ヤクソク

誰もいない図書室。この学校の図書室はあまり盛んに使われていないようでどこか寂れたような雰囲気があった。何のかざりっけもなく素朴だったが、蔵書の数は結構なものだった。
図書室をもっと広く有効活用してもらえるように図書委員が制作したリーフレットのようなものをクラスで配ってもらうために各自クラスの誰かが取に来てほしいということで僕はここに来ていた。もちろん、僕が取ってくると言った時には教師を含めクラスメイト達は皆顔面蒼白になり自分が行くと次々に慌てるように言いだした。その光景に僕は辟易しながら、なんとか自分が行きたいという意思を説明した。別に本当に取りに行きたかったわけじゃない。図書館行きたかったわけでもない。ただ他の人間がいる閉鎖的なところにいるのが嫌だっただけだ。これはそのための口実に過ぎない。

めったに来ない図書室だったからついでにと思ってどんな本があるのかちょっと見て回ろうと、本棚の群の中へと入っていく。向かい側の本棚の向こうに人影を見つけ、そちら側に行くと僕以外にもいたんだと初めて分かった。相手もこちらに気が付き、振り向いた。

「貴方、図書委員だったの?」
「あ、いや、僕は違うよ」

先日のことを思い出してなんだか気まずくなった。それを悟られまいと顔を少しうつむけると●●はすたすたと本を抱えて踵を返してしまった。顔を上げて●●の背中を追う。

「ちょっと、私は本を読んでるのよ?どうして貴方、私の隣に座ってこっちを見てるの」
「え?いやー、何読んでるのかなぁって気になって」
「そうじろじろと見られたら集中できないわよ」
「全然気にしないでー。隣で大人しく見てるだけだからー」

やっぱり気に障ってしまったのだろうか、●●は読んでいた本をぱたんと閉じた。本は裏向きにされて、背表紙も向こう側で読めない。

「そういえば貴方、よっぽど暇なのかこうやって私にちょっかいかけてくるけど何か怒ってたんじゃないの?」

ドクリ、と心臓が大きく飛び跳ねた。目が泳ぎそうになるのを必死に抑える。

「ここにいる、目の前にいるって意味の分からないこと言って。当たり前じゃない。あの時も今も、貴方はここにいるわ。私の目の前に。生憎だけど私には幽霊を見る能力はないの」

●●は真っすぐと僕を見据えていた。海のように青く透き通った瞳には間違いなく僕が映っていた。なぜだろうか自分でもよく分からないけれど、体の内側から嬉しさがこみあげてくる感覚がした。

「ありがとう」
「何を笑ってるの。それに貴方にお礼を言われるようなことをした覚えはないわ。貴方ってよく分からないわね。意味不明だわ」

僕の気のせいなのかもしない、思い上がりなのかもしれない。けれど今まで僕に向けられた度の表情よりも柔らかく穏やかだった。

無意識に僕の手は●●の頭に向かっていた。一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、ビクッと小さく反応したかと思ったが、●●が僕の手を拒絶することはなかった。●●の頭に軽く手を乗せた後、髪の流れる方向に沿わせるように指を滑らせる。指先に触れるつやのある髪の感覚がとても心地よかった。

「女子の髪に気安く触るものじゃないわよ。その手、へし折ってほしいの?」

そう言って軽く睨め付けてくる●●は年齢相応のかわいい女の子にしか見えなくて僕はまた笑ってしまった。

「何が面白いのよ」
「ごめんごめん、今度から気を付けるよ。だから怒らない、ね?」
「はぁ、貴方といると調子狂うわね。そんな子供をあやすような言い方して馬鹿にしないで」

●●は本を抱えて立ち上がった。開いている方の腕をつかんで去ろうとする●●を引き留めた。不機嫌な顔がこちらを振り向く。

「●●。僕のこと、名前で呼んでよ」
「それ、私にとって何のメリットが?」

皇羽の表情が普段のものへと変わった。

「じゃあ、君が読んでるその本の題名、教えてくれない?」

ため息をついて一度目線を下げた後、●●は顔を上げた。

「気が向いたら、ね」

するりと●●の細く陶器のような肌の手首が僕の手から逃げていった。


しばらく僕はそこから動くことが出来なかった。



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