‐ユノside‐



『やっぱり来てましたね。学校は良いんですか?』


「いーのいーの! 学校より小エビちゃん優先!」



水分補給しようとベッドから起き上がり、キッチンに向かったところでフロイド先輩と遭遇した。ユウから寮の鍵を預かってきたらしい。

ユウとグリムは恐らく、今日はフロイド先輩が看病に来ることを見越して登校したのだろう。気転が利くんだかどうなんだか。でも二人のお節介はちょっぴり嬉しかった。



「で、オレより小エビちゃんはどうなの? 具合は?」


『熱があるだけですよ。寝てれば治ります』



コップ一杯の水を飲み、ふぅっと息を吐き出すとフロイド先輩の冷たい手が額に当てられる。



「うわ、あっつー」


『先輩の手、冷たくて気持ち良いです』


「ふふ、ならずっと触っててあげよっか?」


『先輩が火傷しますよ』



魚は人の体温で火傷するとかなんとか聞いたことあるのだけれど……。人魚ならそんなことないのかな。

冗談はさておき、私はまた部屋に戻って眠るとしよう。先輩が来ているのにお構いもできないのは申し訳ないけれど、生憎と接待できるような体調ではない。



「ご飯作っといたげるから、ゆっくり寝てな〜」


『ありがとうございます。おやすみなさい』



たまに寮を行き来しているだけあって、フロイド先輩はオンボロ寮の勝手がわかっている。
学校を休ませて看病させるなんて。悪いなぁと思っても先輩は喜ばないし、ここは素直に甘えておこう。

戸棚から鍋を引っ張り出して、先輩は何かを作り始める。ずっと眺めていたいが、身体がだるさを訴え出したため、名残惜しいけれど部屋に戻ることにした。



* * *



意識を沈めてどれくらい時間が経っただろう。ベッドに横になって重くなっていく頭に抗えず、そのまますぐに眠ってしまったらしい。

ぼーっと眺めていた天井から窓へと視線を移すと、差し込む光はもう赤み掛かっている。軽く五時間ほど寝ていたようだ。



「あ、起きた〜?」


『……?』



近くで聞こえたフロイド先輩の声。視線を手元の方にやると、ベッドに上半身を預けてこちらをみる彼と目が合った。手はしっかりと先輩に握られている。



『おそようございます』


「あはっ、おそよ〜。具合どう?」


『だいぶラクです』



寝る前までのだるさは無くなっている。

昼間にここまで長時間眠るのなんて、この世界に来て初めてじゃないだろうか。なんだかんだで、休日もオンボロ寮を掃除したりフロイド先輩に会いに行ったりで、身体を休ませることなんて無かった気がする。

体温計で測ってみると、37度1分まで落ちていた。



『これなら明日は学校行けそうですね』


「まだ微熱あんじゃん。オレからするとこれでも高熱なんだけど?」


『眠ってここまで落ちたなら、明日には平熱になりますよ』


「も〜。小エビちゃんは無茶しそうで怖いんだってば」


『それより先輩、お腹空きました』


「ぷっ、食欲に忠実だねぇ」



ちょっと待っててねぇと言って出ていく先輩を見送り、ベッドから起き上がって待つ。ご飯を作ってもらったのに食べないのは勿体無い。

程無くして熱々のお粥とスープが持ちこまれ、その香りが私の食欲を増進させる。

いただきますと言って手を合わせ、スプーンでひと掬いしたお粥に息を吹き掛ける。その様子も先輩にじっと見つめられていて気恥ずかしい。冷ましたそれを口に含むと、柔らかいご飯と玉子の香りがふんわりと広がった。



「どう?」


『凄く美味しいです』


「良かったぁ」



舌の上でほろほろと蕩けていくお粥。優しい味が染み渡っていき、幸せだなぁなんて単純な感想を抱いた。



『ほんと、ユウとは比べ物にならないくらいに美味しい……』


「え〜、ただのお粥じゃん。小エビくんってそんなに料理ヘタなの?」


『ヘタなんてモンじゃないですよ、アレは』


「例えばぁ?」


『元の世界で私が風邪をひいた時に、お粥だって言われて出されたのが真っ黒なナニカで……』


「お粥じゃなくね?」


『本人は至って真面目に差し出してくるし、残すのも悪いと思って食べたんですけど……。お腹壊して更に一週間寝込みました』


「うわ、それはヤベェ……」



だから今日は看病しなかったのかぁなんて先輩は苦笑する。それも理由の一つだろうけれど、たぶんフロイド先輩が看病しに来るだろうから邪魔しないようになんて思ったんだろう。それに、今日は体力テストだし、ユウに休まれると私も困る。

ゆっくり時間を掛けて他愛ない話をしながら食事を進め、食べ終わって解熱剤を飲む頃には日もとっぷりと暮れていた。



『ごちそうさまでした』


「はぁい、お粗末さま。じゃあまた寝てな〜」


『眠気無いです』


「ぷはっ、それもそっか」



今日はずっと寝てたからねぇと笑う先輩にベッドに押し込まれる。眠らずとも身体は横にしろということらしい。



「じゃあ眠れるまでお話ししよっかぁ。小エビちゃんが眠るまで帰らないからねぇ」


『寝ない方が良かったりします?』


「この小エビ、帰らせねぇつもりだな?」


『だって寂しいんですもん……』



布団の端を掴んで口許を隠す。

こうして誰かを引き留めるようなことをしたことは無いし、自分の我が儘で気分を害してしまわないかという不安もある。でも、やっぱり彼にだけは正直な気持ちを吐露したいのだ。

学園では大人しく息を潜めなければならない。それは私の身を守る上で仕方のないことだし、不満も無い。
でも、休んでいる時くらいは良いじゃないか。

先輩はそんな私の気持ちを悟ったのか、微笑を漏らすと私の髪を鋤くように撫でる。



「小エビちゃん、付き合ってからどんどん素直になってくねぇ」


『そうさせてるのはフロイド先輩ですよ。先輩にしかこんなこと言いません』


「はは、それならオレも嬉しい〜。学校じゃ難しいだろうけどさぁ、もっと甘えてほしいなぁ」


『充分甘えてるつもりですけど? 人魚になった時も、この間のモデルの時も、先輩がいなかったら乗り越えられませんでした』


「まだまだ全然足んないよ。小エビちゃんはオレの番なんだから、オレにだけはもっと我が儘言って。いっつも我慢してんだからさぁ」



ふにふにと頬を触られて少しくすぐったい。

あの我が儘でまだ足りないと言うのなら、今日はもうちょっと甘えさせてもらおう。



『じゃあ、眠るまでで良いので手を握っててもらっても?』


「そんなのお安いご用!」



横向きになると両手を先輩に包まれる。私の手よりも一回り大きくてちょっぴり硬い手は、守られているような安心感があって自然に笑みが溢れた。



「嬉しいのぉ、小エビちゃん?」


『見た通りです』


「あはっ、じゃあ嬉しいんだねぇ」


『先輩の優しい手、好きです』


「手だけぇ?」


『ぜんぶ』


「オレも〜」



ちゅ、とリップ音を鳴らして額にキスが落とされる。触れ方一つ一つが優しくて、さっきあんなに眠ったというのに瞼が重くなってきた。

もう少し先輩と話していたいけれど、それはまた身体が元気になってからにしよう。



『今日は、ありがとうございました。フロイドさん』


「ん。また明日、学校で会おうね。おやすみ、ユノちゃん」



先輩の優しい声を最後に、私の意識は再び夢の中へと誘われていった。










『ただいま〜。って、やっぱりまだいたんですね、フロイド先輩』

「おかえりぃ、小エビくん。小エビちゃんの熱もだいぶ下がったんだけどさぁ、離れ難くなっちゃってぇ」

『ははっ。先輩もユノに関しては重症ですね』

「だってちょ〜可愛いんだもん。小エビちゃんのことお持ち帰りしたぁい」

『まだダメです』

「…………“まだ”?」

『はい、“まだ”』

「……あはっ、わかったぁ。“まだ”我慢するぅ。じゃ、今日は帰るねぇ」

『はい。ありがとうございました』


(“まだ”、か。小エビくんも面白い子だなぁ)

(今は“まだ”渡せません。その時が来るまではね……)