窒息する花
静かに開かれた扉の向こうから長髪の男が入って来る。長く伸びたその髪は一つに結われていた。その髪は窓からの風に軽やかに揺れ、日光に照らされると黒髪が妖しく紫に煌めく。
その深紅の瞳は、部屋の奥の窓へ腰掛ける女を捉えた。
彼女は腰ほどまである髪を右肩に寄せている。光が差し込む深海のような髪は艶やかで、窓から差し込む陽差しは優しく彼女の白い肌を照らしていた。
「●●様、彼らが帰ってきました」
「様?」
「●●、彼らが帰ってきました」
「そうそう、間違えないでね、蓬玉」
蓬玉とは、私が6歳のときに出会った神獣であり、仕事上において私の補佐的な役割を担ってくれている。
蓬玉の手元には判子を待つたくさんの書類が抱えられていた。私はそれに視線を落として小さくため息を吐いた。
窓辺から体を離して椅子に腰かける。それを追うように蓬玉は机に運んできた書類を置いた。どさっと結構な音がしたと同時に私の体は脱力感に襲われた。
この机は仕事用の机で少し大きめだった。けれど、それを忘れてしまうくらいに机の上には書類が大量に置かれている。しかもそのほとんどが未処理の書類だった。もうすぐ書類で机が埋まってしまいそうだ。ここまでくると私は書類にモテてるんじゃないかなんて意味の分からない思考が生まれる。悲しすぎる。
山積みにされた書類越しに蓬玉から何か言いたげな視線を感じる。
外見で言えば、人間に年齢を置き換えるとおよそ26、7歳くらいの男性に見える蓬玉は私なんかよりも数倍綺麗な瞳と、肌を持っていた。その顔は恐ろしい程に整っていて、すれ違いざまに乙女たちのため息が漏れるときがある。いつも一緒にいるので私はそういう反応はならないけど、乙女たちの反応は理解できる。でも、その自覚が一切ないのはタチが悪い。
「どうかした?」
「・・・・」
蓬玉は少し悩むように視線を右下に落とした後、顔を上げて私をまっすぐ見据えた。
「10日程滞在していたようです」
「ふーん、随分と長いのね」
私は新しくやってきた書類の一枚をぺらっとめくった。誰かいつどのような内容で窓口を訪れたのかが記録されている、帳簿のようにつけられた記録用紙の束だ。個々の記録そのものが大事なのではなく、記録せよと定められた事柄についてはどんな些細なことであっても全て記録してあるということが重要なのだ。「お役所仕事」というのは往々にして揶揄される時に使われる言葉だけれど、その中にいる人間としては批判として適切だと思うこともあれば、そうでないと感じることも多々ある。
「何の収穫もなし・・・みたいね」
私はぺちっとわざと音を立てて手に持っていた書類を元に戻した。音を立てたのは自分の中で気持ちを切り替えたかったから。
伏せていた瞳を蓬玉に向け、しっかりと見据えた。
「蓬玉」
「何ですか?」
蓬玉は私より数倍頭が切れる。だから私の声色から何を言いたいのか察していたはず。けれどとぼけた顔をする蓬玉にわざとらしくため息を吐いてやった。それでも相手に効力は無い。私はゆっくりと立ち上がって距離を詰めた。そこまでしてやっと蓬玉の肩が揺れた。
「また、寝てないんでしょ?」
形上は尋ねていた。けれど別に尋ねているわけでも、確認を取ろうとしたわけでもない。ただ皮肉を込めて言ってやりたかっただけ。
「きちんと寝ました」
「・・・・」
「いくら人外とは言えど、寝ない訳にはいきませんし」
「五時間です」
じーっと視線を向けられることに耐えられなかったのか、蓬玉はため息を吐いた。堪忍したらしい。そして呟くようにしてぼそっと漏らした。自分より長身の男を困らせるのは絵図らとしてはどう映るのだろうかとどこか呑気な自分がいた。
「ほら、やっぱり寝てないんじゃない」
「それは貴女だって同じ。歌士官長補佐になられてからの貴女の平均睡眠時間は、六時間を切っています」
この国には、居なくなってしまった神を探すという役職があった。それを人々は歌士官と呼び、その役職の最高位を歌士官長と呼ぶ。そしてその歌士官長を補佐する役職がある。
私はその歌士官長補佐。身に余る役職に一度は断ったけれど、結局説得に折れることになった。
推されたとはいえ、いまだその役職に自分がふさわしいとは思えないでいた。その不安が、睡眠時間を短くしていた。とはいえ、それは心身の健康に何ら影響はなく、いたって健康だった。どうやら私は短時間の睡眠でも大丈夫な体質らしい。
「平均睡眠時間が六時間を切ってるだけで、10時間ぐらい寝てる時もあるじゃない」
「あの時、確かに貴女に誓ったはずです」
声のトーンを落とした蓬玉に私は誤魔化すような笑みをやめた。こちらを見る視線は痛いほどに強く刺さりそうだ。視界の中にある蓬玉以外のものに意識をやれない。自分の息が大きく聞こえる。
私は重い沈黙の空気の中、大きく息を吸い、口を開いた。動作がやけに遅く感じる。
「私は、あなた達を道具として扱う気は一切ない。一人の者として、心もつ者として」
「・・・・」
「そして、敬うべき神として、接する」
「では、俺が敬っているのは貴女です。だから貴女はもっと、己を大切に敬うべきです」
私が初めて潔斎した神、真面目で忠実な蓬玉。完全無欠、非の打ち所がないとはまさに蓬玉のことだった。反論する材料を持ち合わせていない私は毎回口をつぐむことになる。
「・・・・口では適わないね」
見事に言葉を返してくる蓬玉に私は降参するように、笑って肩をすくめた。それを見た蓬玉も表情を緩めてくれた。重い沈黙が晴れていく。それを合図するように、私は軽く両手をぱんっと叩いた。乾いた音が部屋に響く。
「もうお昼だし、ご飯食べに行こう!」
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