知っているんだ。 あんたは私には、私だけには手を出さない。 (まぁ、前からわかっていた事だけどね) 女々しい溜め息は煙草の煙を吐いて誤魔化した。 珍しくこんな感傷に浸っているのは、あからさまに見てしまったからに他ならない──何をって、惚れた男の濡れ場だ。というか、誰だって他人の濡れ場何ぞ見て気が滅入らないわけがない。 そう言い訳して、溢れそうな感情を大きく開けた口からもふぁっと紫煙と共に吐き出した。 「あ゙ー…煙草がくそ不味ぃ」 くだを巻くような低い声に、背後でくつりくつりと愉快そうに誰かが笑う。とは言え、親しい兄弟の誰かだろう。 (でなければこんなに不機嫌なジーナに近付こうとする猛者はいない) 虫の居所が悪いので八つ当たりする事は確実なため振り返らないでいると、なんだいつれないねぇとからかう艶のある声。 「──何さイゾウ、私は今不機嫌なんだ」 ぎろりと睨み付けてやっても意に介した様子のない伊達男は、紅をさした唇をにぃっと歪ませた。 「そんなの誰だって一目見りゃわかるさ」 「……あっち行っててよ。八つ当たりしちゃうだろ」 最後はぼそぼそと力なく言いながらイゾウから視線をまた海に戻す。 だがそんな要望もどこ吹く風でイゾウはジーナの隣に並んで、懐から出したキセルをするりと出して吹かし出した。 それを横目で睨むものの、こうなったら話さない限りテコでも動かない男だと知っているので、ジーナは諦めて深い溜め息を紫煙と混ぜて吐き出す。 「毎度の事、ただ面白くないだけなんだって」 「おおかた、“また”見たんだろ。違うかい?」 「──あぁ……そうだよ、“また”見たんだよ」 敏い男に舌を打ち、ガリガリと頭を掻いて不貞腐れたように吐き捨てる。 “また”とつく位にマルコが女とイイ事しているのを目撃するのは、何もこれが初めてでもない。 自分のタイミングの悪さを呪いつつ、そんなに場数を踏んでるんならもっと場所選びに気を付けやがれと、相手を恨めしく思ったりもする。 短くなった煙草を海へと投げ捨てて、箱から新しい煙草を出して咥えると、横から煙管が差し出された。 素直にそこから火を貰い、新しい煙草の煙を吐き出す──それは先程よりましな味がした。 「……見せ付けられてんのかね?」 「あぁ……?誰に?」 「どっちか何て、私にはわからないけど」 怪訝そうなイゾウに返すのは、口の端に浮かべた自嘲的な笑みだ。 「──いつまで手に入らないものを追い掛けてるんだと、嘲笑られてる気がする」 何度もマルコが他の女に触れ抱く場面を見た。 だが強い衝撃を受けはするものの、自分の中の女は嫉妬に狂い死ぬことも膨れ上がることもしない。 ただそれを、じっと手の届かない宝物を見つめるように甘受している。 呆れるほど往生際が悪い恋心だ。 (でも……) 薄く開いた唇から細く煙を吐くと「潮時かな」と呟いた。 イゾウの柳眉が歪む。 「……それでお前はいいのか、ジーナ」 イゾウの真剣な表情に誤魔化すように力なく笑った。 吸う気の失せた煙草を海に吐き捨てて、踵を返した。 歩き去る#name1#の背中を静かに見送って、イゾウは物憂げな溜め息を吐いた。 「勘が良いのか悪いのか…」 そう呆れたように呟いて、イゾウは煙草の煙を吐く。 確かに“見せ付け”ているのだあのボンクラは、ただただジーナの気を引きたくて。餓鬼じゃあるまいし、そんな拙い手管があるかよとイゾウは常々思う。 そしていい加減、その手が効かないとわかったら、変な意地を張らないでさっさと言ってしまえばいいのだ。 (それなのに、アイツときたら……) あれは病気なのかもしれない──最早そういう性質だとしか言い様がない。 「本当に、潮時なのかもねぇ」 ああやってマルコの手癖の悪さを見ても不機嫌にはなるものの、あんなに弱気になるジーナは見た事がない。 (まぁ──どう転ぶかは知らないが) 元より気の長い質ではないのだ、何時までも指を咥えて大人しくしているわけがない。 「嗚呼、焦れったい」 イゾウはそうぽつりと呟いて、煙管の灰をトンと海へ投げ棄てた。 それはジーナが船を離れる事になる、ほんの少し前の夜の事だった。