‐ユノside‐
着替え終わって監督とスタッフさんへの挨拶も済ませる頃には、既に夕日が沈みかけていた。男優さんのことがあって時間を忘れていたけれど、終わってみるとあっという間だった気がする。
先輩たちとモストロ・ラウンジに向かい、VIPルームに通される。すると、アズール先輩も加わって打ち上げを開いてくれた。
準備済みの数々の料理に戸惑ったけれど、これはヴィル先輩からの今日のお礼らしい。
「正直なところ、最初はアンタにできるのか不安だったけど。アタシの目は間違ってなかったようね。ユノに頼んで良かったわ」
ありがとうとお礼を言われ、私もやっと仕事の達成感が得られた。ヴィル先輩の役に立てたのなら良かった。
私からも代理として選んでくれたお礼を言い、有り難く料理に手を伸ばす。
食事中の会話は、撮影での私の様子から始まった。
「小エビちゃんがあんな女の子らしい服着てるの初めて見たぁ。オレ最後に着てたスカートのやつ好きぃ」
「普段の制服も男性用ですし、新鮮でしたね」
「アンタ、今の私服もパンツスタイルだけど。休みの日くらいスカートとかキュロットとか、もっと華やかなものは着ないの?」
『着ないというか……。私服は防寒着を除いてまだ数着しか持ってないんです』
「は?」
「「「え……」」」
今の私は、上はハイネックブラウスとカーディガン、下はスキニーパンツとショートブーツというシンプルなコーディネートだ。
お仕事だから所持品の中でも一番纏まりやすい服装を選んだけれど、アクセサリーの一つすらもつけていない。やはり美しさを誇るヴィル先輩からすると地味だろう。
スカートやワンピースの一着くらい買っておくべきだったと後悔しても、そもそもそんなもの買えるお金が無いのだ。
「確か兄妹揃って購買でバイトしてたわよね? 頻繁に見掛けてたと思うけど、そんなに給料安いわけ?」
「サムさんの購買のバイト額は、世間一般のバイトと同じくらいだったと記憶していますが……」
『はい、一般的な金額は頂いていますし、忙しい時には手当てもくださいます』
「じゃあ何にお金使ってんのぉ?」
『毎日の食費と、グリムのツナ缶代と、日用品……。オンボロ寮の雨漏りと、窓や隙間の修繕費……』
あげればきりがないくらいに飛んでいく住まいの修理代。やっと自分の部屋のベッドやらソファーやらのカバーを張り替えたところなのだ。
各部屋は個人で、その他の寮全体の修理や日用品代はユウと割り勘している。
『あと、日頃エースたちに助けてもらっているお礼に学食を奢ることが多いので、私物は必要最低限のものしか揃えてないです』
「アンタそれじゃ自分にかけるお金いくらも残らないじゃないの!」
「小エビちゃん、オレが可愛い服買ったげるから今度一緒にショッピング行こ?」
「バイトも購買よりモストロ・ラウンジで働く方が宜しいかと。接客が苦手でしたら厨房でも構いませんし。ね、アズール?」
「ええ、もちろん。新メニューの開発もお手伝い頂けましたら、特別手当てもお付けしますよ」
『是非お願いします』
「ぷは! 即答ウケる〜!」
なんて、雑談をしながらバイトする流れになったり。もちろんあの男優さんについても、アズール先輩に報告するような形で詳細に語られた。
「仕事が立て込んでさえいなければ、僕も撮影見に行きたかったですね。男優の方とも良い取り引きができたかもしれないのに、非常に残念です」
「アズールが来てたら、アイツもっとコテンパンだったでしょうね」
「あはっ! でも小エビちゃんが啖呵切ったのはビックリしたぁ」
『う……。忘れてください』
「ヤーダ」
頭に血が昇って口走ってしまったけれど、結構恥ずかしいことを言った気がする。今更ながらにフロイド先輩と顔を合わせるのが気まずい。
誤魔化しきれない感情が行き場を無くし、なんとなくアイスティーの氷をストローでカラカラと弄ぶ。
「なぁに、小エビちゃん。今照れてんの?」
『だって……』
「オレめっちゃ嬉しかったよぉ。小エビちゃんがあんなに怒ってくれて」
「ほんと。学園じゃ大人しいくせに、怒ると饒舌になるなんて思わなかったわ」
『それは……自分でも驚いてます……』
「その様子だと、もしや怒りを露にしたのは初めてですか?」
『あそこまで怒ったのはそうですね。怒るほどのことがあまり無いですし、大抵ユウが一緒にいて先に怒ってくれるので』
ユウと兄妹喧嘩した記憶も無いし、そもそも友達も少ないから怒るような事柄も発生しない。
学園ではよく女だからと挑発的な態度をとられることがあるけれど、相手にせず無視しているから怒らない。
唯一説教した不眠事件の時も、今日ほど感情的に怒ったわけではなかった。
完全にキレたのは、今回が初めてのはずだ。
『キレると見境無くなるものなんですね』
「キレたこともなかったんですか」
『はい。さっきは気づいた時にはもう怒りをぶつけてて、思ったことを全部吐き出してました。好きな人を侮辱されることほど嫌なことってないんですね』
「ブフッ!? げっほ……げほッ」
しみじみと呟くように言うと、隣でジュースを飲んでいたフロイド先輩が突然咳き込んだ。慌てて背中を擦ってあげれば、ジトッとした目付きで睨んでくる。
そんな上目遣いで見てこなくても……。
「小エビちゃん……」
『はい』
「いつも思うけどさぁ。なぁんでそんなストレートなのぉ?」
『ストレート?』
「アンタねぇ……。好きな人を目の前にして簡単に言えるセリフじゃないわよ、今のは」
『……あー』
ヴィル先輩にも呆れたように言われ、何のことかと思い返して気づく。確かにフロイド先輩を前に大胆な発言をしてしまった。
でも、それがいけないことだとは思えない。
『気にしたこと無かったですけど……。言える時に言っておきたいから、ですかね。普段あまり話せませんし』
学園では発言を慎まなければならない。学園長との約束であり、自分で自分の身を守るためにつけた枷だ。だからこそ、一言発するのにも言葉を選んでいる。
フロイド先輩とはこうして休日に会えるけれど、それもいつまで続くかわからない。
いつか愛想を尽かされてしまうかもしれない。
いつか突然私が元の世界に戻ってしまうかもしれない。
来るかもしれない“いつか”のために、私はたくさん気持ちを伝えておきたいのだと思う。
「ふぅん。じゃあオレも小エビちゃんを見習って言える時に言お〜っと」
『え?』
「オレもユノちゃんのこと心から愛してるよぉ。“オレの小エビちゃん”?」
『……!』
ニヤリと不敵な笑みで言われたその言葉。そういえばそんなことをあの男優さんに向けて言った気がする。
周りに先輩たちがいる中で、真っ直ぐ向けられる視線。心拍数が上がり、顔が徐々に熱を帯びていくのがわかる。
でも、目の前で悪戯に笑う彼には、なんだか負けたくない。存外私は負けず嫌いなようだ。
だから私も負けじと彼を見つめ返す。
『はい。愛する貴方だけの小エビですよ、フロイドさん』
「……っ!? こ、ンの小エビ……ッ!」
「あっはっはっは! またしてもフロイドの負けですね」
「ボロ負けね。アンタたちの惚気見てんの面白いわ」
「やれやれ。いつになったらユノさんに勝てるのやら」
「く……っ、覚えてろぉ……!」
『ふふ、覚悟しておきます』
フロイド先輩といるだけで、素直な言葉が出て笑えてしまうのだから不思議だ。彼の隣だと新しい自分を発見できて楽しい。
この人がこの世界にいてくれて良かったと、心の底から彼の存在に感謝する。
そんな一日が、こうして終わった。
──ユノ離席中。
「あぁあもぉおおおお!! 悔しいぃぃぃ!!!!」
「残念でしたね、フロイド」
「ユノさんの方が、一枚上手ですね。フロイドがバインド・ザ・ハートされてるじゃないですか」
「くぅ……っ! いつかぜってぇ照れさせてやる!」
「ま、次また頑張んなさいな。さっき協力してくれたお礼に、フロイドに良いものあげるから。スマホ出しなさい」
「んぇ? ……………………ぇえ!? これ!!」
「ラストの撮影でアンタに微笑んでた時の、ユノの写真。離れてて見えなかったでしょ?」
「へぇ。こんな風に笑えるんですね、彼女」
「フロイド限定の笑顔ですね」
「あの子のこの笑顔はアンタだけのものよ。仕事の写真なんて普通は貰えないんだから、感謝しなさい」
「ベタちゃん先輩ありがとぉ!!」