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ただ、その声を聴きたい。
ただ、その瞳を見たい。
ただ、その温もりに触れたい。
ただ、愛しい人のそばにいたい。

たったそれだけの、大それた願いではなかったはずなのに、目の前の時に流れる現実は鋭利な刃物となって静かに襲ってきた。

「・・・・あなた、だあれ?」

神域に湧く泉のように澄んだ少女の言葉は、小狼の身体を、心を一瞬にして凍らせた。握っていた少女の手を離し、顔を伏せる。けれどすぐさま顔を上げ、心と表情を整えて小狼は微笑んだ。

「おれは小狼、あなたは桜姫です」

サクラの翡翠の瞳には小狼が映し出されていた。紛れもなく望んだ瞬間ではあるのに、同時に望んではいなかった瞬間でもあった。目の前にはあれだけ救いたかった少女がいるのに、小狼の脳内には少女の声をかき消すかのように部屋の外の雨音が大きく響いた。

「どうか落ち着いて聞いて下さい。あなたは他の世界のお姫様なんです」
「他の・・・・世界?」
「今、あなたは記憶を失っていて、その記憶を集めるために異世界を旅しているんです」
「・・・一人で?」
「いいえ、一緒に旅している人がいます」
「・・・あなたも・・・一緒なの?」
「はい」

小狼はサクラから投げかけられる質問に淡々と答えた。

「・・・・・知らない人なのに・・・・?」

意識は戻ったもののどこかまだぼんやりとしているサクラの素朴な質問が、小狼の心を容赦なく抉る。それでも小狼は何の動揺もみせず、サクラの目を見たまま「はい」と端的に答えた。
一連の流れを廊下から見守っていた●●はいてもたってもいられなくなり、部屋の中に入って小狼の隣に腰を下ろした。サクラの意識が小狼から●●に移される。

「はじめまして、サクラ。私は●●です。よろしくね」
「サクラ姫、はじめましてー」

●●に続くようにしてファイも部屋に入った。その肩にはモコナが乗っていた。

「ファイ・D・フローライトと申します。で、こっちはー」
「黒鋼だ」

部屋の壁に背を預けて立つ黒鋼は、普段通りの愛想のない態度を貫いていた。

「で、このふわふわ可愛いのがー」
「モコナ=モドキ!モコナって呼んでっ」

小狼はファイたちがサクラに自己紹介している間に音もなく立ち上がり、部屋から去った。影が落ちた小狼の表情を誰も知ることはなかった。
小狼の背を追いかけるように振返った●●の視線の先には、音を立てて雨が打ち付ける窓があった。
陽が傾き始めた空を分厚い雨雲が覆い、外はどんよりとした暗さに包まれていた。雨が激しく打ち付けるので水しぶきの白さが辺りを覆い、活気があるはずの街の様子は一変したかのように色を失っていた。
灰色の世界に人影が現れる。何をするでもなく、雨に打たれながら佇んでいた。

ファイと黒鋼が部屋を後にする。

「泣くかと思った。あの時。サクラちゃんは小狼君の本当に大切なひとだったみたいだから、だからこそ「だれ?」って聞かれた時、泣くかと思った。今は・・・・泣いてるのかな」
「さぁな。けど泣きたくなきゃ強くなるしかねぇ。何があっても泣かずにすむようにな」
「うん。でも・・・・。泣きたい時に泣ける強さもあると思うよ」

雨雲に遮られ、雨に遮られ、窓から差し込む日の光は弱弱しく、廊下も薄暗かった。部屋の中にいる●●には小狼の表情どころか、ファイや黒鋼の表情もうかがい知ることなどできなかった。
自分以外の誰かのぬくもりがかすかに残る手を、サクラは自分の頬に寄せた。

「眠っている間、誰かがにぎっててくれたのかな。手・・・・すごくあたたかかった」

サクラは瞳をそっと閉じ、ぬくもりを感じた記憶に思いをはせる。その口元には笑みが浮かんでいた。
それにつられるように●●の口角も上がっていく。

「私は・・・泣きたいときに泣ける、そういう世界であってほしいと思う」

●●の願いのような小さなつぶやきは誰にも届かずに雨音に飲み込まれ、●●の意識は突如襲い掛かってきた睡魔に飲み込まれていった。深い眠りに引きずりこまれていく中で、誰かの声がこだまする。

『紹介しよう。この子は――――――――――――』


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