ハリーは呆然と落ちた大ジョッキを見つめていた。 混乱する頭で考えはまとまらずモヤモヤする中でも、聞こえてくる会話は頭の中にどんどん入って来て、頭をごちゃごちゃする。 『ポッターは誰よりブラックを信用した』 『二人はブラックをハリーの名付け親にした』 『ブラックが二人を裏切った』 先生達が話す初めて耳にする真実に混乱する中。 ハリーはハグリッドの「くそったれのあほんだらの裏切り者め!」という大きな罵声に、ハリーは息を飲んだ。 見上げた先で、マクゴナガルがハグリッドを嗜めているが、歯噛みして怒りをあらわにするハグリッドの耳には届いていないようだ。 「奴に最後に会ったのは、俺にちげぇねぇ。 その後で奴はあんなに、みんなを殺した!」 ハグリッドは耐え切れない怒りを発散するように、その大きな拳でテーブルを叩いた。 ガシャンとジョッキやグラスが揺れる音がした。 「ジェームズとリリーが殺されちまった時、あの家からハリーとマリーを助け出したのは俺だ!」 ハグリッドの言葉にハリーは、やっぱりと確信した──マリーはあの夜、あの場にいたのだ。 「崩れた炎の燻る家で、血だらけでボロボロになりながらもハリーを守っていマリーは、俺にハリーを渡すと煙のように消えちまった──俺は正直、そん時にマリーは死んじまったと思った」 「でも、ガブリエルは生きていて、また戻って来たのでしょう?」 マダム・ロスメルタの疑問にマクゴナガルが答えた。 「えぇ……あの夜、マリーはダンブルドア校長にその事を伝えに来たのです。 しかし、うけた傷や呪いのせいで……報告を終えてすぐに意識を失い、一週間は眠り続けました」 「呪いを……? ガブリエルもあの夜、例のあの人から呪いを受けていたんですか?」 ファッジの興味深そうな声に、「私も詳しくは知りませんよ」とマクゴナガルは言葉を濁した。 「ただその事で、マリーは肉体的にも精神的にもかなり衰弱していました……。 だから、ダンブルドアは『秘密の守人』として、彼女の隠れ場所を十年間守って来ました」 なんと、とファッジはショックをうけた様子で呟いた。 「──マリーがいなくなっちまった後で、俺はハリーを見た。 可哀相なちっちゃなハリー、額におっきな傷を受けて、両親は死んじまって………そんで、シリウス・ブラックが現れた」 ハグリッドの言葉にマダム・ロスメルタが身を乗り出したのがわかった。 「いつもの空飛ぶオートバイに乗って──あそこに何のようで来たんだか、俺には思いもつかんかった。 奴がリリーとジェームズの『秘密の守り人』だとは知らんかった」 ハグリッドの声が自分を攻めるような淋しげな声色に変わったのに、宥めるようにマクゴナガルがその震える肩に触れた。 「『例のあの人』の襲撃の知らせを聞き付けて、何か出来る事はねぇかと駆け付けて来たんだと思った。 奴め、真っ青になって震えとったわ。そんで、俺が何したと思うか? 俺は殺人者の裏切り者を慰めたんだ!」 「ハグリッド!お願いだから声を低くして!」 吠えたハグリッドに、マクゴナガルが窘めるような声を上げたが、ハグリッドは怒りに顔を真っ赤にして拳を振り回し言葉を続ける。 「奴がジェームズとリリーが死んで取り乱していたんではねぇんだと、俺にわかるはずがあっか? 奴が気にしてたんは『例のあの人』だったんだ! マリーまでもが死んだかもしれねぇと知って動揺してたのは、『例のあの人』がマリーの能力を狙ってたから、死なれちゃ困ったからだ!」 カウンシル一族が持つ《言霊》をヴォルデモートが、狙っていたのは有名であった──カウンシル家が皆殺しにされたあたりから。 「ほんで奴が言うには『ハグリッド、ハリーを僕に渡してくれ。 ジェームズ達やマリーとの約束があるし、僕が名付け親だ。僕が育てる──』 へん! 俺にはダンブルドアが、ハリーはおじさんとおばさんのところにいくと言ってなさったと言った。 ブラックはごちゃごちゃ言うとったが、結局諦めた。 ハリーを届けるのには自分のオートバイを使えって、そう言った──『僕にはもう必要ないだろう』そう言ったな。 そして最後にこう言いやがった『マリーには悪いが、僕はやらなければならない事が出来た』 何が『悪いが』だ! それから奴はピーター・ペティグリュー達を殺したんだ!!」 「ペティグリュー……ホグワーツにいた頃はいつも二人の後にくっついていた、あの太った小さな男の子かしら?」 マダム・ロスメルタの問いにマクゴナガルが頷いた。 「ブラックとポッターの事を英雄のように崇めていた子でした……」 「ペティグリューは、ポッター夫妻を殺したブラックを自ら追った──そして英雄として死んだ。 目撃者の証言では、ペティグリューはブラックを追い詰めた。 泣きながら『リリーとジェームズが…シリウス!よくもそんなことを!』と言って杖を抜こうとしたが。 もちろん、ブラックの方が速かった──ペティグリューは木っ端微塵に吹っ飛ばされてしまった………」 マクゴナガルはチンと鼻をかみ、掠れた声で言った。 「馬鹿な子……どうしょうもなく決闘がへたな子でしたわ。 魔法省に任せるべきでした」 「魔法省でも、魔法警察舞台から派遣された『特殊部隊』以外は、追い詰められたブラックに太刀打ち出来る者はいなかったろう。 私はその時、現場に到着した第一陣の一人だった」 ファッジは青い顔で呻くように言った。 まざまざとその光景を思い出しているのだろう。 「私は、あの──あの光景が忘れられない。今でも時々夢に見る。 道の真ん中を深くえぐったクレーター、その底で下水管に亀裂が入っていた。 死体が累々と散らばり、マグル達が悲鳴をあげるその場に、ブラックは仁王立ちになり笑っていた。 その前にペティグリューの残骸が──」 ファッジの声が途切れると、鼻をかむ音が聞こえた。 「さて、そういう事なんだよ、ロスメルタ。 ブラックは魔法警察部隊が二十人かがりで連行し、ペティグリューは勲一等マーリン勲章を授与された──哀れなお母上にとっては、これが少しは慰めになった事だろう。 ブラックは以後ずっとアズカバンに収監されていた」 ハリーは混濁し始めた意識の中で、どうして誰もなにも教えてくれなかったのだろうと考えた。 ダンブルドア、マリー、ハグリッド………どうして、誰も、ハリーの両親が無二の親友の裏切りで死んだという事実を話してくれなかったのだろう? どうして、自分はこんなにも無知なのだろう──ハリーは目の前の先生達の足が消えていくのを静かに見送りながら、そればかり考えていた。 ・・・ 十二月に入っても雨は続いた──あのクィディッチの試合以来、雨が晴れることはない。 そんな冬の長雨も、学期が終わる二週間前にはがらりと天候が変わり。 眩しい乳白色になったかと思うと、ある朝、泥んこの校庭がキラキラ光る霜柱に覆われていた。 白く変わった景色に、城の中は一気にクリマス・ムードで満ち溢れた。 ロンとハーマイオニーは、ハリーと共にホグワーツに居残る事に決めていたが、レイナは新しい学校の事を親に話してあげたいと休暇は家に帰る事にしたらしい。 マリーはクリスマスをどうするか決めていなかったが、去年のようにスネイプに聞きに行く気にはなれなかった。 (どんな顔で、聞きに行けばいいと言うんだ) 学期最後の週末にホグズミード行きが許され、喜び勇んでホグズミードに生徒が行っているせいで人気のない図書館で、マリーは窓辺に腰掛けて本を開きながら一つため息を吐いた。 本の内容がさっぱり頭に入ってこないので、マリーは諦めて本を閉じると側に積み上げていた本のタワーにそれを重ねた。 深い溜め息を吐いて額に手を着いて俯くと、近付いて来た足音が目の前で止まりゆっくりと顔をあげた。 まともに顔を合わせたのはいつ以来だったか──目の前に立つスネイプにマリーは目を細めた。 「何か、用……ですか?」 「ここに生徒はいない、司書も席を外している」 「………うん、知ってる」 逃げ道を塞ぐような言葉に、敵わないな、と呟いてマリーは目を伏せた。 姪の──婚約者の姪のふりをしていないと、何かが溢れてしまいそうで被った仮面をいとも簡単に外してしまう彼に苦笑を零す。 「マリー」 距離を詰めたスネイプが、逃すまいとするようにマリーを囲うように窓枠に手を着いて顔を寄せた。 至近距離で黒と碧が交わる。 吐息が唇を掠める程の距離で、スネイプは口を開いた。 「ダンブルドアから、お前が書いた“遺書”を渡された」 「な─…ん、で……」 動揺に声が震え視線が揺らぐ、スネイプの右手がゆっくりと頬を撫ぜ、マリーが顔を逸らすことさえ許さない。 「それを読めば、全て知る事は簡単に出来るだろう。 しかしな……私は、やはりお前の口からそれを聞きたい」 それが、大きな我が儘だとしても、とスネイプは囁いた。 「今すぐに話せ、といっているわけではない。 ゆっくりでいい、お前の言葉で真実を知りたいのだ……」 スネイプの真っ直ぐな言葉に、マリーの視界が揺らいだ。 「手紙の内容を──ダンブルドア先生は、君に伝えたのか……?」 「いや、ただ我輩が知らない真実がまだあるとだけは教えられた。 ──この前の、守護霊のようにな……」 「“彼”は美しかっただろう……?」 潤んだ目でマリーは微かに笑った。 スネイプはあぁ、頷いた。 「お前と同じ碧瞳だった」 スネイプのかさついた指がマリーの濡れた目の淵をなぞった。 マリーはその手に身を任せるように目を伏せた。 「手紙の内容を私が口にするのには……君がその内容を受け止めるには……まだ早いと思う」 「それは時が解決する事か……?」 「時間しか解決出来ない事もあるだろ」 しかし、スネイプの懸念には気付いていた──自分はおそらく彼ほどは生きれないだろう。 “私”の死が間近に迫っているのは、自分の事だから1番わかっているつもりである。 「でも……私が話す前に時が終わってしまえば、読んでくれていい……」 「マリー……」 「どうやっても、私はもう長くはない」 頬を撫ぜていた手が背中に回されきつく抱き寄せられた。 包み込むような独特な薬品の匂いに混じる彼の匂いに、微かに目眩を感じた。 震えながら抱きしめ返した腕は、あと何度彼の背に回す事が出来るのだろうか。 ぽろりと目尻に溜まった雫が零れた。 「話せたらいいんだがな……私にはまだ無理なんだ……」 「あぁ」 「それに、君も聞きたくはないだろ? リリーの最後なんて──」 それに知りたいと望む真実の中に、彼が受け入れがたい内容が入っている事を知る筈もないだろう。 そう──彼が憎むシリウス・ブラックがリリー達を殺したのではなく、ピーター・ペティグリューこそが真の犯人である事など、彼は受け止めようとは、信じようとはしないだろう。 そして、そのシリウスに今自分が加担しているなど──怒り狂うかもしれないが、話してもあまり意味がないとわかっていた。 昔の経験から、スネイプは憎むべき悪戯仕掛け人を陥れる事はしても、手助けはしない事はわかっていた。 「──彼女の死について知る覚悟はある、10年も前からな。 しかし……私に話していないのは、それだけではないのだろう?」 「うん……」 あの夜の事、ある夜の事──何が起こったのか、話すにはまだ痛みが伴う。 姉の、リリーの、ジェームズの、最期は未だに記憶に鮮明だ。 「重いよ、セブルス………」 何が、とは言わなかったが背中を抱く腕に力が篭った。 「それを共に背負う覚悟はあるのだぞ」 「………ありがとう」 スネイプの気持ちは嬉しかったが、これは墓場まで自分で背負っていくものだと理解している。 零れた弱音は、きっと彼にだからこそ見せれた自分の弱ささ。 「セブルス、愛してる」 「私もだ……」 重なる唇に、涙がまた一滴零れた。 「今年は、家には帰れないだろうな……」 呟かれた言葉に窓辺に座ったまま、すぐそばに椅子を寄せて座っていたスネイプを見下ろした。 「だと思った」 低い位置にあるスネイプのつむじが消えて、不機嫌そうな黒い瞳がこちらを見上げる。 「シリウスをほったらかして、君は休暇はとらない気はしていたよ──過去の怨みや、ハリーの為にもね」 少し茶化して言うとスネイプはふんと不機嫌そうに鼻を鳴らした。 顎を引いたスネイプのつむじをまた見下ろしながら、不思議な沈黙に首を傾げる。 「……」 「セブルス?」 「マリー」 「うん」 「来年の春にでも、式を挙げないか」 「──……」 息が止まるような感覚に答えも出せずにスネイプのつむじを見つめていると、すぐに顔を上げたスネイプと目があった。 じっと見上げてくる真摯な目線に、彼の覚悟と愛情が見てとれる。 嬉しさが心を占める中、確かにマリーの中に承諾を躊躇う気持ちがあった──しかし、先の見え初めている自分に、彼を縛り付けていいのだろうかとも思った。 嬉しいと、愛おしいと思う気持ちに反して、躊躇いが伸ばしたい手の動きを止めてしまう。 「お前が躊躇う理由はわかっているつもりだ。 だが、私は十年も待った……この先も、お前を忘れる事は出来ないだろう」 二年前までスネイプは十年間、ポッター夫妻が死んだあの夜から消えたマリーの死をどこかで覚悟しながらも、その気持ちが変わる事はなかった。 膝できつく握られた手に、スネイプの大きな手が重ねられた。 「たとえ短い時間だとしても、互いの気持ちが通じあっていたのだと知っていれば──もう、それだけでいい」 「セブルス……」 「答えは今でなくてもいい、お前が納得した時にで構わん」 ゆっくりと微笑まれ、マリーもまた自然に笑い返す事が出来た。 「ありがとう、セブルス」 スネイプの手を握り返して笑うマリーを、スネイプは慈しむように目を細めて見つめた。 「我が儘を許して」 「我が儘など……お前は、臆病者なだけだ。 自分が幸せになる事を、お前はいつも躊躇う」 「……そう、だね」 図星をつかれたようでマリーは少し困ったように頬をかいた。 ふと、マリーが顔をあげて図書館の入口を見た。 静かな部屋に足音が近づいてくるのにスネイプも気付き名残惜しそうその手を話した。 マリーは窓辺から降りると近づいて来る気配に、首を傾げた。 「ハリー……?」 窓を挟むように立つ本棚の間にマリー達と対面するように立つハリーは、虚な表情でマリーを見つめていた。 「ハリー、一体どうしたん──」 「……何で教えてくれなかったんだ」 「え?」 震えた声で吐き出された言葉に、マリーは眉を潜めた。 「何故、貴女はそこまで関わっていて──何故、シリウス・ブラックが両親の死に関わっていると教えてくれなかったんだ!!」 「──……」 ハリーの慟哭にマリーは動揺を見せなかった。 「ハリー、誰に聞いた?──いや、まぁ予想はつくか……」 「知っていた人達と僕は会っていた、なのに今まで、そんな話教えてくれなかった!」 「知ってどうする──彼を追い、復讐に殺すか?」 マリーの目は冷たい程に冷静にハリーを見据えていた。 「……貴女は違うの?」 マリーの斜め後ろに立っていたスネイプは、ハリーの瞳の中に激しい怒りが荒れ狂うのを見た。 「父さんを裏切ってヴォルデモートのもとで働いていた奴が、僕の両親の死を企てて。 貴女まで殺そうとしたのに、奴を貴女は憎くないのか?!」 見下ろしたマリーの碧眼に悲しみも怒りもなく、ただ怒りと憎しみと悲しみに流される少年を、恐ろしいほどに冷静に見つめていた。 「ヴォルデモートの存在を感じると貴女だって傷が痛みはずだ! なら、吸魂鬼が近づくと貴女も見るんでしょ?──あの夜の事を」 「……あぁ」 マリーの低い返事にスネイプは眉を潜めた。 見る──とはどういう事なのだろうか。しかし、スネイプにはこの会話に口を挟む事は出来なかった。 二人と違い、スネイプはあの夜の当事者ではなかったからだ。 「マリーさん、僕は聞こえるんだ……。 母さんが泣き叫んでヴォルデモートに命乞いをする声が──自分の母親が殺される直前にあんなへうに叫ぶ声が聞こえるんだ」 ハリーはそう言いながら聞こえる声を振り払うように頭を抱えて首を横に振った。 「マリーさんは、違うの?」 「──私は」 微かにマリーの表情が歪んだ。 「私の頭から、悲鳴と鳴き声が消えた事はないよ──十年も前から一度も」 「!!」 「途切れた事など……ないんだ、ハリー」 「なら、何故!?」 「ハリー」 マリーの澄んだ声に、ハリーの瞳に正気が戻る。 「真の真実を知れ──人の声に、言葉に躍らされず、己の真実を見つけろ」 マリーの言葉にハリーは目を見開いた後、それを否定するように首を横に振った。 「これが、僕にとっての真実だ」 「ハリー!」 走り出したハリーの背中にマリーの咎めるような声が追ったが、ハリーは止まることなく走り去ってしまった。 「──……」 「奴は幼い、受け止めるにはまだ早い」 目に見えてしゅんとした背中にそう言葉をかけると、苦く笑いながらマリーが振り返った。 「でも、いつかは知るんだね……ハリーも君も」 「あぁ、そうだ」 マリーは悲しげに笑った。 (知らないでくれればいいのに)