‐ユノside‐



事件の翌日。私はいつも通りに登校し、普通に授業を受けている。

昨日のことを知るのは、関わった生徒と先生方だけ。
控えめに言っても生徒同士のいざこざで殺人未遂なんて、公になれば大問題だ。更に私とユウという異世界人の存在は、学園外に知られてはいけない。周知して愉快犯に言いふらされることを危惧した結果、問題児たちは二度と私に近寄らないこと、今回の件は必ず内密にすることと学園長に強く念を押され、私たちが頷くことで事件は終息した。

アズール先輩がとても良い笑顔で学園長と何かを話していたけれど、内容は私の知るところではない。また都合の良い取り引きをしていたのだろう。


さて。こうして何事もなく午前中の授業を終えた私は、またいつものメンバーで昼食を摂っている。

昨日助けてもらったことへのお礼として、今日は私の奢りだ。お小遣いは、たまにサムさんの購買で働かせてもらっているため、少ないけれど一人一食奢るくらいの余裕はある。
気にするなとか言いつつも、「そこまで言うならゴチになりまーす」なんてちゃっかりしたエースにつられて、デュースとグリムもなんだかんだ奢られてくれた。

昨夜は心置き無くぐっすり眠れたため、体調は良好。お腹の痛みはまだ暫く続きそうだけれど、食欲に関しては問題ない。なので、今日も今日とてふわとろオムライスを注文した。



『いただきます』


「オムライス好きだねぇ、ユノ。毎日毎日飽きねぇの?」


『ぜんぜん。毎日三食オムライスでも良い』


「それは食べ過ぎ」



大好物は毎日食べても飽きるわけがない。まろやかな玉子と酸味のあるトマトチキンライスが、私の食欲を掻き立てる。

オムライスとチョコレートだけは誰に何と言われようとやめられない。エースたちには呆れられているけれど、私の好物だから良いのだ。



「そういや俺聞きたかったんだけど、ユノってなんで泳げねぇの? あんなに息続くのに」


「言われてみれば、確かに……」



不思議そうに訊ねてくるエースに、デュースも首を傾げる。
五分も長続きする息だ。普通ならバタ足さえすれば泳げると思うだろう。

でも、私にはそれができない。



『……小さい時に溺れたから』


「トラウマってこと?」


『ん。一人で広い水に入ると足が動かなくなっちゃって……』


「でも、アトランティカ記念博物館には行けたよな?」


『あれは……』


『ずっと俺と手を繋いでただろ? だから大丈夫だったってだけだよ』



私の言葉に被せるようにユウが説明する。まるで私にトラウマを語らせまいとするような言い方だったけれど、エースたちはそれ以上聞いてくることはなく、別の話題で盛り上がった。

気にしなくても良いのにと思いながらも、周りに他の生徒もいる中で語れる内容じゃないことは確かだ。
帰ったらユウにお礼を言おう。



* * *



放課後。

今日は変な呼び出しをされることも無く、普通に帰宅しようとユウと一緒に教室を出た。

グリムはエースたちとゲームの約束をしているらしく、久しぶりに私とユウしかいない帰り道。



『今日はフロイド先輩来なかったな……』



何か物足りない気がしてポツリと呟いた。

昨日まではお昼に必ずと言って良いほど現れたフロイド先輩。毎日チョコレートを貰うのが日課になっていたせいか、パタリと止むと変な感じだ。



『なんだ? 先輩来なくて寂しい?』



隣で歩きながらユウが言う。

寂しい……か。どうなんだろ?
いつの間にかお昼に先輩が隣にいることが当たり前になっていて、いない時は休み時間にわざわざチョコレートを届けてくれて。先輩のただの気まぐれだろうと思って気にしていなかった。

それが無くなるということは、飽きてしまったということなんだろう。もしかすると、昨日私が泳げない様子を目の当たりにして幻滅されたのかもしれない。

フロイド先輩が来なかった時は、これが当たり前だったのに……。



『……もう来ないのかな』


「なにがぁ?」


『っ!?』


『ビ……ックリしたぁ! 急に後ろから現れないでくださいよフロイド先輩!!』



なんだかデジャヴを感じる。
今まさに話題にしていたフロイド先輩が、足音もなく真後ろに現れるなんて。



『心臓止まるかと思った……』


「あはっ! ごめんねぇ。小エビちゃんもう大丈夫なの?」


『あ、はい。少しお腹が痛い以外には外傷無いので』


「そっかぁ。で、何が来ないの?」



そこは忘れてくれないのか。
今ご本人が来てくれたから気にしなくて良いのだけれど。



『今日はフロイド先輩来ないのかな〜って話してたとこだったんですよ』



話題を反らす前にユウに暴露されてしまった。

後ろめたいわけではないけれど、なんとなく気まずい。これでは私がフロイド先輩を待っていたみたいな言い方じゃないか。



『ユノ。俺、用事思い出したから先行く』


『え?』


『遅くならないようにな!』


『は? ちょ、ユウ……!』



ニヤッと悪戯な視線を寄越した片割れは、私の肩をポンッと叩くと止める間もなく駆けていった。

何が用事だ。今日は放課後の予定なんて何も無いだろうに。



「小〜エ〜ビちゃん」


『……!』



途方に暮れる私の背に、再び声が掛けられた。顔の両側から前にクロスする両腕は、私を逃がすまいと抱き締めてくる。



『な、んでしょう?』


「あはっ、そんなビクビクしなくても良いのにぃ。今日はオレが来なくてぇ、小エビちゃんは寂しかったの?」



また聞かれた、“寂しい”という言葉。
自分の中でいまいち気持ちの整理がつかない。

周りにはユウもエースもデュースもグリムもいた。寂しく思う必要なんて無いくらいに、みんなに構ってもらっている。それなのに、何故そこにフロイド先輩まで求めるのか。

この気持ちは何なのだろう。フロイド先輩に会えなかった時の、心に穴が空いたような……空虚なこの感じは……。



『……寂しかった、です』


「そっかぁ」


『たぶん』


「ぷはッ! たぶんてなに!」



ケラケラと子供のように笑う先輩を見上げる。

逆さまに見ても先輩の顔は整っていて綺麗だ。この角度だとギザ歯がよく見えて、隙を見せれば丸飲みにされそう。



『もう飽きたのかと思いました』


「飽きねぇよ〜。小エビちゃんといるの楽しいもん」


『そうですか』


「小エビちゃんは? オレといるの楽しい?」


『…………』


「え。そこ黙るの? 黙っちゃうの小エビちゃん?」


『すみません。考えたこと無かったので』



楽しいのかな?

今まで先輩にはチョコレートを貰ったり、勉強を教えてもらったり、私好みに合わせたケーキまで作ってくれた。昨日は池に飛び込んで助けてくれて、私にとっては命の恩人そのもの。

よく考えてみるとフロイド先輩といる時の感覚は、ユウやエースたちといる時とは違う。どこか緊張して、ソワソワして、落ち着かないのに安心する。

それはつまり、私の中でフロイド先輩が特別な存在ということで……。



『…………ああ、そうか』


「んー?」


『私たぶんフロイド先輩のこと好きなんだと思います』


「…………」



確信を持って言い切って良いのかはわからないけれど、たぶんきっとそうだ。

フロイド先輩といると暖かくて、楽しくて、無愛想な私の表情がちょっとだけ緩くなる。毎日悪意無く接してくれる先輩に、少しずつ惹かれていたらしい。

そうかそうかと納得し、先輩の腕の中で向き合うように反転する。



『気持ちの整理ができました。気付かせてくださってありがとうございます』


「え……。あ、うん…………え?」


『じゃあ、私も帰りますのでこれで』


「はあ!? ちょ、待ったあああああ!!!!」



再び反転して腕を抜けようとすると、もっと強く締められてしまった。後頭部に感じる先輩の広い胸板に、何故か心臓が跳ねる。



「ちょっと小エビちゃん……。言い逃げは酷くね? てか何で小エビちゃんが先にそれ言うの?」


『……?』


「わかってないし! ああもぉぉぉぉ!!」



もう一度見上げると、片手で顔を覆う先輩の顔は真っ赤に染まっていた。夕日の効果も相まって、まるで怒ったリドル先輩のよう。



『フロイド先輩が金魚ちゃんになってますよ』


「今は金魚ちゃんは良いの! 大事な場面なんだからちょっと黙ってて!」



ガシガシと頭を掻き深呼吸した先輩は、私を向かい合うように立たせると真っ直ぐに見詰めてきた。



「オレも、ユノちゃんが好き」


『……! 私のなまえ……』


「オレがちゃんと名前で呼ぶの超レアだよ? 両想いになったんだから、二人の時はユノちゃんね」


『はい。でも……』


「ん?」


『ちょっと恥ずかしいですね』



心臓がドクドクと煩い。

今までがずっとアダ名だったのに、初めて名前を呼んでくれるのが告白だなんて……。フロイド先輩からは一生呼ばれないものとばかり思っていたのに。
というか、私の名前ちゃんと知ってたんだ……。

なんて考えていると、先輩はまた頭を掻き乱した。



「ッだぁあああもう! なんでそこは恥じらうの!? 本当に両想いなんだよね!?」


『本当に両想いですよ』


「チョコあげてるからオレのこと好きってわけじゃないよね!?」


『それだけが理由じゃありません』


「小エビちゃんの好きって恋愛の好きであってる!?」


『あってます』


「オレの番になったって認識ある!?」


『勿論ありますよ』



私のことを知ろうとしてくれて、気遣ってくれて。ユウ以外の人でこんなに私に構ってくれたのは、フロイド先輩だけだった。恋に落ちるなという方が難しい話だ。



(気付くのに時間は掛かってしまったけれど……)



きっと私よりずっと前から、先輩は私を好きでいてくれたのだろう。あれだけあからさまなアプローチを受けていて気付かないなんて、本当に私は鈍感だ。

肩に乗せられた先輩の手を取って、顔を擦り寄せる。大きくて、優しくて、逞しい手。先輩を想うだけで頬に熱が集まり、口元が上がるのが自分でもわかる。



「……!」


『私の笑顔も超レア物ですよ。無愛想で扱いづらい奴ですけど、飽きるまでよろしくお願いしますね。フロイドさん』


「……っ!? ぷっ! あはははは!! ……ほんと、小エビちゃんには敵わないなぁ。絶対飽きねぇから。よろしく、ユノちゃん」



夕焼けの温もりに包まれる中、二人向き合って微笑み合う。
初めて繋いだフロイド先輩の手の温もりに、私の凍った心が溶かされていくような気がした。










『そういえば、今日はなんでお昼来なかったんですか?』

「あ〜、なんか昨日アズールが学園長と話してた取り引き? 事件の情報漏洩を防ぐのに協力する代わりに、モストロ・ラウンジの家具を新調したいとかでさ。運ぶの手伝わされてた」

『なるほど……』

「てことでぇ。はい、今日のチョコレート」

『……! ありがとうございます』

「いいえ〜、どういたしましてぇ」

(美味しい……)

(幸せそうな顔しちゃって、可愛いなぁもう)