスネイプは疑問を口にした。 「いやね……そうじゃないかと言うものを見つけたんだけど」 「そんなものどこで?」 「確信があるわけじゃないし、そのうえ他人の私物だ」 手元にはないと言えば、スネイプは眉をひそめた。 「所有物……? もしや、生徒がそのようなものを持っているというのか」 「可能性だ。もしそうなら、取り上げる必要があるだろ」 マリーの隻眼が鈍く光った。 あの、日記帳から感じた黒く冷たい気配を思いだし、マリーはきゅっと拳を握った。 「誰が持っているんだ?」 「ジニー・ウィーズリー」 「なんだと……?!」 スネイプの目が驚きに見開かれた。 何故と聞いてくるその目に、「仮定だが」とマリーは切り出した。 「君は新学期が始まる前。 フローリシュ・アンド・ブロッツ書店で、ウィーズリー先輩とルシウス・マルフォイが取っ組み合いをしていたと言っていたよね?」 「あぁ……」 「その時に、ジニーの荷物に奴が紛れ込ませた可能性はある」 「──……」 「私は見ていないから、断言は出来ないけどね」 あの時の、ルシウス・マルフォイの一連の行動を思い出そうとしているのか、スネイプはしばしの間沈黙した。 「……やれない事は、ないだろうな」 「そうか」とマリーは一つ頷いた。 途端、二人を覆っていた膜のような物が、弾けたシャボン玉のように消えたのがスネイプにも感覚的にわかった。 この話はもう終わりという事らしい。 カランと、スネイプの空になったグラスの中で氷の小山が小さな音をたてて崩れた。 マリーも残っていた酒をぐいっと煽った。 「弱い癖に一気に飲むな」 「大丈夫だよ、随分溶けた氷のおかげで薄まっている」 そう言うもマリーの頬は微かに赤い。 スネイプはそんな様子に小さく溜め息をついて席を立った。 「眠くなる前に、帰るぞ」 「これくらいの酒で、眠くなるほど酔ってないぞ」 少し拗ねた口ぶりのマリーに、適当な返事をしながらスネイプは店主に金を払うと、マリーの手を引いて暖炉に向かった。 スネイプの家に帰って早々。 夢の中へと旅立ったマリーに、スネイプはそれ見たことかと小さく笑った。