「マルコ隊長」 後ろからの甘い声。普段なら可愛らしいその声に鼻の下も伸びるのだが、こんな時は「空気を読め」と思わないでもない。同じことを思っているのだろう、ちらりと見た隣のマルコの表情は先程と一転していた。 (あーあー…) さっきまでのデレはどこへやら。 ジーナがいない間よく見た、面白くありません/興味もないですを全面に押し出したツン全開のマルコはそちらを振り返りもしない。 「もう、探しちゃいましたよ〜。隊長いつもなら、別の場所で飲んでるから」 「俺がどこで飲んでようと、お前に関係あるのかい」 「フフ、冷たいのね」 サッチがちらりと横目でマルコの後ろを見やると、最近船に乗り込んだばかりの麗しいナースが華やかな笑顔を浮かべていた──その瞳には確かにジーナの嫉妬も滲んでいる。 (最近、マルコに絡んでいる子ねー……ちと、おバカさんだったんだなぁ) 大方、突然現れてマルコにべったりされているジーナに牽制しつつ、マルコを奪いに来たのだろうが、相手が悪い。悪すぎる。 助けを求めるようにオヤジをちらりと見るが、こういう手の事で余程のことがない限り口を出さないオヤジは、案の定そ知らぬフリでジーナからの土産の酒を飲んでいる。 (ゲェエ、俺が何とかしなきゃないのコレ……) ゲンナリしつつ馬に蹴られる覚悟を決めようとしていたサッチをよそに、背後での不穏なやりとりにジーナは顔を反らして、自分の後ろにいるマルコを仰ぎ見た。 「マルコ?」 ぱちりと瞬いたジーナの瞳に、マルコの表情は戻らないものの落ち着きを取り戻すようにジーナの髪を柔らかく撫ぜる──しかし、爆弾は予想外なところからもたらされた。 「アンタね、“彼女”ほっとくつもり?」 後ろを指差して、動かないマルコを不思議そうに見つめているジーナに、マルコとサッチは石化した。 この“彼女”って、二人称?それとも、まさか……まさかねぇ? 「マルコ隊長?」 追い討ちをかけるように後ろから再度呼ぶ声──可愛らしいその声が、今は地獄からの使者の声にしか聞こえない。 ジーナは自分を抱え込むマルコのせいで、後ろの人物が誰かはわからない。 だがしかし、女であるジーナがその声に滲む男を誘う“色香”に気付かないわけはなかったし、長く船を離れていたジーナは、マルコの交遊関係を知るわけがない。だから、つまりは“そういうこと”なのだろうと判断したようだ。 恐ろしく的確、だか的外れでもある。 彼女は確かにマルコに好意を寄せているし、そういった関係があったのも確かだ。ただし、それは一回きりであったとサッチは記憶している。 マルコはあの“約束”以降、一回きりを自身にルール付けていたのもサッチは知ってた。 「──お前よい」 マルコの声は僅かに震え上ずっていた。長い付き合いのサッチだから気づけたような、本当に微かにだが。 「うん?」 「彼女って……」 「は?だから、マルコの後ろにいる子だよ。可愛い声の」 お前が後ろにいるから顔は全く見えないがな、と悪態を吐き捨ててジーナは酒を飲む。 「大体さぁ、話しかけられてるのに振り返るくらいしなさいよ……相変わらず愛想のない男だね。 そのうち他所の男に盗られても知らないから」 「──盗られるも何も、俺の女じゃねぇよい」 「え……まだだった?」 「あ゙ぁ゙?!……ちげぇよい」 サッチは胃に穴が空きそうな威圧感を感じながら、マルコとジーナを見つめた──蚊帳の外に追いやられた彼女も、流石にこの空気に飲まれてそれ以上は言葉が続かない。 壮絶な顔をしているマルコに、勘違いをしたままのジーナはあっちゃ〜とした顔をしているが、サッチからしてみればジーナの発言があっちゃ〜である。あっちゃ〜どころか、アウト!というかデッドボール!!という感じだ。 マルコは眉間に海溝のような深い皺を刻んだまま、低い声で「あのな」と呟く。 不機嫌で不愉快であると言わんばかりの声であるが、対するジーナは気にした様子もなく小首を傾げた。 「俺は“付き合う気はねぇ他所を当たれ”と言ったが、聞き分けのねぇもんでよい。 一度だけでいいからとねだられたから、抱いた」 そうだったよな?、と後ろに立つ彼女に声をかける。 びくりと彼女が震えたのがサッチも気配でわかった。 「それだけの関係であって、俺の女ではねぇよい──これからもな。 こっちはまとわりつかれて迷惑してるってのに……」 苛立つマルコもわかる、だがしかしサッチはこれは不味いと思った。 明け透けなマルコの物言いに、ジーナの目が不穏に緩く細められている──あぁ、これはマルコが悪い。 サッチはグラスを持ってそっと立ち上がった──こう言った場合は、逃げるが勝ちである。 完全にマルコの怒りに気圧され立ち尽くしている彼女の肩を優しく抱き、その場を離れるように促しつつ、この胃の痛みを是非とも癒して貰いたいところだ。 「──お前、随分な言い種だね……オヤジのナースに簡単に手付けておいてさ」 「ッ」 低い、低いジーナの声──サッチは背後で微かにマルコが息を飲んだのを聞いた。 (……あれ?もしかして、ジーナヤキモチ焼いてる?) サッチが微かな希望的観測に振り返るが、それは完全に判断ミスであった。 「“家族”に手を出す時、了承してればOKとは言った! だがな!アフターケアが全くなってねぇ!!」 すくりと立ち上がったジーナが振り返り様に、足を回し目を見開いているマルコの側頭部を蹴りつけた。 身構えていなかったマルコの体は簡単にぶっ飛び、サッチ達の目の前を通過し壁に激突する。 ひっ、と声にならない悲鳴を上げてサッチにすがり付いたナースをそのままに、サッチは頭を抱えた。 壁に激突した体勢のまま青い顔でだらだらと冷や汗を足らすマルコの前まで、靴音高らかに歩み寄って来たジーナはそう言ってにっこり笑った。 (あぁ、これはヤキモチじゃない──教育的指導モードだ……) 流石に急に空を飛んだマルコに宴の場は静まり返り、知ってる者と知らない者でまた反応が分かれる──中には青い顔で股間を隠しているやつもいた。 正直、サッチも頭を抱える逆の手で隠してしまっている。 再び振り上げられたジーナの細い足が、マルコの顔の脇の壁を踏み抜く。 びくりと盛大に体を震わせる一番隊隊長という世にも珍しいものを見てしまった。 「──マルコ」 つり上がる口の端に反してジーナの瞳の温度はぐんぐん降下していく。 マルコはもう生まれたての小鹿並にバイブレーションしていた。 「歯ぁ食い縛れや」 (長女の逆鱗)