「あー……なるほど、これは私も悪いな」 ハーマイオニーのお見舞いに来たマリーは、なんとも言えない表情でそう呟いて頭をかいた。 クリスマスに使ったポリジュース薬に、スリザリン生のミリセント・ブルストロードの、ではなく彼女の飼い猫の毛を使ってしまったというハーマイオニーは、休暇が明けてもまだ医務室から出られないでいた。 確かに、そんなケアレスミスが発生することもある薬だ。 大人として、注意をすべきことしなかったと素直に謝罪をした。 お見舞いに持って来たカエルチョコをロンが勝手に開けるのを、ハーマイオニーが横目で睨み付けながら「失敗は成功の元ってやつね」と軽く返した。 彼女の顔が毛むくじゃらを脱した頃には、悲壮感を背負っていたハーマイオニーもいつも通りの様子である。 「次はもう失敗しないわ」 「手痛い失敗は、今後の成功の糧だからね……私も経験がある。 しかし、ちゃんと休んでなくていいのかい?」 ベッドの脇机に積み上げられた本を見て言うマリーに、ロンも「 そうだよ」と頷く。 「髭が生えてきたりしたら、僕なら勉強休むけどなぁ」 「馬鹿なこと言わないでよ、ロン。遅れないようにしなくちゃ」 すまし顔で言うハーマイオニーを呆れた顔でロンは見遣る。 「ところで──どうだった?」 マダム・ポンフリーに聞こえないようにマリーは声を潜めた。 「ダメだった」 ハリーは憂鬱な声で答えた。 「絶対に、マルフォイだと思ったのになぁ」 ロンは休み中からその言葉をもう百回は繰り返していた。 「そうか……残念だったな」 微かに目を細めて呟いた、マリーにハリーにあれ?と違和感を抱いた。 あまり驚いていない様子のマリーに感じたそれの正体は、ハリーには分からずそれを一先ず無視することにした。 「あ。そうだ、ロン」 「ん?」と、ハーマイオニーへのお見舞いであるカエルチョコを食べながらロンは首を傾げた。 「ジニーがどこにいるか知らない? ここに来る前、寮にいなかったんだけど」 「ジニーが? いや。わかんない、けど」 そう、と呟くとマリーは目を伏せた。 「何かあったの?」 「──いや、なんだか最近、元気がないみたいだから心配でね」 ハリーの問いに言葉を濁して答え、マリーは頬をかいた。 「とにかく、元気そうで安心したよ」 「心配をかけて、ごめんなさい」 「それより、薬の方は成功したみたいだね。 流石の腕前だね、ハーマイオニー」 口の端を引き上げるだけで笑ったマリーに、ハーマイオニーは照れ臭そうに笑った。 「私は、ちょっと用事があるから先に戻るよ。 二人もあまり遅くならないように寮に戻るんだよ」 ハーマイオニーに「お大事に」と声をかけ踵を返したマリーの背中にロンが手を振った。 ・・・ マリーは足早に廊下を歩いていた。 嫌な予感がするのだ。 最近、殊更にヴォルデモートの力を感じ始めている。 早急にジニーから、あの日記帳を奪う必要性を感じていた。 (しかし、ジニーに近付いたのは何故だ──?) 純血の家族の中でも、著名な一族の一つであるウィーズリー家の末子を、純血主義の奴らが狙うとは血的には考えにくい。 (問題は思考か。アーサー・ウィーズリーの“マグル保護法”) ほぼ走るようにマリーは、グリフィンドールの寮のある塔を駆け上がる。 その廊下で見つけた小さな背中に、マリーは足を止めた。 「ジニー……?」 「っ、マリー……っ」 涙混じりの声で振り返ったジニーの顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていった。 マリーはジニーに駆け寄ると、零れる涙を手で拭った。 「どうした……?」 「わ、私…っ、私っ」 しゃくりをあげながら声を震わせるジニーは、なかなか言葉が続かず。 どうするか悩んでいるうちにフィルチの怒声が響き、マリーはジニーの背中を押して、隠れるように空き部屋に入った。 椅子に積もった埃を掃いジニーを座らせる。 ひくりひくりと、しゃくりに合わせて震える肩を撫ぜながら、ポケットの中にひとつ残っていたカエルチョコを渡した。 「落ち着いた?」 出来るだけ優しい声で話し掛けると、ジニーはこくりと頷いた。 「どうして、泣いているか聞いてもいいかな?」 ジニーはびくりと肩を震わせ、また瞳に涙を浮かべた。 「私っ……わからないの」 「──…」 「自分が自分じゃないみたいで、記憶喪失みたいで……! あたし、気が狂ったんじゃないのかしら……」 ジニーは震えを抑えるように自分の肩を抱いた。 マリーはジニーの肩を掴み、目を覗き込むように膝をついた。 「それは──あの小さな黒い本が、関係してる?」 「なんで?!」 知ってるの、という声は掠れて音にはならなかった。 「こわいものだから」 そう《言霊》を混ぜて、彼女にあの本に対する恐怖感を注ぎ込む。 「ねぇジニー、その本は今持ってるなら、私に渡して。 あの本は危険だ。君にも、私達にも」 ジニーの瞳が泳いだ。 「ジニー?」 「──てたの」 掠れて途切れ途切れに聞こえてきた声に、マリーは「え」と溢した。 「捨てたの、私、怖くて……。あの、トイレに」 (なんて、ことだ!) マリーは目を見開いた。 思わず掴んでいた手に力が入り、ジニーの目に怯えが浮かんだ。 マリーは、はっとしたように手を離した。 「寮に戻ろう、ジニー」 「マリー、私……」 「大丈夫。 あの本がもう君の手にないのなら、もう何も心配はいらないよ」 そう穏やかに囁きジニーの赤毛を撫ぜると、ジニーは涙が止まらないながらも頷いた。 マリーはジニーを寮に送り届けた後、生徒が寝静まった寮を抜け出した。 ジニーがトイレに捨てたと言う本を回収するためだ。 しかし、どこを探しても件の小さく黒い本を見つけることは敵わなかった。 ・・・ ハリーがトイレで“T・M・リドル”の日記を拾って間も無く、2月に入った。 その頃には、ハーマイオニーが髭なし・尻尾なし・顔の毛もなしになって、退院して来た。 ハーマイオニーがグリフィンドール塔に帰ってきたその夜、ハリーはその日記を見つけた時の話をハーマイオニーに話した。 興味津々に日記を手にとって、詳細に調べていたハーマイオニーが目を輝かせている。 「もしかしたら、何か隠れた魔力があるのかもよ」 「魔力を隠してるとしたら、完璧に隠しきってるよ。 恥ずかしがり屋かな。 ハリー、そんなものなんで捨ててしまわないのか、僕にはわからないな」 ハリーがこの日記を持っていることに、いい顔をしないロンの言葉にハリーは返した。 「どうしてこれを、トイレなんかに捨てようとしたのか知りたいんだよ」 「マリーに聞いたら?」 ハーマイオニーの言葉に、ハリーは緩く首を横に振った。 「ハーマイオニーを見舞いに訪ねた夜から、なんだか忙しそうで。 すぐどこか行っちゃうんだよ」 「最近は逆にジニーが、マリーを探してるぜ。 授業が終わったらすぐにどこかへ行っちゃうの、だってさ」 妹の声色を真似たロンの言葉に、ハーマイオニーは不思議そうな顔をしながら「そう」と不思議そうに呟いた。 ハリーは手元の手帳を見ながら考えた。 なぜ、この日記を捨ててしまわないのか、ハリーは自分でもうまく説明が出来なかった。 なにも書いていないことは百も承知なのに、ふと気付くとハリーは何気なく日記を取り上げて、白紙のページをめくっていることが多かった。 まるで最後まで読み終えてしまいたい物語か何かのように。 T・M・リドルという名前は、一度も聞いたことがないのに、何故か知っているような気がした。 リドルが小さいときの友達で、ほとんど記憶の彼方に行ってしまった名前のような気さえした。 しかし、そんなことはありえない。 ホグワーツに来る前は、誰一人友達がいなかった。 従兄のダドリーのせいで、それだけは確かだ。 「あ、マリー」 寮に戻って来たらしいマリーを先に見つけたロンが手を振ったが、何やらぶつぶつと呟いているマリーには聞こえていないようだった。 「ちょっと! マリー!」 「──あぁ、やぁ」 ロンの大声に、ぼんやりとしたマリーの瞳にようやく、三人の姿が写ったような感じだった。 「いつも以上にぼんやりしちゃって、どうしたのさ。 ジニーが心配してたぜ」 「ロン、あなた失礼よ……」 「いや、悪いな。 ちょっと考え事をしていて」 そう微かに苦く笑ったマリーは、ジニーに気にするなと言っておいてくれとロンに言った。 「考え事?」 「あぁ」 そう答えながらマリーはまたその考え事に意識が傾いているようで、生返事だ。 ハリーは、駄目元でマリーを呼び止めた。 「T・M・リドルって知ってる?」 立ち止まる事のない背中に投げ掛けた疑問に、マリーは曖昧に呻いた。 「……記憶にない」 「そう……」 独り言のように呟いた答えに、ハリーはがっかりとした声をだした。 「仕方がないわ、50年も前の人ですもの」 「そうだよ、いくら優秀な人だからっていちいち覚えてないって」 マリーが階段を上がっていく小さな足音を見送りながら、ハリーはそうかなと呟いた。 「──ん? T・M・リドル?」 幾分はっきりとした声で呟いたマリーの声は、三人には聞こえていなかった。