「──言語道断……あろうこと……誰も死ななかったのは奇跡だ……こんなことは前代未聞。 いや、まったく、スネイプ、君が居合わせたのは幸運だった」 「恐れ入ります、大臣閣下」 覚醒仕切らない意識の中で、ハリーは離れたところから聞こえてくる人達の声を聞いていた。 ハリーはいつの間にか、医務室のベッドに横たわっていた。 「マーリン勲章、勲二等、いや、もし私が口喧しく言えば、勲一等ものだ」 「まことに有り難いです、閣下」 「ひどい切り傷があるねえ……ブラックの仕業、だろうな?」 「実は、ポッター達の仕業です、閣下……」 「まさか!」 「ブラックが三人に魔法をかけたのです、私はすぐわかりました。 三人の行動から察しますに、錯乱の呪文でしょうな。三人の行動に責任はありません。 しかしながら、三人が余計な事をしたため、ブラックを取り逃がしたかもしれないわけでありまして……三人は明らかに、自分達だけでブラックを捕まえようと思ったわけですな」 ハリーは目をしっかりと閉じ、横になったまま混乱していた──スネイプの言葉に理解が追い付かない。 あの場で話を聞いていて、マリーの話に納得し、ブラックの無罪を知っているはずなのに──。 何故だと、跳び起きて詰め寄りたいのに、手足が鉛のように重くて動かない。 「1番驚かされたのが、“吸魂鬼”の行動だよ……どうして退却したのか、君、本当に思い当たる節はないのかね?」 「ありません、閣下。 私の意識が戻った時には、“吸魂鬼”は全員、それぞれの持ち場に向かって校門に戻るところでした」 「不思議千万だ──」 「そして三人、いやその場にいた全員、私が追い詰めた時には意識不明でした」 しばし、会話が途切れた。 ハリーは胸の奥でざわめく感情に背中を押されるように目を開けた。 ハリーは暗い病室に横たわっている。 視界がぼんやりしている──眼鏡をしていないのだ──目を細めてやっと、部屋の1番端のベットにマダム・ポンフリーが屈み込んでいるのが見えた。 ロンの赤毛がそこで微かに見えて、小さな安堵の息が漏れた。 ハリーが枕の上で頭を動かすと、右側のベットに寝ていたハーマイオニーも緊張気味に一点を見ていた。 ハーマイオニーはハリーが目を覚ましているのに気付くと、唇に人差し指を当て、それから病室のドアを指差した──半開きになったドアから、廊下にいるファッジとスネイプの声が入り込んでいた。 「おや、目が覚めたんですか!」 こちらに戻って来たマダム・ポンフリーが、チョコレートの大きな塊を持ってハリーを覗き込んだ。 「ロンは、どうですか?」 ハリーとハーマイオニーは同時に聞いた。 「死ぬ事はありません。貴方達二人は、ここに入院です。 私が大丈夫だと言──ポッター、何をしてるんですか?」 ハリーは上半身を起こし、眼鏡をかけ杖を取り上げていた。 「校長先生にお目にかかるんです」 「ポッター、大丈夫ですよ」 マダム・ポンフリーが宥めるように言った。 「ブラックは捕まえました。上の階に閉じ込められています。 “吸魂鬼”が間もなく『キス』を施します──」 「えーっ!」 ハリーはベットから飛び降りた。ハーマイオニーもそれに続く。 しかし、二人の叫びが廊下まで聞こえていたらしく、次の瞬間、廊下にいた二人が病室に入ってきた。 「ハリー、ハリー、何事だね?」 ファッジが慌てふためいて言った。 「大臣、聞いてください!シリウス・ブラックは無実です! ピーター・ペティグリューは自分が死んだと見せかけたんです!今夜、ピーターをみました! 大臣、吸魂鬼にあれをやらせては駄目です!」 ハリーは矢継ぎ早に真実を述べたが、ファッジは微かに笑いながら首を振っている。 「ハリー、ハリー、君は混乱している。 あんなに恐ろしい試練を受けたのだし。 横になりなさい、さぁ、全て我々が掌握しているのだから……」 まるで駄々をこねる幼子に言い聞かせるように語るファッジに、ハリーは首を目一杯横に振った。 「してません!捕まえる人を間違えています!」 「大臣、聞いてください、お願い」 ハーマイオニーも急いでハリーのそばに来て、ファッジを見つめ、必死に訴えた。 「私もピーターを見ました。 ロンのネズミだったんです『動物もどき』だったんです、ペティグリューは、それに──マリーさんも! マリー・カウンシルだってこの真実を知っています」 ハーマイオニーの言葉に、ハリーは拳を握った。 名家であるマリーの名前を出せば、少しでも信憑性が増す──そう思ったのに、二人の反応は予想外のものだった。 「おわかりでしょう、閣下? 錯乱の呪文です、二人とも……ブラックは見事に二人に術をかけたものですな。 死人二人がまるで生きているかのような錯覚を」 「僕たち、混乱してなんかいません! それに、死人二人って──!」 ハリーの大声に、マダム・ポンフリーがついに怒った。 「大臣!スネイプ教授!二人とも出て行って下さい。 ポッターは私の患者です、患者を興奮させてはなりません!」 「僕、は!」 ハリーの言葉はマダム・ポンフリーが押し込んで来た大きなチョコレートに噎せこんだ──その隙にマダム・ポンフリーは間髪入れずにベットに押し戻し、大人二人に向き直った。 「さぁ、大臣、お願いです。この子達には手当てが必要です。 どうか、出て行って下さい──」 ほらほらと、追い立てるようにマダム・ポンフリーに追いやられた二人がドアを開ける前に、今度はダンブルドアがドアを開けて入って来た。 「なんてことです!病棟を一体なんだとお考えですか?」 「すまないね、ポピー。 だが、わしはミスター・ポッターとミス・グレンジャーに話があるんじゃ」 マダム・ポンフリーの癇癪に、ダンブルドアは穏やかに返した。 「たった今、シリウス・ブラックと話をしてきたばかりじゃよ──」 「さそがし、ポッターに吹き込んだのと同じお伽話をお聞かせしたことでしょうな?」 スネイプが吐き捨てるように言った。 「ネズミがなんだとか、ペティグリューが生きているとか──あつまさえ、10年以上前に死んだはずの、カブリエル・カウンシルが生きているなどと」 ハリーとハーマイオニーは言葉を失った。 ダンブルドアは半月眼鏡の奥から、スネイプをじっと観察していた。 「スネイプ先生!貴方もあの場で話を聞いていたじゃないですか! そんな、死んだなんて……マリーさんの貴方の」 ハーマイオニーは怯えたようにスネイプを見ていた。 スネイプは怪訝そうな顔でハーマイオニーを見下ろした。 「一体、私のなんだと──っ!?」 「どうしたのかね!」 急に痛みに堪えるように頭をやったスネイプに、ハーマイオニーは何かに気付いたように目を見開いた──頭を押さえるスネイプの薬指に、いつも光る指輪がないのだ。 「な、なんて事を──」 青ざめたハーマイオニーは震える声でそれだけ言うと口元を押さえた。 ハリーにもだんだん、マリーがスネイプにかけた《言霊》の正体がわかってきた。 「っ──大丈夫です、閣下。 先程、どこかに頭をぶつけでもしたのでしよう」 「君こそ、休息が必要じゃないのかね……」 「問題はありません、事がすめば──ゆっくり心から休める事が出来るでしょう」 ダンブルドアが、重々しく口を開いた。 「コーネリウス、セブルス、ポピー──席を外してくれないかの。 ハリー達とだけで話したいのじゃが」 「校長!」 マダム・ポンフリーは慌てて言ったが、ダンブルドアの横顔は固かった。 「事は急を要する──どうしてもじゃ」 マダム・ポンフリーは口をきっと結んで、大股で部屋を出て行った。 ファッジも金の懐中時計で時間を確認すると「吸魂鬼を迎えに出る」と行って、ファッジは病室の外でスネイプのためにドアを開けて待っていた。 しかし、スネイプは動かなかった。 「ブラックの話など、一言も信じておられないでしょうな?」 スネイプはダンブルドアを見据えたまま、囁くように言った。 「わしは、彼らとだけで話をしたいのじゃ」 ダンブルドアが繰り返した。 スネイプがダンブルドアに一歩踏み出した。 「お忘れになってはいますまいな、校長? ブラックはかつて我輩を殺そうとした事を、忘れてはいますまい?」 「セブルス、わしの記憶はまた衰えていないし──歪められてもいない」 ダンブルドアは静かに言った。 スネイプは踵を返し、ファッジが開けて待っていたドアから肩を怒らせて出て行った。 ドアが閉まると、ダンブルドアは額に手をあてて、ハリーとハーマイオニーの方を向いた。 「何て事をしてしまったんじゃ、マリー……! セブルスの記憶から自分を消してしまうなんて」 「──どうにも、これしか手が見つかりませんでして」 病室の暗闇から溶け出るように姿を表したマリーは穏やかに、そして悲しげに微笑みながら、悲痛な顔をする三人を見渡した。 予想していたよりもマリーは、ずっと穏やかな様子だった。 「セブルスから、自分を消して何になるんじゃ! 自分がやった事の罪深さをわかっておるのか!」 「はい、ダンブルドア先生──わかっております、これがどんなに最低な行為かなんて」 「マリー……」 ダンブルドアの激情は、マリーを前に勢いを無くしてしまった。 「どうしてなんだ、マリーさん! スネイプの記憶をなくしてしまったら、シリウスが救えない!」 「どのみち無理なんだよ、ハリー……ペティグリューがいなければ、シリウスに対する判決を覆すのは無理なんだ。 十三歳の魔法使いが証言しようが、狼人間が証言しようが──たとえ、スネイプ教授が発言しようが、無理なんだ」 マリーはハリーを諭すようにゆっくりと言った。 「世界に広まるこの偽り、それを“真実”で覆す為には力がない」 「なら、ダンブルドア先生は?! 僕たちの事を信じて下さるのでしょう?」 「むろん──しかし、わしは、他の人間に真実を悟らせる力はないし、魔法大臣の判決を覆す事も………」 ハリーは絶望に顔を俯け、拳をきつく握った。 「今、必要なのは──時間だよ」 マリーはそう静かに言ってハーマイオニーを見た。 ハーマイオニーはそれに、何かに気付いたように目を見開いた。 「……よく聞くのじゃ──」 ダンブルドアはごく低い声で、しかも、はっきりと言った。 「シリウスは八階のフリットウィック先生の事務所に閉じ込められておる、西塔の右から十三番目の窓じゃ。 首尾よく運べば、君達は、今夜一つと言わずもっと、罪なきものの命を救う事ができるじゃろう。 ただし、二人とも忘れるではないぞ」 ダンブルドアの低い声を頭に叩き込みながら、喉がゴクリとなった。 「見られてはならん。 ミス・グレンジャー、規則は知っておろうな──どんな危険を冒すのか、君は知っておろう。 誰にも、見られてはならんぞ」 ハリーには何がなんだかわからなかったが、ハーマイオニーは重々しく頷いた。 ダンブルドアは踵を返し、ドアのところまで行ってから振り返った。 「マリー……後で詳しく話を聞くぞ。 それまで閉じ込めておく彼らを見張っておれ」 「──はい、わかりました」 ダンブルドアは腕時計を見た。 「今は──真夜中5分前じゃ。 ミス・グレンジャー、三回ひっくり返せばよいじゃろう──幸運を祈る」 ハリーはダンブルドアがドアを閉めた後、ハリーは繰り返した。 「“幸運を祈る”?“三回ひっくり返す”? いったい、何のことだい?」 ハリーの疑問に答える事なく、ハーマイオニーはローブの襟のあたりをごそごそ探ると、その中からとても長くて細い金の鎖を引っ張り出した。 「ハリー、こっちに来て」 ハーマイオニーが急き込んで言った。 「早く!」 ハリーはさっぱりわからないまま、ハーマイオニーの側に行くと、ハーマイオニーは鎖を突き出していた。 その先に小さなキラキラした砂時計がついている。 「マリー……貴女は行かないのね?」 「後で、来る君達にきちんと、説明しなければならないしね──幸運を祈る」 そう言ってひらりと手を振ったマリーに、ハーマイオニーは頷いた後、ハリーの首にも鎖をかけた。 「いいわね?」 ハーマイオニーが息をつめていった。 「僕たち、何をしてるんだい?」 ハリーの未だにわかっていない様子を無視して、ハーマイオニーが砂時計を三回ひっくり返すと、二人の姿は溶けるように消えた。 そしてすぐに、ドアが開いた──入ってきたのは、先ほど目の前で消えたはずのハリーとハーマイオニーだ。 体を急いで医務室に滑り込ませると、鍵を締め直す。 「おかえり、二人とも。無事に済んだようだね」 マリーは振り返って二人を出迎えた。 「さて、話をする前に──マダム・ポンフリーが戻る前にベットに入って」 慌てた二人がベットに潜り込むと、次の瞬間マダム・ポンフリーが病室に戻って来た。 「校長先生がおかえりになったような音がしましたけど? あら──ミス・カウンシル、こんな時間に貴女、一体……」 「ダンブルドア先生から、ハリー達の混乱が少しでも落ち着けばと。 お言葉に甘えまして……マダムの治療の邪魔はしませんので、側にいさせてください」 ひどくご機嫌斜めのようだったが、マリーの言葉におそらく《言霊》が混ぜられていたのだろう、マダム・ポンフリーに病室から追い出される事はなかった。 マダム・ポンフリーが差し出すチョコレートを黙って食べながら、いつ話が聞けるのだろうかとちらちらとマリーを見ていたが、マリーは窓の外に浮かぶ月をぼんやりと見上げていた。 すると、二人がマダム・ポンフリーが差し出す四個目のチョコレートを受け取ったその時、遠くで怒り狂う唸り声が聞こえた──驚くマダム・ポンフリーの横で微かにマリーの表情に悲しみが映ったのを二人は見た。 怒声が近づいてきて、そしてバーンと、病室のドアが猛烈な勢いで開いた。 ファッジ、スネイプ、ダンブルドアがつかつかと中に入って来た。 ダンブルドアだけが涼しい顔だが、マリーとスネイプを見る目は悲しげだ──当の本人であるスネイプは逆上しているように見えた。 「白状しろ、ポッター!一体何をした?」 マダム・ポンフリーがスネイプの大声に、場所を弁えて下さいと金切り声を上げ、ファッジが無茶を言うなと声を荒げた。 「ドアには鍵がかかっていた。今、見た通り──」 「こやつらがやつの逃亡に手を貸した、わかっているぞ!」 スネイプは、ハリーとハーマイオニーを指差し、喚いた。 顔は歪み口角泡を飛ばして叫んでいる──その場にいる、マリーなど見えていないようにハリーを真っ直ぐに睨みながら。 「もう充分じゃろう、セブルス」 ダンブルドアが静かに言った。 スネイプは立ちすくんだようにハリーを睨み、ダンブルドアを睨んでから、スネイプはくるりと背を向け、ローブを翻し病室から嵐のように出ていった。 「あの男、どうも精神不安定じゃないかね」 「今は、不安定──なのかもしれんの。 酷く絶望し、打ちのめされておるんじゃろう」 覚えておらずとも──独り言のように呟かれたダンブルドアの言葉は、ファッジには聞こえていないようだった。 「さてと──もう行かなければ、省の方に知らせないと」 「それで、“吸魂鬼は”? 学校から引き揚げてくれるをじゃろうな?」 「もちろんだ。今夜にもさっさとアズカバンに送り返すよう指示しよう。 ドラゴンに校門を護らせる事を考えてはとうだろうね……」 そんな事を話しながら二人が部屋を出て行くと、マダム・ポンフリーはドアの所に飛んでいき、また鍵を閉めるとぶつぶつ言いながら事務所へと戻っていった。 病室の向こう端から、低い呻き声が聞こえた。 そちらを振り返るとロンがベットに起き上がり、頭を掻きながら周りを見回してる。 「ど、どうしちゃったんだろ、ハリー? シリウスは?ルーピンは?何があったの」 「今、説明するよ──マリーさんがね」 ベット脇に座っていたマリーは、説明の丸投げは良くないよと言って苦く笑った。 「薄々、感づいているんだろうね。 私が、君達意外の人間から記憶を奪った事に」 窓の外へ浮かぶ満月を見上げながら、マリーはぽつりぽつりと言葉を並べ始めた。 「貴女を知る全ての人間に、《忘却術》を使ったっていうの?」 「それは、流石に無理だよハーマイオニー、あれはなかなか高度な術だ。 ある一つの事柄だけを上手く消して取り繕うには、時間も手間もかかる」 「──《言霊》を、使ったの?」 ハリーの重く低い声に、軽い声でマリーはあぁと頷き返した。 「複雑なものを何層も重ねてね──もともと私に関わりのない人間には簡単だ。 “十年以上前に死んだ”と言う記憶を植え付けてしまえば、私をわざわざ思い出す事はない。 その他の、学校の生徒達やなんかはね、徐々に私の記憶が消えていくようになってる──私を思い出したり、口にしたりするたびに」 ぼんやりと話すマリーの#横顔#には、薄く苦笑が浮かび自嘲的な色も濃くうつりこんでいた。 「私達とダンブルドア以外は、マリーの事を忘れてしまったの?」 「残念な事に、この《言霊》は付き合いや思い出が多いほど効き目は悪いんだ」 「なら、なんでスネイプが…!」 「1番、記憶を消さなければならない相手だったからだよ」 マリーの答えに三人は息を飲んだ。 「──君達には、黙っていたんだけどね。 私は、もう永くないんだよ」 「え──……?」 目を見開きマリーを凝視するハリーを見ながら、マリーは困ったように口の端を歪めた。 「この学校に来た段階で、私は呪いのせいで余命二年を宣告されていたんだ。 こうやって体の時間を巻き戻してみたが、それがどれだけの影響を及ぼしているのかはわからない」 マリーは成長途中の線の細い体に手を当てて、吐き出すようにゆっくりと話した。 「だからこそ、あまり未練は残したくないんだ……」 自分勝手な話だと言うのはわかっている──マリーはそう呟きながら胸の辺りをくしゃりと握りしめた。 「あの人が──私の死で苦しむ事も、望んじゃいない」 「だからって!! だからって、マリーさんを忘れたからって──スネイプが幸せになるはずないだろ!!」 ハリーは叫び、ベットの脇に座っていたマリーの胸倉を掴んだ。 「悲しんで欲しくないからって記憶を消すなんて──貴女は、自分勝手だ! そんなのなんの幸せにも繋がらない!!」 「うん──わかってるんだよ、ハリー。 でも、これしか方法はないんだ……」 「なん、で……!」 ハリーの涙に濡れる頬を撫ぜながら、マリーは悲しげに顔を皺くちゃにして歪つに笑った。 「ずいぶん前から考えていた事なんだ。 もし、私がいつか呪いによってヴォルデモートの手に堕ちた時──記憶がない方が、殺すのに躊躇いはないだろう?」 それは、いつか来る未来への布石──絶対に自分の力が悪用されない為の悲しき最悪の手段。 ハーマイオニーもロンも静かに泣いていた。 なんとなくマリーがここまで素直に説明してくれた理由がわかったのだ──きっと自分達の記憶も彼女は消すつもりだと言う事に。 ハリーは零れる涙をそのままに、拳をきつく握りしめた。 「悲しくは、ないの──?」 「──私には、思い出があるから。それを糧に最期の時まで、生きるよ」 涙で震える声でなんとか呟いた問いにも、マリーは穏やかに笑っていた。 膝の上で握りしめていた手を伸ばしてハリーは、マリーに抱きついた。 「でも……でも!僕は絶対に嫌だからっ! マリーさんを忘れるなんて嫌だ!」 「ハリー……」 ハリーの震える肩を撫ぜながら、マリーは目を細めた。 聞き分けのない子供のように泣き叫びながら、ハリーはマリーの幼い体に縋り付いた。 「ハリー、ごめんな。 最低で自分勝手な大人なんだよ、私は……」 ハリーの震える背中を宥めるように叩きながら、マリーはゆっくりと言葉を紡ぐ。 ハリーはしゃくりを押さえながら、出来るだけ穏やかに言った。 「だったら、お願い──僕に貴女の最期を看取らせて」 「──……」 「貴女の最期を看取り──僕が、ヴォルデモートに貴女を奪われる前に……殺すから」 「ハ、リー……」 「嫌だ、貴女を、こんな形で、僕は失いたくないっ!」 ぎゅうっと力一杯抱きしめてくるハリーの肩ごしに満月を見ながら、その碧眼を潤ませていた。 「私も──私も貴女を支えたい! 一人より、二人よりももっと強いはずですもの」 「ハーマイオニー……」 「ぼ、僕も! スネイプが忘れてるんなら、誰がマリーさんを守るって言うんだ!」 「ロン……」 ハリーに抱きしめられているマリーの手を二人は泣きながら握りしめた。 「簡単に忘れてなんかやるもんですか!」と泣きじゃくるハーマイオニーの涙をうけながら、呆然としていたマリーは、くしゃりと顔を歪めてハリーの肩口に顔を埋めた。 「ありがとう……ごめんね」