「時は来た」──ダンブルドアはそう、対抗試合の口火を切った。 ダンブルドアからの三大魔法学校対抗試合についての説明を終えた後、生徒達は未だ興奮覚めやらぬようにざわつきながら寮に向かっていた。 マリーもまた、そんな生徒達の流れに身を任せながら、先程の言葉を反芻していた。 『年齢線』を引く理由は様々あれど、おそらく一番はハリーの為を思ってだろう。 どうにも、あのカルカロフの存在のせいが、この対抗試合に何やら企みがある気がしてはならないのだ。 それに、示し合わせように打ち上げられた闇の印の事もある。 蠢く何かの尻尾は未だ、掴めてはいない。 ただひたすらに、この対抗試合が何事もなく終わればいいと、今は願うしか手がない。 ぼんやりとしながら足元ばかりを見て歩いていたマリーはトンと、誰かにぶつかって顔を上げる。 そこに立っていたのはハリーと、その目の前にはカルカロフだった。 驚愕に固まったその表情で見つめるのはおそらくハリーの傷痕──カルカロフの後ろにいた生徒達がはっと気付いた様子を見せ騒ぎだす。 そして、カルカロフの視線がハリーの後ろにいたこちらに向き──遂には恐怖に歪んだようだった。 わかりやすい奴め、とマリーは心中悪態をついた。 幼い体だとしても顔付きは変えていないのだ、学生時代──“ガブリエル”の名を継いだばかりの頃の自分を知っていれば、この容姿に少なからずは動揺するだろう。 特に、過去に何があったのかをよく考えれば。 「そうだ。 ハリー・ポッターとガブリエル・カウンシルの姪御だ」 後ろから轟いた声に、カルカロフがくるりと振り返った。 その先にステッキに体を預けたマッド-アイ・ムーディが、「魔法の目」を瞬きさせずにダームストラングの校長をギラギラと見据えていた。 カルカロフの顔から血の気がさっと引き、怒りと恐れが入り交じった酷い表情に変わった。 「お前は!」 カルカロフは亡霊でも見るような目付きでムーディを見つめていた。 過去の彼等の関係を思えば、普通の反応だろうが、何も知らない生徒達にとっては異様な光景だろう。 「ポッターとカウンシルに何か言うことがないなら、カルカロフ、退くがよかろう。 出口を塞いでいるぞ」 ムーディの言葉は確かにそうだろう、大広間の生徒の半分が足止めをくらい、興味津々と首を伸ばしてこちらを見ている。 カルカロフはマリーをちらりと見た後、自分の生徒達をかき集めるようにして連れ去った。 ムーディはその姿が見えなくなるまで、その背中を『魔法の目』で睨んでいた。 マリーはムーディの表情に浮かぶ、激しい嫌悪に目を細めた。 「マリー、行こうよ」 レイナに呼ばれた声に、微かに浮かび上がった感情を押し殺してマリーはぼんやりとした声で頷いた。 「嫌な、予感がすると言ったら──ダンブルドア先生はどういたします?」 校長室の入口から聞こえた声に少女独特のキーの高さはなく、落ち着いたアルトの響きを持っていた。 「どうも出来ん、と言うのが答えじゃろうな」 「ならば、私が動きましょう」 ダンブルドアはその言葉にようやく振り返った。 校長室の入口には、すらりとした黒のローブを纏う本来の姿をしたマリーが立っていた。 「君の懸念は、カルカロフ校長のせいかの?」 「否、それだけではありません」 マリーは、はっきりとその言葉を否定した。 「今までおきた事件を、一つずつ繋げる答えが、きっとあるはず」 「それは……」 「鍵は、ハリーとヴォルデモート」 ダンブルドアは静かに見据えて、マリーの言葉に耳を傾けているようだった。 「そして、私達──カウンシルの双子」 双子、と言う単語を出した時、マリーの瞳が微かに揺らいだ。 ダンブルドアの脳裏に浮かぶのは、ウィーズリーの双子のようにまるで正反対の容姿を持ち、正反対な道を歩まなければならなかった悲しき双子の姿。 父は娘達を跡継ぎとしか見ていなかった。 母は娘達を愛しはしなかった。 姉は妹を憎み、両親を憎み、憎しみに飲み込まれてしまった。 妹は──マリーはすべてを背負って、悲しき使命のために生きている。 “ガブリエル”の名を継ぎ、家督としてただ子供ではいられなくなった彼女は、姉が奔放し両親だけでなく一族を滅ぼした時も、友達を失ったあの夜も──愛した者から記憶を奪った時も、泣く事は赦されていないのだと言う。 誰が、とは言わなかった。 もしかしたら自分で課した、枷なのかもしれない。 ダンブルドアは、変化の乏しくなってしまった表情を見て思う。 何故、彼女でなければなかったのかと。 世界は何故、これほどまでに彼女に大きな使命を背負わせなければならなかったのだろうか。 そうすれば、彼女はまだ笑っていたのかもしれない、泣くことも赦されていたかもしれない。 ただ虚しい、仮定の話でしかないのだけれど。 「先生、私は行ってきます。今日ばかりは、墓参りにも行きたいので……」 「わかった……月曜までには戻って来なさい」 ありがとうございます、そう言って深々と頭を下げると彼女は消えた。 忘れはしない、あの10月31日を──大切な友を二人、永遠に失ったあの夜を弔うために。 ・・・ 日付が変わったばかりの真夜中に、マリーは人気のない墓地をゆらゆらと足元の影を揺らしながら歩いていた。 手には真っ白な百合の花束と酒瓶が一つ、歩く動きに合わせて揺れる。 片目の碧眼は、月光に照らされた足元をぼんやりと見つめていた。 そして、ぴたりと足を止めると、目の前に来た墓を見下ろした。 小さな墓石には“ポッター”の名と、その下に夫婦の名前が彫られていた。 マリーは静かにその前に膝をつくと、月光に影をつくるその彫りに指を這わせた。 「リリー、ジェームズ」 久しく名を口にしていなかったような懐かしさを噛み締めながら、今は亡き友の名を呟く。 ざわざわと冷たい夜風に吹かれ、墓地の木々がざわめく。 「ここに墓参りに来るのは、初めてだね……」 酷い友人でごめんと語りかけるように呟きながら、マリーは持って来た花と酒瓶を墓石の前にそっと置いた。 「あの夜の事を思い出すたび──君達に会う勇気が萎んでしまうから……まぁ、随分な言い訳だよね」 ぼんやりとした瞳を夜空に向けながら、マリーは友人に向けた言葉を独りごちる。 未だ瞼に焼き付いて離れないのだ。 あんなに沢山の笑顔があったリビングには、虚ろな目を開けたまま杖を手に仰向けに倒れていたジェームズの姿。 あんなに温かな空気が満ちていた子供部屋には、赤ん坊の悲痛な泣き声をぐったりと抱き込むリリーの姿。 燃え盛る家の悲鳴と赤ん坊の泣き声、そして帝王と呼ばれた男の断末魔のような笑い声──。 『貴様は、彼等まで私から奪うと言うのかっ!!』 怒りと悲しみに満ちた叫びを吐き出した自分に、あの男は消えかけながらも呪いを残した──生かす為の、呪いを。 己を殺す呪いをかけたのは実の姉であり、その呪いを掻き消すように生かす呪いをかけたのは敵であり憎むべき男という真実が、この生に業として絡みつく。 ほうっと、吐き出した息は少し白く染まって闇夜に浮いた。 ナディアは、マリーに『死に繋がる』呪いをかけた。 自分が愛した“闇”が、自分が憎む妹の力に惹かれたその時──その愛は憎しみに変わり、愛を奪われないためにマリーの死を望んだ。 もとより、マリーを殺すのは“半身”である自分だと、常々言っていた。そのせいか、ナディアから呪いをかけられた時、ようやくかとさえ思ったほどだ。 男は『その呪いを解けるまで時間を止める』呪いをかけた。 結局、男が自分の何を求めているのかは未だにわからないまま。 死に向かう呪いを解く術がない自分に、男は時間稼ぎのような“眠りの呪い”をかけた。 しかし、それは眠りに落ちてしまえば闇側に堕ちると同意である事を、消えかけの男には考えが回らなかったのかもしれない。 どちらにしても、“死”の運命からは逃れることは出来ない。 それはもはや──否、随分前から覚悟があるからか、今更心の乱れには繋がらない。 「──只、悲しい事に私は死んでも君達の元へは、逝けないんだよね……」 ポツリと呟いた声は夜風に吹かれて消えた。 ザワザワと枝が風に揺れる音に紛れて聞こえた、近付いてくる足音にマリーは顔を上げる。 ユラユラと近付いてくる影に、碧眼が細められた。 ザァァッと、強い風に木々の葉が舞いくるくると空に舞上げられて暗闇に消えていった。 「また──お前か」 黒いローブを闇に紛らせながら揺らすスネイプが、ポッターの墓に現れた。 スネイプが見下ろす先には、月光に白く浮かび上がる墓石の前に供えられた──墓に入った彼女が好んだ花と、奴が好んだ酒。 そしてその前に悠然と座る碧眼の黒猫が一匹。 その猫は、校長室にいたのと間違いなく同一人物である事は直ぐにわかった。 人物──この猫が本物の猫ではなく、高い実力を持った魔女だというのは初見でわかっていた。 黒猫はゆるりと尻尾を揺らすと、向けていた碧眼を墓石へと戻した。 「………お前も、墓参りか」 小さく呟いた独り言、猫相手に答えは期待してはいないが、この墓を前にする事など一つしかないのだ。 サワサワと風が夜の冷たい空気を揺らす。 スネイプはゆっくりと自分がもってきた花束を、先にあるそれに添えて供えた。 「自分より先に、花がある事など初めてだ……」 日付が変わる間際に墓を訪ねるのは、誰とも会わずに、思い出に浸る為だった。 その空間を壊されたはずなのに、嫌な気持ちは微塵も起きなかったのが不思議だった。 黒猫は静かにそこに、ちょこんと座っていた。 月光を反射する黒い毛は青みを帯びた不思議な色を持っていた。 「なぜ、今になって此処に来た?」 問われた言葉に、黒い尻尾がゆるりと揺れた。 彼女等が死んでからもう十年以上が経ち、二人を死に致らしめたシリウス・ブラックは脱獄。 そして、帝王の復活を仄めかすように闇の印が上げられた、この時に現れた理由はなんなのだろうか。 すうっと伸ばした腕で、大人しい猫背を抱え上げると、意外にも抵抗せずに持ち上げられた軽い体を胸に抱き込む。 冷えたローブ越しに、小さな温かさが伝わってきた。 居心地悪そうに少しばかり身じろぎした後、片目の碧眼がこちらを見上げて来た。 「なんだ、隻眼なのか」 黒い毛に埋もれた閉じられたままの片目を探るように指で触れると、嫌がるように顔を反らされた。 ──その反応が、一人の少女と被ったが、イコールでは結ぶに難しかった。 「お前は」 腕に抱えた軽い体はすっぽりとおさまり、隻眼に触れる指から逃れるように顔を逸らしながらこちらを見る小さな目が細められた。 「お前は、何者なんだ」 吐き出した言葉は酷く何かを枯渇した、苦い呟きで思わず顔を顰めた。 腕の中で、小さく鳴いた声と共に小さな舌が触れていた指先をザリっと舐めた。 何も言わない、しかし何かを語る目を見下ろす。 ふっと細められた目は微かに笑っているようにも思えた。 「フッ……慰めているつもりか?」 思わず漏れた笑みを浮かべたまま、小さな頭をくしゃりと撫ぜてやった。 黒猫はしばらくそれを甘んじて受け入れた後、ふと身をよじって、抱えていたスネイプの腕から抜け出ると。 猫の身軽さで地面に降り立ち、そのまま振り返らずに軽い足取りで、闇に消えようとしていた。 「スネイプ──私の名は、セブルス・スネイプだ」 何故、そう名乗ったのかはわからないが、猫の背に向かってそう言っていた。 猫はふと、立ち止まりこちらを振り返ると、まるで知っていると言わんばかりに一声鳴いた。 闇に消えた姿を見送った後、自分の行動を省みてスネイプは自嘲の笑みを浮かべた。