負傷した兵士を森の中で拾った翌日、直江は再び第七師団の鶴見中尉の元を尋ねた。 「お礼がしたい」と言った中尉殿に、老夫婦ははじめ固辞したものの強い押しに負けて直江が師団へと伺うということで話がついた。 二度目の来訪とはいえ、上がり框までだった一回目と逆に今回は奥の部屋へと通されたため、勧められた質の良い座布団に乗せた尻が落ち着かない。 「甘いものは好きかい?」 熱い茶と一緒に出されたみたらし団子を差し出され、直江はこくんと頷いた。たっぷりとみつが乗った団子に喉が小さくなった。 それに気づいたのか小さく笑った鶴見中尉は「食べてから話をしよう」と自分の分の串を手にしてかぶりつく。直江はそれにならって「いただきます」と言って団子をかじった。 焼き色のついた柔らかい団子のほのかな甘みとタレの甘しょっぱさを味わいながら、秋田の家を出てから甘味など口にしたのはこれが初めてではないかと思い至る。ご馳走になっている身で黙ったまま食べ続けるのもどうかと思い「美味しいです」と呟くと鶴見中尉はニッコリと目を弓なりに細めて笑った。 「それなら良かった」 もう一本どうだい?と聞かれたが流石にお腹が苦しくなりそうだったので謹んで辞退すると、少食だね?大丈夫?と心配された。多分基準が軍の人々なのだと思う。皿に残ったもう一本はぺろりと鶴見中尉が平べてしまった。 「君、意識のない人間の世話をしたことがあるかね?」 団子を馳走になり、お茶を飲んでいるところに唐突に投げかけられた問いかけに直江は小首を傾げた。 「はい」と頷きつつ、言葉の意味はわかるが意図がわからないなと思い、「それが?」と問うような視線を向けると鶴見中尉は蜜のついた手を濡れ布巾で吹きながら言葉を続けた。 「君が先日助けてくれた私の部下だが、まだ意識が戻っていなくてね。 彼はまだ独り身の男だし、家族もいない」 「……容態は思わしくないのですか?」 「顎と腕の怪我もだが、この時期に冷水に体を浸したせいでの風邪か。 熱が下がれば意識も戻るだろうというのが医者の見立てだ」 鶴見中尉は丁寧に手を吹き終えると机に布巾を畳んで置いた。未だに直江は目の前の男の意図を読み取れていない。じっと男の動向を見つめていると鶴見中尉はずいっと机を挟んだ対面に座る直江に向かって体を前のめりに倒してきた。 「そこでだ、君。私と取引をしないかね?」 ぐっと近づいた距離に、間近で暗闇のような真っ黒な瞳に見据えられる。ぞわりと産毛が逆立つような感覚を押し殺して「取引、ですか」と鸚鵡返しに応えれば「そうだ」と鶴見中尉は口の端を釣り上げる。 「君は“ごほうび”が欲しいと言ったね」 「はい。……しかし、私は金銭が欲しいわけではありません」 「そのようだ。君とあの老夫婦はそれは固辞したわけだし。では、何が望みだ?」 笑う鶴見中尉を前に直江は背筋を伸ばした。 「死んだ兄の情報です」 直江の答えに鶴見中尉は目を細めて「ほう」と声を漏らす。 「鶴見中尉の部下の方で兄のことを知っている方がいるのでしたら、その情報をいただきたいのです」 私の望みはそれです、そう訴えれば鶴見中尉はパッと体を起こすと「いいとも!」と快活に応じてくれた。 「私の部下たちに岡本志保君のことを聞いてあげよう」 あっさりと快諾され拍子抜けをしたせいで直江は「ありがとうございます」となんとも張りの無い声を出してしまった。 「だが、それだけでいいのか?」 静かに、落とされた言葉に直江はぎくりと動きを止めた。ぞわりとまた背中がざわめく。 「お礼としてできるのはそこまでだが……此処、北海道にいる部隊は何も私のところだけではないのは君も知っているだろう。 だけど、君が今受け取れるのはこの部隊の情報だけだ。そう精々30名ほどの情報だ。勿体ないとは思わないかね? 折角、偶然にも得た軍との繋がりがあるのに、利用しない手はないと思わないか?」 そう語る鶴見中尉は、もう笑ってはいなかった。 じっと見つめてくる目に、直江は膝の上に乗せた手のひらをきつく握りしめた。指が食い込むほどに手を握りしめたのは、目の前で大きく口を開けている“恐怖”に飲み込まれないように自らを鼓舞するためだ。 直江は伸ばした背中を丸めも反らしもせずにそこに座し、まっすぐに鶴見中尉を見つめ続けた。 「取引をすれば、中尉は他の部隊にもかけあってくださると言うのですか?」 「ああ、君の働き次第では私のツテを使って、君の兄上の情報を軍の中で探ることも吝かではない」 まるでぐらつく天秤の上にいるようだと、直江は現状を思う。掛けているのは自分の命なのだろうか。 それでも直江はここで引くという選択肢はなかった。 「私は情報を得る代わりに、何をすればよろしいのでしょうか?」 鶴見中尉は歯並びの良い歯をむきだすように笑った。 「直江君、君に頼みたいのは君が助け出した男の世話と“見張り”だ」 部下相手に使うには不似合いな単語に思わず眉を顰めると、鶴見中尉は「言葉が悪かったかな」と顎の髭を撫ぜた。 「あの男……尾形は命令ではなく独断であの場にいたんだ。おそらく何らかの手柄を得るために、だ。 褒賞目当てに、ないことではないとは言え、軍の規律としては問題があるのは君にもわかるね?」 「はい」 「これ以上の勝手は上司として見逃せない、だから君にはそのお目付役をして欲しい。 だけど、何も病院から抜け出そうとする男を押さえつけておけという事ではない。君は病室内で見聞きしたことを、そのまま私に“告げ口”してくれればいい」 出来るかな、とこてんと首を横に傾げて問われた言葉に直江はしっかりと頷いた。 「はい」 「では、取引成立だ」 差し出された鶴見中尉の手を直江はしっかりと握り返す。 「よろしくお願い致します」 そう言って頭を下げた直江の頭上で鶴見中尉はうっそりと笑っていた。