淡い陽光がホグワーツを照らす季節が再び巡ってきたもの、相変わらず地下室は湿っぽく薄暗いのはあまりかわりはない。 「一体、何が気に入らないんだ?」 呆れ顔のスネイプはソファに寝転ぶマリーを見下ろして尋ねた。 マリーは顔に翳していた手をどけて、スネイプを見上げる。 「何と言うものはないけど。 ただ世の中は上手く動かないと言うこと、いまさら突き付けられてやる気を失っているだけだよ……」 「意味がわからん。きちんと順をおって話せ」 ため息まじりでそう呟いて、マリーが横になるソファと対面のソファに腰を下ろし、足を組んだ。 「ジニーが持っていた本だが、やはりヴォルデモート関連だった」 「そうか、なら取り上げたのか?」 「……取り上げる前に、彼女が捨てたんだよ」 はぁと溜め息まじりに呟きながら、その日記に恐怖を感じたらしいと付け足した。 「そこから、足取りがつかめない」 「では誰かの手に?」 「可能性は高い。 アーガスさんも、校内でそんな物を目にした覚えがないそうだから」 マリーはまた顔を手で覆った。 「嫌な予感しかしない」 「考え過ぎじゃないのか? 最近は誰も襲われていないではないか。 捨てた事がきっかけで、力を失ったのでは?」 「いいや。ただ単に、我々が警戒を強めているから、秘密の部屋を開けるのが危険になっているだけだ。 もう絶対に開かないというわけじゃない」 微かに苛立ちが混じるマリーの声に、スネイプは眉をひそめた。 「──また、“声”が近いのか?」 マリーからの反応も返事もなかった。 しかし、去年呪いが強まったために、酷く神経を尖らせていたマリーと今の彼女の雰囲気はよく似ている。 原因を知った今、それはなんら不思議な事ではなかった。 取り込むように絡まる呪いを振り払うのに必死で戦っているのだから、他に構う事はかなり神経を使うのだろう。 (今だけは、考えるのを止せばいい事を……) 彼女の性格上出来ないであろうが、スネイプはそう思わずにはいられない。 やれやれと一つ息を吐いてから、スネイプは傍に置いていた小さな箱を取り出した。 「マリー」 「なに?」 スネイプが差し出した小さな箱に、碧眼がぱちりと瞬く。 「一日早いが。 どうせ明日は、お前も私も部屋から出ないことになるだろう。 先に渡して置く」 スネイプから箱を受け取るためマリーはソファから体を起こした。 手のひらに治るほどの小さな箱をしげしげと眺めてから、開けても?と尋ねる。 スネイプはそれに頷いて返した。 リボンを解いて、箱を開けるとシンプルなデザインの髪留めが入っていた。 つる薔薇の意匠が施された銀細工のそれには、控えめに緑の宝玉が嵌め込まれている。 その美しさに目を細めていると、立ち上がったスネイプが側までやって来て髪飾りと手にとった。 「以前に、その体でも付けれるものを贈ると言っただろう」 さらさらとマリーの髪を手櫛でまとめると、贈ったばかりの髪飾りで留めた。 「そうか……明日は、もう14日だったね」 セットしてもらった髪を崩さないように、髪飾りに触れながらマリーは幸せそうに微笑んだ。 髪を耳にかけるスネイプの手のひらに頬を摺り寄せ、マリーはその手のひらにキスをする。 「ありがとう。似合ってる?」 「あぁ、一等似合うものを選んだつもりだ」 腰を屈めて唇同士を触れ合わせながらスネイプが囁く。 マリーはくすくすと笑っている。 先程までの刺々しい空気が嘘のようだ。 「でも、なぜ。明日は部屋から出ないの?」 「“あの男”が、そんな日に何も仕出かさないわけがないだろうからな……」 苦々しいスネイプの表情に、マリーは納得して深く頷いた。 ・・・ 復活祭の休暇が明けた頃。 廊下を歩いていたマリーを、ハーマイオニーが呼び止めた。 「ちょっと話があるんだけど、いいかしら?」 「構わないよ。 ジニー、悪いけど先に行っててくれるかな?」 マリーの言葉にジニーは慌てたように頷くと、足早に行ってしまった。 急ぎのようでもあったのだろうかとマリーは首を傾げながら、ハーマイオニーを促されて空教室に入った。 中が本当に無人を確認しているハーマイオニーの様子に、マリーが「大事な話?」と尋ねると彼女は大きく頷いた。 「──大丈夫、もう聞こえないよ」 「そう……ありがとう」 ハーマイオニーも微かにマリーが《言霊》を使ったのがわかったのか、ほっと息を吐いた。 「それで?」 「マリー。前にハリーが、T・M・リドルについて尋ねたの覚えてる?」 「ごめん、その時はほとんど耳を素通りしてて。 でも、その名前をどこで?」 表情を強張らせたマリーに、ハーマイオニーは「ハリーが」と呟いて言葉を切った。 「女子トイレに捨てられた、その人の日記を拾ったらしいんだけど──マリー? どうしたの?」 はぁあと深い溜め息を吐いて肩を落としたマリーに、ハーマイオニーは慌てた。 「嗚呼、盲点だった……拾い主はハリーだったか」 「まさか、貴女の物なの?」 「今、目下の私の悩みの種であり、捜し物だよ」 ハーマイオニーがずいっとマリーに顔を寄せた。 「なら、あれが何か知ってるのね?」 「いや──むしろ、知りたいから手元に欲しいんだよ。 まぁ、危険な物ではあるとは言えるだろうけどね」 「危険? それは、持ち主に嘘を教えるとか?」 「嘘……?」 微かに眉をひそめたマリーに、ハーマイオニーは「えぇ」と頷いた。 「ハリーが日記に尋ねたの、秘密の部屋を誰が開けたのか。 そしたら、リドルが“ハグリッドが部屋から怪物を出した”ってハリーに教えたの……」 「──……それを」 マリーの碧瞳が暗く濁った。 「ハリーは、君達は、信じたのか……?」 ぞっとするような冷たさをもつ声に、ハーマイオニーは肩を震わせつつも、慌ててそれを否定した。 「違うわ! 信じられないから。 その日記がハリーをたぶらかす為にそんな嘘を教えてるんじゃないかって! 私……っ」 「──わかってる、ごめん。 少し怖がらせてしまったかな?」 マリーは微かに苦笑すると、ハーマイオニーの青白くなった頬を手の甲で撫ぜた。 それに、ハーマイオニーは平気よと答えて緩く首を振った。 「君達がハグリッドを信じるのであれば、そのリドルの言葉は危険だ。 ──ハリーは寮に戻って来てる頃だな」 「えぇ」 クィディッチの練習が最近毎晩続いているらしく、ハリーはほとんど寮に帰って来ていない。 明日に試合を控えているためにそんなに遅くまではやらないだろうと、マリーは夕焼け色の空を見ながら呟いた。 「とにかく、リドルの日記は私が預かる事にして、時期をみて校長に話てみるよ」 「ありがとう、マリーがいてくれてよかった」 安心したように微笑むハーマイオニーの背中を押して、空教室を出てグリフィンドールの寮に二人並んで向かった。 「でも、一体誰がそんな物をトイレに捨てたのかしら。 存在を知っていたなら、マリー。 貴女、持ち主を知っているんじゃないの?」 廊下を歩きながらのハーマイオニーの鋭い指摘に、マリーは肩を少し竦めた。 「残念ながら。物を見れば、もしかしたらわかるかもしれないが」 「そうなの……」 残念そうなハーマイオニーに、マリーは本当に頭がいい子だなと思いながら、ひそかに苦笑を浮かべた。 グリフィンドールの寮に戻ると、寝室に向かう階段の1番上で何やら男子達が騒いでいるようだった。 「何やってるのかしら」 「さぁ……?」 騒ぎの元がハリー達の部屋であることにハーマイオニーが気付いていたが、男子寮であるために女子二人は入れる筈もなく、ハリーかロンが下りて来るのを待つ。 しばらくしないうちにハリーに続いてロンが、マリー達しか残っていない談話室まで、階段を駆け降りてきた。 「いったい、どうしたの貴方達?」 「ハリーの荷物が誰かに漁られてたんだよ」 「それで──リドルの日記がないんだ」 その言葉にハーマイオニーは仰天して、抱えていた「古代ルーン語のやさしい学び方」を落としてしまった。 隣にいたマリーも珍しく表情に驚愕を貼付けている。 「でも、グリフィンドール生しか盗めないはずでしょ? 他の人は誰もここの合言葉知らないもの……」 「そうなんだ」 ハリーは重い口調で言った。 「嗚呼、もう」 またも指先をすり抜けて逃げた黒い小さなT・M・リドルの日記にマリーは呻いた。 ・・・ 星の輝く明るい夜だった。 星明かりに照らされる、薄暗い人気のない廊下で見張りをすれども、目の前を行き交うのは同じく見回りをしている教授達や監督生、ゴーストばかりだ。 再び動き出したらしい“秘密の部屋”の怪物は、ハーマイオニー・グレンジャーとペネロピー・クリアウォーターを襲った。 どちらも、またマグル出身の生徒だ。 暗い廊下に見張りとして立ちながら、スネイプは昨夜のマリーからの報告を思い出していた。 (ジニー・ウィーズリーが捨てた日記を、ハリー・ポッターが拾い──何者かが盗んだ。 その翌日にまた、生徒が襲われた) スネイプは腕を組み直しながら、親指の腹で薄い唇を撫ぜた。 (やはり、マリーが言うように、その日記が何かこの襲撃に関係があるのだろうか……) そこまで考えてスネイプは溜め息を吐いた。 語られない情報があるためか、マリーほどスネイプはこの事件の全貌は見えていない。 おそらく、マリーは犯人までとはいかずとも、秘密の部屋の怪物が何なのかだけはわかっているような口ぶりだった。 (だいたい……マリーといい、校長といい。 余計な言い回しばかりして本心が読めん) スネイプは苛々としたように眉間にさらにシワを寄せた後、また溜め息を吐いた。 春といってもホグワーツ城内の夜は冷える。 スネイプはくしゃみをひとつ漏らして、微かにそのくしゃみと被って聞こえた「こんちくしょう」という悪態がした方を振り返った。 だが、人影さえない廊下にその声の主は存在しない。 空耳かと、また正面を向くと、目の前にマリーが立っていた。 突然気配もなく目の前に現れた、しかも“本当”の姿のマリーにスネイプは驚きに息をつめた。 外を見ているマリーの表情はいつも以上に無で、スネイプは未だ乱れる胸を押さえながら、その横顔を見下ろした。 「お前、一体──」 「何故。あいつが、ホグワーツの敷地内にいる」 言葉を区切り気味に、表情と同じく温度を感じさせないマリーの声に、纏わり付くような悪寒を感じながら、スネイプは「あいつ?」と繰り返した。 「ルシウス・マルフォイだ」 憎悪やらなにやらが篭った呟きは《言霊》が絡んでいるのか、ぞわりと鳥肌がたった。 隻眼が溢れる感情に濁りきっているのがわかる。 「ルシウスだと。あの男がホグワーツに来ていると言うのか?」 乾く口の中で何とか疑問を声にするも、マリーの目には目の前のスネイプさえ映っていないようだった。 「ここぞとばかりに食らいついてきたか、意地汚い蛇め」 その呟きとともにマリーは歩き出す。 「っマリー?!」 闇に熔けるような漆黒のローブを翻したマリーを、スネイプは慌てて追いかけた。 「何処へ行くつもりだ、マリー!」 「奴が、ダンブルドア先生の元にいる」 マリーは振り返る事もなく、スネイプの質問に対して少しズレた答えを返しながら、正面玄関に向けて手を翳し上にさっと振りかぶった。 それに合わせ、頑丈な樫の扉の閂が外れ、扉が誰の手も借りずに開け放たれる。 マリーは扉をくぐり、外へと出た。 スネイプはその後ろを、どうすればいいのか悩みながら、時々手をさ迷わせながら付き従う。 何も語らぬマリーが、何故此処まで急いでいるのかスネイプには計り知れなかった。 ルシウス・マルフォイに対して、マリーが余りよい感情を抱いていない事はわかっていた。 しかし、ここまでに彼女が憎悪を露にするとは思ってもみなかった。 (何か、私の知らぬところで確執があったのか──?) ヴォルデモートの腹心の部下であるルシウスが、何の任務をしていたのかスネイプとて全てを知るわけではない。 「マリー」 スネイプの呼び掛けに合わせて、マリーが立ち止まった。 それが呼び掛けに止まったわけではない事を、こちらに向かって来る人物が誰なのかに気付き理解した。 「ガブリエル・カウンシル。 ──いや、ミス・スネイプと及びした方がいいか」 マリーの存在とその後ろに立つスネイプの存在に、気付いたルシウス・マルフォイはそう言いながらせせら笑った。 「おぉ! ガブリエル・カウンシル、久しく見ていなかったが。 しかし、何故此処に?」 ルシウスの後ろにいたらしい魔法省大臣であるコーネリウス・ファッジが声をあげたが、マリーの隻眼はルシウスを睨んだままだった。 「お前は、一体この方に何をする気だ?」 「人聞きの悪い事は言わないでくれたまえ、ガブリエル。 私は、12人の理事が決定した、ダンブルドアへの“停職命令”を届けにきたのだ」 物憂げにそう言うルシウスに、今度はマリーがそれをせせら笑った。 「なら、言葉を変えようか。お前は12人の理事に何をした?」 ルシウスの表情が微かに歪んだ。 「あー……ガブリエル・カウンシル、言葉の意味が?」 ファッジはそんな二人の会話についていけないとばかりに、おずおずと尋ねたが二人にはまるで聞こえていないようだった。 「覚えておけ、ルシウス・マルフォイ。 私の力はまだ弱まってはいないぞ。 私の仲間の声は皆、肉体が死してなおまだ力を持ったまま、世界を取り巻いている」 「──……」 ルシウスの表情が憎らしげに歪んでいくのを、スネイプはマリーと同じ方向から見つめていた。 突き付けられた白い指が闇に浮いて異様だった。 「落ち着くんじゃ、マリー」 ダンブルドアがルシウスを指していた手を握り込み、マリーの腕を下ろさせた。 「理事たちが退陣を、どのような経緯であれ、求めるのであればわしは退こう」 「しかし、校長」 微かにマリーの声が揺らいだ。 「大丈夫じゃ。 わしが本当にこの学校を離れるのは、わしに忠実な者がここに一人もいなくなったときだけじゃ」 「──……」 そう言ってダンブルドアは強張っていたマリーの頬を優しく撫ぜた。 刺々しかったマリーの空気が落ち着いたのがわかり、スネイプはいつの間にかはいっていた体の力を抜いた。 「それでは、行こうかの」 そう言って歩き出したダンブルドアに、ハグリッドは合わせてのしのしと歩き出した。 「それじゃ、行ってくるからよ……俺がいねぇ間ファングに餌をやってくれ」 「わかった──大丈夫、すぐに戻ってくるよ」 「お前さんにそう言って貰えると、希望がわくよ」 のしのしまた歩きだすハグリッドの後を、マリーを気にしながらもファッジが二人を慌てて追い掛けていく。 ルシウスはマリーをきつく睨んだ後、横を摺り抜けていった。 ダンブルドアとハグリッドの背中をじっと見つめていたマリーを、スネイプはそっと抱き寄せた。 マリーはスネイプの胸に寄り掛かりながら、嗚呼とぽつり、感嘆を漏らして俯いた。 抱いた肩が震えていた事に、スネイプは何も言えず、抱く腕に力をこめた。