翌朝、マリーは届いた四通のフクロウ便に目を通しながら、こめかみに指を当てた。 朝食として──早くその痩せこけた体を健康的にするために──朝から、ミートパイを食べているシリウスは、マリーの様子にはてと首を傾げた。 「どうしたんだ、マリー?」 「あぁ……ジニー・ウィーズリーとレイナからの招待状が来ていて……。 クィディッチ・ワールドカップのチケットが取れたらしい」 「凄いじゃないか!行くのか?」 あからさまに羨ましいといった顔をしたシリウスに、「行かないよ」と苦笑まじりに答える。 むしろ、行けないが正解だが。 「今はまだ、下手に人前には出れないよ」 「なんだ……勿体ないな。それで?残りの二通は?」 シリウスはミートパイの最後の一切れを口に押し込みながら疑問を口にした。 「ダンブルドア先生からと──あぁ、これは君のが好きそうだ」 「?」 手渡された手紙と同封された長いリストを手渡されて、シリウスは瞬きを一つした。 一緒に入っていた注文表の上には《ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ》と書かれている。 シリウスはその長いリストを眺めているうちに、笑みが深まった。 マリーにとっては懐かしい、悪戯を考える時の彼の笑みだ。 「君達の弟分のような子達だよ。 本当にそっくりだ──まぁ、幾分可愛いげはあるがな?」 「面白いな。 私とジェームズでも、流石にこんな数の悪戯おもちゃは作り出せそうにはない!」 愉快そうに肩を震わせて笑うシリウスに、マリーも小さく笑った。 同封された手紙には、母親に注文表が見つかってしまって大変だったとか、それでも彼等の夢が書かれている──いつか自分達の悪戯専門店を作ると。 その為に、この売上はかなり必要なのだ。 返事用の羊皮紙を棚から引っ張り出して来たマリーに、シリウスはリストをひらつかせた。 「なぁ、マリー! 君の名前でいくつかこの悪戯おもちゃを購入してくれないか? 料金は自分で払うからさ!」 流石は悪戯仕掛け人であるなと、マリーは微かな笑みを浮かべながら、楽しそうにリストに目を通すシリウスの横顔を見つめた。 「構わないよ。 でも筆跡で君の正体を知られる可能性があるから、チェックだけつけて置いてくれ。 サインは私がしておくから」 「ありがとう、マリー!」 難しい顔でリストから商品を選んでいるシリウスに背を向け、棚と向き合いながらマリーはダンブルドアからの手紙にもう一度視線を落とした。 内容は短く、新しい「闇の魔術に対する防衛術」の教授が決まった事と──とあるマグルの失踪に関してだった。 マグルは「リドルの館」に住む庭番。マリーにとってはこれはもはや訃報でしかなく、無意識に傷のない右目の瞼に触れていた。 昨晩見た夢の符号が、現実と合致し始める。 水面下で奴が蛇のように動き、確かに力を増して来ている。 予想以上に、奴の復活は早いように思えた。 マリーはその手紙を丁寧に畳み直し、引き出しにしまい込んだ。 振り払えない嫌な予感に目眩がする──奴は、確かにハリーを殺そうとしている。 それだけは、それだけは阻まなければならない。 ハリーが、彼自身が背負う役目をまっとうするまで、生きなければならないのだ。 綺麗な白い瞼に爪を立てて、マリーは穏やかに笑った。 (まだ、そちらに行くには時間がかかりだよ──ナディア) 体に焼き付けられた呪いの印は、いくら消そうとしても消えるはずもなく。 刻み込まれた時の燻りを体の中に残している。 それはまた、別の印にも言える事だった──。 スネイプは、左腕を蝕むジリジリと燻るような痛みで目が覚めた。 歯を食いしばり、漏れてしまいそうな悲鳴を押し殺しながら体を起こすと、何かを隠すようにきつく左腕を握り締めて強張った指を解いた。 恐る恐る、袖をめくり上げればそこに刻まれた“闇の印”が鮮明になっている。 スネイプは奥歯が軋む程に歯噛みした。 闇の印は、ヴォルデモートにより死喰い人に焼き付けられる。 これは、互いに見分ける手段でもあり、召集する手段だった。 その印が鮮明になり始めている事が示すのは、一つの答えしかない。 「帰ってくると言うのか──」 搾り出すように呟いた言葉は震えていた。 ・・・ “モースモードル” 《言霊》を捕らえる糸が、二度と聞きたくはなかった呪文を捕らえた。 マリーは跳び起き、自分にはないはずの闇の印が疼いた気がして左腕をきつく握りしめた。 微かに乱れる心をなんとか落ち着かせて、張り巡らせる糸を増やし耳を澄ます──声を、情報を早く。 混乱した声を捕らえた糸を切り続け、実のある会話を捕らえる為に新しい糸を張る作業を続けていると『ハリー!』と叫ぶ声が聞こえ、息をつめる。 ワールドカップの会場を襲ったらしいその衝撃と混乱の騒ぎのせいで、引き寄せる声が途切れる。 『──犯罪の現場にいた!』そう叫んだのはバーティ・クラウチの声だ。 『木立の陰に誰かがいたわ───呪文を』震える声はハーマイオニー。 『よし!捕まえたぞ!──』太く低い声が言った、エイモス・ディゴリーだ。 『こんな──はずは』 「マリー?どうした?」 「っ!」 張り詰めすぎてぷつりと切れてしまった糸に、雪崩れ込んできていた声が途切れる。 部屋に入って来たシリウスは、自分が部屋に足を踏み入れた瞬間に切れた緊張の糸のようなものに、しまったと顔を顰めた。 「す、すまない、アレをやっていたのか?」 「あぁ……少し待ってくれ、すぐ終わる」 マリーはシリウスに端的にそう伝えると目を伏せた。 再び張り巡らされる糸に体を動かす事も出来ず、シリウスはマリーが再び瞼を上げるのを固唾を飲んで待つ。 マリーの言った通り、さほど待たずして部屋に張り巡らされていた糸が切られ、シリウスは知らず知らずに入っていた肩の力を抜いた。 「クィディッチ・ワールドカップの会場で、闇の印が上がったようだ」 「何!?」 未だ耳に残る遠くの会話を辿るように、いつも以上にぼんやりとした口調で呟いたマリーに、シリウスは詰め寄った。 「誰が上げたんだ?」 「わからない──だが、バーティ・クラウチの屋敷しもべが持っていた、“ハリー”の杖で打ち上げたのは確かなようだ」 「ハリーのだって?!」 「安心しろ……ハリーの疑いは晴れている。 むしろ問題は、誰が何を思ってそれを打ち上げたかだ」 マリーは鋭い視線で虚空を見据えた後、衝撃に立ち尽くすシリウスへと視線を戻した。 「なぁ、シリウス」 「?」 「私の記憶が正しければ、クラウチ氏の息子はお前と同じ場所にいたな?」 シリウスははっとしたように目を見開いた。 同じ場所──アズカバンにいたという事は、彼が何者であったかはわかりきった事だ。 マリーは厳しい表情で立ち上がり、ローブを羽織った。 「ダンブルドア先生のもとへ行ってくる──シリウス、リーマスにもこの事を伝えておいてくれ」 「わかった。君のフクロウを借りるぞ」 それに承諾の言葉を返して、マリーの姿はふっ掻き消されるかのようにその場から消えた。 次の瞬間に、マリーが立った場所はホグワーツのダンブルドア校長の部屋の前だった。 「“ゴキブリゴソゴソ豆板”」 相変わらずどうかと思ってしまう合言葉を唱えると、入口を守るガーゴイルが動き始める。 マリーは動く螺旋階段に乗り、磨き上げられた樫の扉の前まで来た。 扉についた真鍮のノッカーを扉に打ち付け来訪を知らせると、「お入り」と応える声が聞こえマリーは校長室へと入った。 「ワシの元にも、先程事件についてのあらましがフクロウ便で届いた」 美しい円形の部屋、寝ている歴代校長の写真に囲まれ、真ん中の机に座っているダンブルドアは難しい表情でそう呟いた。 「以前、お話した通り私はヴォルデモートの夢を見ました。 おそらくハリーも、同じような夢を見た事でしょう」 「やはり、ヴォルデモート卿との繋がりが出来ておるのか……」 「はい。おそらく、それにより奴の動向や感情が、私達に流れ込んで来ている状況かと」 「彼奴がそれに気づいていると思うか?」 「そこまでは……しかし、気づいているのであれば、あちら側は考えて行動するとは思いませんか」 そうじゃの、とダンブルドアは重く頷きながらそう言った。 「ところで。以前頼んでおいた、バーサの事は何かわかったかの?」 「いえ──しかし、張り巡らせた糸にここまで声が引っ掛からないとすれば──残念ながら」 「魔法省にはさらに彼女の消息を辿るよう、訴えておいたほうがいいようじゃの……」 マリーはダンブルドアの言葉に頷きながら、先生と言った。 ダンブルドアの視線がマリーに向けられ、二人はここで始めて真っすぐに向き合った。 「ダンブルドア先生、奴は間もなく復活する事になるでしょう」 「──言葉は口にすれば大きな影響力がある、それが《言霊》じゃったの。 それを知る君が口にするほどじゃ、避けられぬ真実なのか……」 ダンブルドアの重い声に、マリーは表情を変える事なくその表情を見つめていた。 「先生、奴が復活したその時は──お願いします。私は、私の約束を守りたい」 「それをワシが拒む事は出来ないのじゃろう? ずいる子じゃな……」 「すいません、ダンブルドア先生」 マリーはようやく歪つながらも、口の端に笑みを浮かべた。 まんじりとした二人の視線は、部屋に響いた扉をノックする音で途切れた。 扉の方を振り返ったマリーの表情が微かに歪んだ。 微かにマリーが来訪者に会わないように部屋から消えようとしたのを感じとったのか、ダンブルドアはそれを制すると、来訪者に部屋に入るように進めた。 扉を開けたのはスネイプだった。 スネイプは校長室に入ると、ダンブルドアと──机に乗る黒猫を視界にいれると真っすぐに歩み寄って来た。 「校長、大事なお話が」 暗に、この正体不明の黒猫に話を聞かせてもいいのかと、言外に言いながらスネイプは碧眼の黒猫を睨んだ。 言葉を理解したかのようにダンブルドアを振り返り見上げた猫の頭を優しく撫ぜながら、ダンブルドアはスネイプに話を促した。 「──先程、闇の印が打ち上げられたと」 「あぁ、間違いない話じゃ。 明日には皆が知る事になるじゃろう──ヴォルデモート卿が、力を完全に失っていない事を」 ダンブルドアはそうじゃろう?と言ってスネイプを見つめた。 スネイプは青ざめた顔で左腕の裾を捩り上げ、そこに刻まれた印を突き出して見せた。 「徐々に……鮮明になり始めております」 ちらりと見た黒猫の碧眼に微かに悲しみは見てとれたが、驚きも憎しみもそこにはなかった。 「やはりな……これから、ますます鮮明になるじゃろう……彼女の“言葉”が、確かなら」 「彼女──?」 猫から視線を外したスネイプの怪訝そうな顔に、ダンブルドアはいや…と微かに表情を曇らせた後で首を横に振った。 それにスネイプはそれ以上の追求は出来なくなってしまった。 「しかし、今はまだ断言は出来ない状態じゃ、セブルス。 もしもの時は──頼む」 「心得ております……」 「うむ、君にはもう少し探って貰いたい。 しかし──深入りはしない方がいいじゃろう、今の体では無理がきかぬ。 君を今ここで失うわけにはいかんのじゃ、わかるな?」 ダンブルドアは黒猫に向き直ってそう語りかけると、黒猫は微かに目を伏せた後で返事のように短く鳴いた。 「話はこれで終わりじゃな……朝まではまだ早い、各々休むといい」 スネイプはぐっと頭を下げた後、踵を返した。 黒猫もダンブルドアをもう一度見上げた後、机を下りスネイプが開けて閉まりかけた扉に体を滑り込ませ部屋を出て行った。 ダンブルドアは閉まった扉を悲しげに見つめた後、自分もまた夜明けまでの休息をとる為に立ち上がった。 マリーは猫の姿で螺旋階段を下りた。 姿現わしと姿くらましが使えないようになっているホグワーツでも、マリーは《言霊》を使えば不便はない。 しかし、校長室では音や魔法が溢れ返っているせいか上手くいかない為に、どのみち部屋を出なくてはならない。 ──スネイプが来た時は、慌てて退出しようとしたが、あれをやっていたら目的の場所に飛ぶかあやしかったなと、猫らしからぬ溜め息を吐いてマリーは階段を下りきった。 冷たい石にひんやりとする肉球がきゅっと引き締まる。 さて帰るかと、踵を返しかけたその時──おい、とかけられた声にビクリと体が震える。 耳を倒して振り返れば、入口の脇に立ち止まっていたスネイプが、こちらを睨むように見下ろしていた。 「貴様は、何者だ」 闇のような淀んだ黒い瞳を見上げる──変わらない彼の姿がそこにある。 愛しい──そう思うたび刺さった刺が胸をズクズクと痛める。 「我輩が死喰い人であった事ならまだしも、なぜ闇の印が濃くなっている事に動揺しない? 貴様は一体、何を知っているのだ──?」 答えるわけにはいかない質問だと、冷静な頭が呟く。 小さく一つ猫らしく鳴いて踵を返す。 早く、この場から去るために足取りはどことなく早いが、気にもしていられない。 「待て!」 杖が抜かれた気配を感じ、彼の目の前ではやりたくなかったのだが、振り返り自分に向かってくる光線が当たる直前に姿を消した。 スネイプは一人、暗い廊下に杖を握りしめたまま立ち尽くし、自分より実力は上だろう相手が消えた場所を睨むしかなかった。 「……大丈夫か、マリー?」 「あの野郎……っ、本気で呪文飛ばしやがった……!」 マリーは本に埋もれるように倒れながら、微かに光線が掠ったせいで痺れる肢体を放り出して、心配そうにこちらを見下ろすシリウスの顔と、天井を見上げ忌々しげに呻いた。