作業曲:MAX & Felly/Acid Dreams
tragico
mic
(悲喜劇的な 悲劇と滑稽)
202号室
カンカンと鉄の階段を登りながら、
今日は玄関の前に夏のアレが横たわっていたらどうしようと考え、次の一歩が鈍る。
何足のわらじなんだか、忙しいならもう少し勤務先の近くまで引っ越せばいいのに。そうすれば私の家も近くなるし、プライベートな時間も増える。
遠く古いアパートで頑なに一人暮らしを続ける彼だって、こんな干からびた虫や蜘蛛の巣なんて苦手な癖に、「安くていい」だとか「そんなに悪くない」とか適当な事を言っていつも話を終わらせてしまうのだ。
汗を拭い、躊躇ったまま止まっていた階段を通路まで登り終えれば、今日はよく鳴くアレの代わりに鈍い色のカナブンが転がっていた。
「もしもしひざし?」
「俺の可愛いちゃん……早く来てぇ……まだ来ねぇのぉ」
「今家の前。カナブンいるから通れない」
「ヒッ?!」
「早くー!死んでるから大丈夫!ね?!」
「や、それもマズイ信用ならねぇ」
「もう!......解った......今日は帰る」
「待っ!!解った!!」
ガチャっと開いた奥のドアから注意深く、
こちらを......いや、ブツを探す鋭い目が溝の一点に定まる。数センチの隙間から一番にほうきを突き出し、ガタガタと内側のポストに脚をぶつけながら、続きの腕が伸びてきた。
すれ違う連勤のスケジュール。
緊急要請と特別収録で潰れたデートを乗り越え、
数ヶ月ぶりに会いたかった恋人が今、
決死の顔で、
壁に背を付けてビタンビタンとやってくる。
その姿は黒タンクとステテコパンツに、
お馴染みのサングラスと黒ブーツだった。
「彼女が会いに来てくれたってのによ......こんな毎度毎度............っとに死んでんのか?休憩だったらよそでやってくれよォ......」
ガニ股に開いた一歩にもうひとつの爪先をそろりと寄せ、先行させたほうきの先で引っ掛けて、手すりの隙間から下の空き地へ落とそうとしているが、絡んで中々離れない宙ぶらりんを揺らしながら、「あ」だとか「ひ」だとか、言葉にならない声で体を震わせている。
「っしャアアアア今すぐ避難」
「ちょ、ちょっと!......うわ!」
カンと一振り、
鉄にほうきの柄を叩きつけて振り落とせば、
次は忙しく腕を掴んで私を扉の内側へ押し込んだ。
「フゥーやっと会えたぜ」
「ねえ、その格好」
「え?何ィ?カッコイイ?惚れ直した?」
纏められた髪は、
この一件で後れ毛をぴょんぴょんさせている。
ぐったりとしたままの荒い呼吸で首筋から汗を滴らせ、所々色を変えたタンクトップや、そこからのぞく腕にまとわり付いて熱気を放つ。
髪をかきあげてそれらしいポーズを決めているが、それはマイクスタンドでは無く何かあった時のため、虫事故の遠隔処理用のほうきで、下半身はよれた部屋着、スネ毛、ブーツである。
ミスマッチなブーツとサングラスは何かあった時のためで、虫処理で失敗した時に脚と目を守るためらしく、本人曰く強いからという理論のもと装着された物だ。
何度見ても駄目で、
虫の驚異が去って安寧が訪れた今、
そろそろ堪えるのが限界で笑ってしまった。
「うん、っ……まあまあ」
「まあまあかよぅ、俺はよぅ、頑張ったのによぅ」
「ねえ、ここあっつい、クーラー付けてないの?」
「ん?あぁ、節約節約ゥ。ユメが来るまで扇風機でもいっかなぁ〜つって。……あー……首の汗……色っぺぇ……」
「ちょっと!こらふざけないでまだ靴も脱いでないのに!ねぇ、こんなに熱いの死んじゃうよ、ちゃんと付けよ?ね?」
「もっとアツくなっちまうしな。ガンガンにしようぜ」
部屋中がすっかり冷えた頃、
夕陽につられて窓を見れば、ベランダの風鈴が鳴るのを室内から眺める情緒の無さ。
ブラウスのボタンを止める私に、彼は夏の肌が見たかった事を自白し、快適では無かった事を詫びて、時間に折り合いを付けるのが難しい二人であるのに職場の近くへ越さない事を、誰にも邪魔されない避暑地だからと初めて語った。
寂しくないと言えば嘘になる。
我慢していない訳はなく、
文句も会えた今よりもっとある。
それでも熱を蓄えあった身体に氷麦茶を注ぐような、這い続ける砂漠に突如現れた煌めく水面のような、干からび合った二人が満たされていくこの空間を彼が楽園と呼んでくれるのなら、勝手の悪いこの古アパートにも、ヤシの木とハンモックくらいは見えてくる。
動く事さえ億劫そうに、申し訳程度に指を引っ掛けて擦り寄せるだけの接触は、手を繋いでいるとはとても言い難い。
それでも、
横たわったまま向けられた瞳から私だけに輝きが転がり落ちそうで、クリアなエメラルドブルーに南国の夢を重ねた。
202号室
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