‐ユノside‐
不意に意識が浮上し、重い瞼を押し上げる。
真っ白な天井と、周りを囲うカーテン。鼻につく薬品の匂いで、保健室のベッドの上にいるのだと気づいた。
『あ、ユノ起きた?』
「小エビちゃ〜ん、大丈夫?」
心配そうにユウとフロイド先輩に顔を覗き込まれ、何があってベッドで寝ていたのかを、働かない頭で思い出す。
そうだ、成績が不満だとかで因縁をつけてきた男子に、蹴飛ばされて池に落ちたのだった。意識は飛ばないわ、息は苦しいわで死が頭を過った時、間一髪でフロイド先輩に助けてもらった。
『……フロイド先輩』
「ん? なぁに、小エビちゃん」
『ありがとうございました』
「ふふ〜、どういたしましてぇ。でも、小エビちゃんが水中でオレの名前呼んでくれなかったら、間に合わなかったかも」
ちょー危なかったねぇと言って、頭を撫でてくれるフロイド先輩。
本当に、あの時にフロイド先輩に気付いてもらえなければ、私はそのまま死んでいた。私の賭けは間違っていなかったのだと心の底から安堵する。
にこっと笑った先輩は、スルリと私の髪を一房掴んで弄び始めた。そういえば、リボンがほどけていたのを忘れていた。
同時に、髪を掴まれたことや殴られたことも思い出し、身体の痛みがだんだんと覚醒してくる。
『……ユウ、お腹痛い。なんか巻いてある?』
眠る前もずっと痛くて、言いたいことを全部伝えてから気絶するように意識を飛ばしたと思うのだが、何を言っていたかは記憶が曖昧だ。
頬は治療が施されていて、ガーゼがテーピングで貼り付けられている。
『保険の先生に診てもらったら、お腹に結構でかいアザができててさ。治癒魔法かけてもらって、今は薬草塗って包帯で固定してある。幸い骨は無事だったけど、暫くは激しい身体の曲げ伸ばしはしないようにって』
『あぁ……』
「どんだけ強く蹴っ飛ばされたのぉ、小エビちゃん?」
『池の縁から深いとこに落とされるくらい? ですかね。気付いたら水の中に……』
足の動きも封じられていたから何の抵抗もできず、まるでサッカーボールのように蹴られた。息が口から漏れたというのに、よく水中でも堪えられたなぁと自分でも思う。
「おっけ〜、絞めてくる」
『わぁ!? 待ってくださいって先輩!』
『行ってらっしゃい』
『ユノも止めろ!』
『やだよ、私だって怒ってるし。思う存分にどうぞ』
「あはっ! 小エビちゃんの許可もらったから絞め放題だねぇ」
なんて、ふざけたやり取りをしていると保健室の扉が開き、複数の足音が近づいてきた。
私を助けに来てくれたみんなに、アズール先輩とジェイド先輩。それと、リドル先輩とトレイ先輩。
更に……
『あ、因縁つけてきたソバカス男子と取巻き』
「「「う……っ」」」
リドル先輩の首輪をつけられた三人の男子生徒。どうやら私が眠る前に告げた特徴で、無事に犯人を特定してくれたようだ。
気まずそうにする三人を一睨みしたリドル先輩は、起きれない私のベッドの傍らへと膝をついた。
「ユノ。話はアズールたちから聞いたよ。うちの寮生が本当にすまなかった」
そう謝罪して深く頭を下げるリドル先輩と同時に、後ろでトレイ先輩が三人の頭を下げさせる。
三人が反省しているのかは窺い知れないけれど、リドル先輩が悔しそうに感情を押し込めているのは、噛みしめている唇を見てわかった。
『頭を上げてください。リドル先輩が謝る必要はありませんよ』
「いいや。僕が寮長になってから、こんな問題を起こす生徒が現れるのなんて初めてだ。この三人は僕の監督不行き届きとして、責任を持って処罰を下すよ」
「俺も、副寮長として謝罪させてくれ。リドルが厳しい分、寮生に甘く接していた俺にも責任はある」
トレイ先輩にも深々と頭を下げられてしまった。
二人の言っていることはわかる。彼らの統括する寮生の不祥事だ。例えそれが目の行き届かないクラス内でのことであっても、同じ寮で生活する者として指導しなければならない立場にある。それがこの学園での規則だ。
とはいえ、これはどうしたら良いのだろう?
頭を上げてほしいのだけど、生憎良い言葉が見つからない。慰めるのは違うし、かと言って先輩たちに怒るのも……。
「金魚ちゃ〜ん。小エビちゃん困ってるから頭上げなよ」
「……なんでフロイドがそれを言うんだい」
「だって小エビちゃんも言ったじゃん。金魚ちゃんがやったんじゃないしぃ、金魚ちゃんが謝ったってしょうがないでしょ〜」
ね〜小エビちゃん。
と、また憎めない笑顔で言う。
そんなフロイド先輩にリドル先輩は口を尖らせたけれど、今は反論すべきではないと判断したのか、代わりに大きく息を吐いた。
「はぁ……。まぁ良いさ。それでユノ。身体はどうなんだい? お腹を蹴られたと聞いているけれど、その頬は?」
『殴られました。そこのソバカスの人に』
「ほう……」
「っ!?」
リドル先輩は私が受けたダメージはお腹だけだと聞いていたようだ。頬についても他にやられたことについても、私はまだ誰にも告げていない。
心優しい女の子なら、こういう場面で加害者に同情の余地を与えて許すのだろうけれど、残念ながら私は違う。
突風で飛ばされたこと、足を封じられたこと、殴られたこと、髪を引っ張られたこと、蹴り飛ばされて池に落とされたこと。原因が成績であることも含めて全て事細かに説明すると、三人の顔色はみるみる青くなり、対照的にリドル先輩の顔は湯気が出そうなほど真っ赤に染まった。フロイド先輩が金魚ちゃんと呼ぶ理由がよくわかる。
オクタヴィネルの三人は、それはそれは良い笑顔だし、エースたちはハラハラしている。見ているこっちとしては面白い。トレイ先輩には申し訳ないけれど。
「……なるほど。女性に手を出したというだけでも腹立たしいことなのに、これでは何度首をはねても足りないね」
「「「ひっ!?」」」
「まあまあ、リドル。ここでは迷惑になるから、寮に戻ったらで良いだろう」
「わかっているよ、トレイ。……ユノ。処分は寮長である僕が改めて下すけれど、一番の被害者は君なんだ。言いたいことの一つや二つあるだろう」
聞いててあげるから言ってごらん。
そう言うリドル先輩が横にずれると、首輪をつけた三人の顔が見えるようになった。相当お叱りを受けたのだろう。まだ何か言われるのかと縮こまっている。
言いたいことは確かにあるけれど、正直に言って良いものだろうか。
入学が許可された際に、学園長からは「なるべく目立たないように発言は控えるように」と言われている。私という異世界人の女子生徒を匿ってくださっているのは学園長だ。約束は守りたい。でも、胸に燻っている感情をどうにかしたいのも事実。
ちらっとユウに視線をやると、全部吐き出してしまえと言わんばかりの笑顔で頷いてくれた。そうか。兄が良いと言うのなら遠慮なく言うとしよう。
『じゃあ、一つだけ……』
身体を強張らせる三人それぞれと目を合わせ、私は口を開いた。
『今度やったら、お前ら全員永久に子孫を残せない身体にしてやるので』
「「「…………」」」
『そのつもりで、ね』
極めつけに手でハサミを作ってチョッキンとすれば、三人の顔から血の気が引いていった。
いつもなら私がどんな発言をしてもニコニコしているフロイド先輩もぽっかりと口を開けて固まり、ユウは顔を背けて笑っている。楽しそうでなにより。
「ヒギャアアアアア!!!! わわわわかりましたああああああ!!!!!!」
「もう二度としません!!!! 絶っっ対にしません!!!!!!」
「約束しますからお許しをおおぉぉぉぉ!!!!」
頭を地にめり込ませる勢いで土下座する三人。その様子を見てちょっとスッキリした私は性格悪すぎだろうか。
でも良いじゃないか。散々なことされたんだもの。
「ユノ! おまっ、なんちゅーセリフ吐いてんだよ!!」
「そ、それはさすがにやりすぎなんじゃ……」
『私の睡眠妨害しておいてただで済むと思ったら大間違いだから。危険因子は根絶する。チョッキンがダメなら、仕返しに急所蹴り上げるのでも良いけど』
「こら! やめなさい! 女の子が急所蹴り上げるとか言うんじゃないの!!」
「く………フッ、……ふふっ…………ぷはッ」
「あっはははは!! やっぱり小エビちゃん面白すぎぃ! ジェイド爆笑してんじゃん!」
成り行きで仕方なくとはいえ、男子校に通うにあたって我慢していることはたくさんある。
女という性別は変えられないし、男装したところで獣人の鼻があれば女だとすぐに見破られる。だから私は女として、特別に学園長の許可を得て通学させてもらっているのだ。
思春期の男子生徒が多いこともわかっているし、刺激をしないように学園では常に気を張って、ユウたちから離れずに、なるべく存在感を出さないようにと口数も減らしてきた。
一日の最後に訪れる睡眠時間は、私が唯一気を緩める安息の時間。こっちの気も知らずに、私情でされた睡眠妨害。謝罪の言葉だけで許す気は毛頭無い。
身震いするエースとデュース。リドル先輩たちも想像したのか顔色を悪くしているけれど、私は悪いことを言ったつもりは全く無い。
命があるだけマシでしょ?
危うく殺されかけたのは私だもの。
『睡眠妨害する男なんて大っ嫌い。最低。もう顔も見たくない』
「真顔で物凄く怒ってるんだゾ……」
「ユノ、昼間すっげぇ眠そうだったしなぁ。それにしても性格変わりすぎじゃね? キレた時のデュースみてぇ」
「俺よりはマシだと思うが……」
『ユノはずっと我慢してたのに勝手にちょっかい掛けられたんだから、怒るに決まってんだろ。成績だって俺たち三人で一人分扱いだから頑張ってんのにさ』
「小エビちゃん凄い勉強してるもんねぇ」
「こほんっ。ま、まぁ聞いた限りでもかなり酷いことをされたんだ。ユノの気持ちもわかる」
「はは……。でも、俺はてっきり退学処分にしてほしいとか言われると思ってたんだけどな」
『あ、ダメですよトレイ先輩。退学処分はさせないでくださいね』
「え?」
そうだった。大抵こういった問題が起これば、学校側は生徒に停学や退学の処分を下すもの。
それはいけないと言えば、エースたちも戸惑うような反応をした。
「は? いや、だってお前……」
「えぇ〜、小エビちゃんこいつら置いとくのぉ? 殺されかけたんだよ?」
「ユノ。退学に反対する理由を聞いても?」
ここで私が止めなければ、問答無用で退学処分だったのだろう。恐らく既に先生方にも話は通っているし、NRCは魔法士の名門校だ。
問題児を置いておくつもりは無いだろうし、三人もその覚悟があった筈。
退学は免れる。
そんな希望に満ちた輝きが彼らの目に映るけれど……、甘い。
『退学させるということは、学園の規則の手が届かない場所まで逃げられるってことですよ? そんなのダメに決まってます』
「…………は?」
反省もそこそこに問題児を外に放り出したらどうなる?
元の世界でも、犯罪者は何年拘束されようと野に放たれたらまた同じことを何度も繰り返すのだ。悪人は悪人。改心できる人間なんて限られた者だけだ。
『今回は未遂で済みましたけれど、それはあくまでみんなが急いで私を捜しに来てくれたことと、私の息が続いたこと。あと、皮肉にも不眠の魔法が掛けられていたから意識があって、たまたま運良く助かっただけです』
実際、フロイド先輩が来るのがあと数分遅れていたら、私は死んでいた。
あんな思いするのは二度とごめんだ。
『上辺だけ反省して謝罪するのは子供でもできます。でも、子供ですら人を蹴ったらいけないとわかることを、十年以上生きている人間がやったんですよ? 外に出して良いと思います?』
「た、確かに……」
『なら、リドル先輩とトレイ先輩の監視のもと、骨の髄まで善悪の判断を染み込ませるべきかと私は思います』
上げて落とすとはまさにこのことだ。私は自分で思っている以上に怒っているらしい。
あまり長話するのは好きではないのだけれど、ここまでスラスラと長ったらしく説教するなんて初めてだ。
逃がさない。そういう意味を込めて三人を睨むと、目に見えて怯えた表情をして身を寄せ合った。ひとりじゃなくて良かったね。
「そうだね。君の言い分は最もだ。一時とはいえ、僕の監督する寮に入ったのだから、心から反省してもらわないと僕の気が済まない」
「はは、確かに。そう考えると退学は罰にはならないな」
「「「トレイ先輩まで……」」」
『それと、これは私の我が儘なんですが……』
「なんだい?」
『この二人のクラスだけ変えて頂きたいです。顔を見たくないのは本当なので。リドル先輩から学園長にお願いして頂いても?』
「わかった。それくらいお安いご用さ」
快く頷いてくれた先輩にほっとする。話の通じる人が寮長で良かった。
ハーツラビュルはハートの女王への信仰心と法律に厳しい寮だ。私自身が罰を下さなくても、寮生活の中で厳しく教育されることだろう。
『あとはリドル先輩のご在学中に、“同寮として気の済むまでご指導”頂ければ、私はそれで満足です』
「ふふっ、承知したよ。ハートの女王の法律に従い、徹底的な指導をすると約束しよう」
フフフと上品に笑うリドル先輩の笑顔に、問題児たちは恐怖で涙を浮かべていた。退学できればどんなに楽だっただろうね。そんな三人を見て苦笑するトレイ先輩も、今回ばかりは助け船を出すつもりは無いらしい。
御愁傷様でした。
「すげぇ……。俺、タッグ組んだユノと寮長だけは絶対敵に回したくねぇわ」
「同じく……。止めなくて良いのかユウ?」
『俺だって片割れに手ぇ出されて腸煮えくり返ってるし、自業自得だろ。退学じゃないだけマシなんじゃねぇの?』
「あ、ダメだ。この兄妹を敵に回した時点でアウト」
「まったく、恐ろしい女性ですね……」
「ふふっ。しかし、そうでなければ男子校でやっていけませんよ」
「あははは! 小エビちゃん強〜い」