レイナが日本に帰ってしまうと、マリーはあの部屋に一人になってしまう。 今の精神衛生上、昔を思い出すのも──ハリーと顔を合わすのも気まずいため、マリーはスネイプの部屋で一緒に休暇を過ごす事にした。 ぺらりと、薄い日焼けした紙がめくられる。ソファーに横になりながらマリーは本を開いていた。 デスクで研究結果をまとめていたスネイプは昼食以降から何故か不機嫌だった──ハリーを避けてしまい昼食に行かなかったマリーは、“いやな思い出”を思い起こす禿鷹の剥製をてっぺんに乗せた魔女の三角帽子のせいだとは知らなかったので、そんなスネイプを不思議に思いながらマリーは窺っていた。 そろそろ聞いてもいいだろうか、と少しは機嫌が戻り初めている様子のスネイプに声をかけようと、本から顔を上げたマリーの言葉を遮ったのはノックの音だった。 二人でドアを振り返り、マリーがソファーから起き上がってから、スネイプが「どうぞ」と入室を促した。 部屋に入って来たのはマクゴナガルだった──マリーはその手にある箒に首を傾げた。 「失礼します、スネイプ教授。 やはりここにいましたか、マリー」 仲がよろしいようで、といささか呆れたように笑うマクゴナガルに居住まいを正しいながら、マリーはまさかハリーとは顔を合わせ辛い状況になっているからとは言えず、曖昧に笑ってごまかした。 「私に、何か?」 「えぇ、そうです。貴女が、ハリーに箒を贈ったのかを確認しに来ました」 「ハリーに箒……」 そう呟きながら、マクゴナガルの手にある新品のファイアボルトを見た。 後頭部にスネイプの「また甘やかしやがって」と言わんばかりの痛い視線を受けつつ、違いますよと横に振り掛けた首を止めた──ふと、贈り主に予想がついてしまったのである。 不自然な位置で止まったマリーの首に、マクゴナガルが不審そうに目を細めている。 おそらくスネイプも同じような表情をしていると思う。 (あの、馬鹿野郎……っ) 心中で旧友に悪態を吐き捨てて、マリーはなんとかゆっくりと首を横に振った。 「いえ……今年はハリーにお菓子の詰め合わせを贈りましたから。 その箒は私ではありませんね」 「そうですか……」 幾分表情を暗くしたマクゴナガルに、スネイプは固い声で「ならば誰がそれを」とたずねた。 「この事を知らせてくれた、ミス・グレンジャーの意見には私も同意見でした。 ブラックです、おそらくシリウス・ブラックがハリーに送ったものでしょう」 (その通りでしょうね……) しかし、懸念する事は何もないだろうなとマリーは断言できた。 おそらく彼は、箒を失ったハリーに今まで渡せなかったプレゼントを渡したいと言う気持ちが、溢れ出した結果だろう。脱獄した後の自由に少々、気持ちが浮ついているのだ。 短慮であったとは思うが、わからなくもないなとマリーには理解出来る気持ちであった。 でも、今は目の前の二人に話しても信じて貰えるはずもなく、マリーは知らないフリを決め込んだ。 「では、これはすぐにでも呪いがかけられているか、確認してみます」 「私がやりましょうか?」 そうすれば《言霊》を使ってさっさとハリーの手に、マクゴナガルを始めとする教授陣が確認するより早く返す事が出来るのは明白であったが。 マクゴナガルはそれを丁寧に断った。 二人の時間を裂くわけには行けませんからと、穏やかに笑うマクゴナガルに、頬がこわばる。 ダンブルドア──いや、教授陣は、マリーとスネイプのなまじ学生時代から見守って来ているせいか、時折このような暖かい視線を送ってくるため、恥ずかしさから居心地悪い思いがする。 スネイプも同じで、咳ばらいをしてごまかしていた。 退室していったマクゴナガルを見送ってから、マリーは深い溜め息を吐きながらソファーにずるずると沈んでいった。 「マリー?」 「これは……一波乱あるな」 「相変わらず意味がわからん」 いつもの口ぶりに呆れたようにそう呟いて、興味を無くしたようにスネイプが手元の資料に視線を落とした。 マリーはぼんやりとまた小さく溜め息を吐いた。 その言葉は、年を明けて学期が始まる頃に、ばっちり的中するのだった。 ・・・ 冬の寒さを部屋の中でも体験出来るのではないか、というほどにハーマイオニーとハリー達の仲は険悪になっていた。 ハーマイオニーに気の利いた言葉をかけられるわけでもなく、#マリ#ーには相変わらず苦い顔を見せるハリーに声をかける事が出来ず。 より一層、彼らとの距離を作り上げてしまっていた。 マリーは困ったように頬をかくと、ふと無意識に右目の瞼を指でなぞった。 あるはずもない傷が痛んだような気がして、誰にも聞こえないように小さく舌打ちをする。 巻き戻したとしても、時は確かに体に刻み込まれていた。 ルーピンがハリーに吸魂鬼防衛術の訓練を初めてから一ヶ月が経とうとしていたが、ハリーはいまだマリーに声をかける決心がつかないでいた。 ──理由は、特訓の度に聞く父や母、彼女自身の悲痛な悲鳴を聞いてしまうからだった。 ただ、彼女が言った 『真の真実を知れ──人の声に、言葉に躍らされず、己の真実を見つけろ』 と言う言葉が、喉にひっかかった魚の小骨のようにハリーの何かを、チクチクと刺しては痛ませた。 しかし、ハリーには『ブラックが両親を裏切った憎むべき相手』と言う“真実”しかなかった。 ハリーは殊更ぼんやりとするようになったマリーの横顔を見つめ、彼女の真実はなんだろうかと思い描くばかりだった。 そして、ルーピンから一度だけ話を聞かされた──マリーの守護霊とはどんなものなのだれうかと、自分の頼りないそれを見るたびに思うのだ。 しかしそれでも、対ハッフルパフ戦には十分効力を発揮した──マルフォイ扮した偽吸魂鬼相手にではあったが。 ハッフルパフ戦の勝利にクィディッチ優勝杯をとったかのように寮では一日中パーティーは続いた。 いつまでも終わりが見えない盛り上がりを見せるパーティーをお開きにさせたのは、午前1時、マクゴナガルがタータン・チェックの部屋着に、頭にヘア・ネットという格好で現われ、もう全員寝なさいと命令した時だった。 ハリーはロンと寝室への階段を上がる時もまだ、試合の話をしていた。 自分のベットにつくころにはグッタリ疲れて、ハリーはベッドに上がり同じくベッドに寝転んでいたロンにおやすみと言うと四本柱にかかったカーテンを引いた。 ベッドに差し込む月明かりがなくなると、たちまち眠りに落ちていくのを感じた。 ハリーは奇妙な夢を見た。 夢の中でハリーは、荒れ地に立っていた。 自分を取り囲むように白い墓石が見えた。 見下ろす焦土には一人の女性が横たわっていた。 横たわる女性は、ぴくりとも動かない。 ハリーがゆっくりと手を伸ばしその女性の肩を掴んでその顔を覗き込んだ。 眠るように動かないその女性に、ハリーは自分の口元が微笑んでいるのに気付いた。 その女性は──マリーだった。 「あああああああアアアアァァァァっっッ!」 自分の悲鳴なのかわからないそれに、ハリーは突然目を覚ました。 真っ暗な中で方向感覚を失いながらもハリーはカーテンを闇雲に引っ張った。 周りで人が動く音が聞こえ、部屋の向こうから「なにごとだ?」と寝起きで間の抜けたシェーマスの声がした。 その声に被って、ハリーは寝室のドアがバタンと閉まる音を聞いたような気がした。 やっとカーテンの端をみつけ、ハリーはカーテンをバッと開けたのと同時に誰かがランプをつけ部屋の惨状が浮かび上がる。 ロンがベッドに起き上がっていた。 カーテンが片側から引き裂かれ、ロンは恐怖で引き攣った顔をしていた。 「ブラックだ!シリウス・ブラックだ!ナイフを持ってた!」 「エー?!」 「ここに!たったいま!カーテンを切ったんだ!それで目が覚めたんだ!」 「夢でも見たんじゃないのか、ロン?」 ディーンが欠伸まじりに聞いた。 「カーテンを見てみろ!本当だ、ここにいたんだ!」 確かにロンのカーテンは鋭利なもので切られたように断面が綺麗だった。 みんな急いでベッドから飛び出した。 ハリーが1番先に部屋を飛び出し、続いて皆も階段を転がるように談話室まで降りた。 談話室には消えかかった暖炉の残り火がほの明るく、まだパーティーの残骸が散らかっていたが、誰もいなかった。 「ロン、夢じゃなかった?」 「ほんとだってば、ブラックを見たんだ!」 「なんの騒ぎ……?」 「マリー!」 男子寮と女子寮の間に位置する部屋にいるマリーが、騒ぎを聞き付け階段を下りて来た。 その後ろに双子とパーシーの姿がある。 開いたドアからは、こちらを伺う眠そうな目がいくつか見える。 「いいねぇ、また続けるのかい?」 「みんな寮に戻るんだ!」 ぼんやりとハリー達を見るマリーの後ろでフレッドが陽気に、パーシーはいらいらとした様子で言葉を並べた。 「パース──ブラックが出たんだ!僕たちの寝室に!ナイフを持って!」 談話室がシーンとなった。 「ナンセンス!」 とんでもないと言わんばかりのパーシーと違い、マリーの表情が深刻そうに歪み足早に肖像画のドアに歩みよる。 「まったく、いい加減に──マリー?」 ちょうど怖い顔で談話室に入って来たマクゴナガルの脇を抜けたマリーに驚いたような顔をして、外へ出てしまったマリーとハリー達を見比べると、マリーの後を追い掛けてもう一度外に出ていった。 談話室にいた全員が息を殺して、耳をそばだてていた。 「卿よ、先程男を一人通されたか?」 「通しましたぞ、騎士殿!」 「──シリウス・ブラックを寮の中に?」 「そうだ!」 マリーの静かな声に対してガドガン卿が叫んだ。 談話室の外と中が、同時に愕然として沈黙した。 「と…通した?あ、合言葉は!」 マクゴナガルの動揺した声が聞こえた。 「持っておりましたぞ!」 ガドガン卿は誇らしげに言った。 「ご婦人、一週間分全部持っておりました。 小さな紙切れを読み上げておりました!」 マクゴナガルだけが肖像画の穴から戻り皆の前にたった。 驚いて声のでないみんなの前で、マクゴナガルは血の気の引いた蝋のようなような顔だった。 「誰ですか」 マクゴナガルの声は震えていた。 「今週の合言葉を書き出して、その辺に放っておいた、底抜けの愚か者は誰です?」 咳ばらい一つない静けさを破ったのは小さな悲鳴だった。 ネビルがガタガタ奮えながら、そろそろと手をあげていた。 「部屋に早く戻りなさい!貴方もです、ロングボトム! 塔からは決して出ない事です」 マクゴナガルの声に生徒たちは慌てたように部屋に戻っていく。 ハリーもその流れに乗りながら、外に出たマリーが扉の隙間からこちらを見つめているのに気付いた。 少し視線があった後、マリーの姿はマクゴナガルに続き閉じられた扉の向こう側に消えた。 ・・・ 叫びの屋敷の暗闇に一人の少女の姿が浮かび上がった。 少女は──マリー、寝巻にガウンと言う薄手でそこに立っていた。 見つめる先には、冷めやらない興奮を晴らすように部屋を荒らしまくったブラックの背中があった。 「どういう事だ?」 ざわめくような冷たい視線を受けながらも、ブラックは未だ“奴”を殺しそこねた興奮を残した声色でマリーに答えを返した。 「クルックシャンクスが私の所に奴を連れてこようとしたが、出来なかった……!」 「ならば、君が出向くと……? ──今、城は大騒ぎだ、再び君を捜索している。今以上に警戒は厳しくなる!」 マリーは苛立ただしげに握った拳を振った。 「これ以上疑わしい点を増やすな、シリウス! 何の為に私がいる!何の為に私が知る真実があると言うんだ!」 「マリー──……」 シリウスの目に渦巻いていた興奮と怒りが、マリーの悲しみに触れて霧散した。 「君が、これからも自分一人で動くという態度をとるんなら、それでもいい……。 だだ、それなら私も勝手に動かせて貰う」 二人の微かに乱れた呼吸音しか聞こえない沈黙の後で、ブラックが目を伏せて深い息を吐いた。 「──……悪かった、マリー」 ブラックは掠れた声でそう呟くと俯いた。 マリーは、俯いたことでブラックの表情を隠す深い影を見つめていた。 「頼む……今の私だけじゃ、君を庇い切る事は難しいんだ。 行動を起こすんなら、まず話をしてくれ」 「あぁ、すまない……」 「君が焦る気持ちは、わからなくもない」 マリーは苦々しくそう呟いて視線を足元に落とした。 時間がないのは、お互い様なのだ。 「マリー?」 「いや──なんでもない」 心配そうに伸ばされた手を掴みながら、マリーは苦く笑った。 ブラックは何か言いたげに口を薄く開いたが、諦めたようにキッと薄い唇を引き結んだ。