キタイ

現実の出来事だと自分でも分かっていながら、夢の中で見たような感覚の記憶の糸をたどるように、僕の足はいつの間にか彼女と初めて会った場所に向かっていた。これで何度目になるかなんてもう数えていられないほどにはここに来ている。
たった二度しか会っていないのに、たいした話も何もしていないのに、僕と彼女の間には同じ「柊家」に許嫁という立場で入れられたという関係性しかないのに、僕自身の記憶の中の彼女の残像を追い求めるように保健室へ足を運んでいた。そうすることがもはや習慣にさえなっていた。

けれど彼女がここにいることはなかった。

それでも、僕はここに来ることをやめなかった。

保健室には僅かに傾きだした陽の光が差し込み、柔らかな光で包まれていた。何をするでもなく、僕が向かうのは決まって一番奥の窓際のベット。周りを囲むカーテンを閉め、窓の方を向いて腰かける。

保健室は校舎の一番端にあり、学校の裏側に面しているため窓の外には手入れが行き届いていない木々や草が生い茂っているだけだった。木々の間から見える空は刻々とその表情を変えていった。ここに流れる時間はとても穏やかでゆったりとしていてまるで違う世界のようだった。

「・・・・・・」

空虚な言葉で敬われ、無情な言葉で蔑まれ、心を許せる存在などどこにもいない。笑みを張り付けて呼吸をするだけでどっと疲れる。けれどここにいればそれが消えていくような気がした。まるでそんな世界こそがありえない世界なんだとも思えてきてしまう。

このままこの世界にいられたらどれだけ幸せだろうか。この世界の一部になれたのなら、きっと穏やかで幸せな日々の中で過ごせるんじゃないだろうか。

「困るわね、私の特等席を取られるのは」

はっと我に返って振り返ると、そこにはずっと探していた彼女がいた。
●●はそれだけ言うと、開けていたカーテンをきちんと閉め、上靴を脱ぎ捨てて長く細い足をするりと布団の下へ入れて首元まで深く布団をかぶった。僕に背を向けるようにしてその瞳を閉じた。

僕の脳裏には初めて●●を見たときの光景と感情がフラッシュバックする。

「女子の寝顔を堂々と見るなんて随分とデリカシーがないのね。それとも本当に襲おうとでも考えてるのかしら」
「ひどいなぁ、そんなことしないよー」
「そう。でもそれはそれで健全な男子高校生とは思い難いわね。こうやって無謀にも男の前で眠ろうとしている女子生徒がいるのに」
「何それ。もしかして、誘ってる?」
「いくら自分の許嫁に相手されないからといって他の女ですまそうなんて考えない方が身のためよ?それに生憎、私に親友の許嫁を横取りする趣味はないの」
「ねぇ、●●って僕には冷たいんだね」

瞳を閉じたまま●●はふっと笑った。ベッドから上半身を起こし、前方に手をついた●●と僕の物理的な距離はほぼ0に等しくなった。●●の吐息がふぅっと僕の肩をかすめる。

「まるで私に会いに来るようにここに何度も来ていたみたいだから、一つ、良いことを教えてあげる」

今度は●●の吐息が僕の耳元をかすめる。

「私は、私の王子様以外の男には優しくしない主義なの」

体を元の体勢に戻すと●●はベッドから起き上がり、上靴を履いて立ちあがった。

「私に何を期待してるか知らないけど、私は真昼について何かを話すつもりはないから。真昼のことが知りたければ直接本人に聞くか、“真昼の想い人”にでも聞くのね」

ひらりと手を振って●●は保健室を出ていってしまった。




僕が●●に何を期待しているか。
そんなの僕自身も分からない。真昼のことを聞きたいとは思っていないのは確かだ。そもそも僕が●●に何かを期待しているのかすら分からない。



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