‐フロイドside‐



「今みたいなキスは大丈夫ぅ?」


『今みたい……な……。……っ、……はぃ』


「ふふ、そっかぁ。それならこれからはあーいうキスしても大丈夫だね〜」


『はい……。そ、それでその……あの……』



視線を反らしてどんどん声が小さくなっていく小エビちゃんにクスッと笑った。

不安に揺れる瞳を見れば、何を考えてるのか想像はつく。



「それ以上のことは、小エビちゃんの心の準備が整うまで待つから、安心してね〜」


『……ごめん、なさい……』


「気にしないの〜。そーゆーのはオレだって真剣に考えたいしね。というか、オレも人間の姿ではやったことないから勉強しなきゃだし」


『そ、ですか……』


「うんうん。その代わり……ってわけじゃないんだけど」


『はい』


「オレも一個悩んでてね〜。聞いてくれる?」


『なんでしょう?』



オレの下で横たわる小エビちゃんを抱き起こし、膝の上に座らせて後ろからぎゅうっと抱き締める。これでも結構堪えてるんだけど、やっぱりこの欲望には敵わない。



「あの、さ……」


『はい』


「……噛みたいんだけど、噛んでも良い?」


『噛む?』



どういうことかとオレの方に振り向いて、しぱしぱと瞬く小エビちゃん。そんな様子も可愛くてオレのノドがきゅっと鳴る。



「小エビちゃんの身体に、オレのモノってゆー印? をつけたいんだけど……」


『しるし……。キスマークみたいな?』


「んー、まぁ……。噛みたいから歯形?」


『歯形……』


「ダメ?」


『ダメではありませんけど、どこに?』


「……本音はノドにしたい」


『の、ノド……は、さすがに……』


「だよねぇ〜……」



知ってた。だってノド噛まれるなんて怖いよねぇ。いくら小エビちゃんでもそれは許してくれないかぁ。

しゅん、と肩が落ちたのが自分でもわかる。あわよくばなんて期待も心のどこかではしていたらしい。



『えと……、先輩?』


「なぁにぃ?」


『一つ、提案なんですけど』



そう言うと、小エビちゃんはオレの膝から立ち上がり、ハンガーに掛けっぱなしになっているオレのネクタイへと手を伸ばした。縛られてるみたいに感じて嫌だったそれは、入学以来一度も付けていない。

それを持って戻ってきた彼女は、自分が着けているネクタイをしゅるりと解く。



『……ノドは噛み痕が丸見えになるから、私が卒業するまで待ってください』


「……ん?」


『今噛むなら首裏か、服で隠れる場所にしてもらえると嬉しいです』


「んん?」


『じゃあ、どうぞ』



小エビちゃんはワイシャツのボタンを二つほど外し、後ろを向いて結っている髪を退かす。

目の前で首を露にする彼女にちょっと焦る。まさか噛むこと自体は許してくれるとは思いもしなかった。



「え……。小エビちゃん、怖くねぇの?」


『怖い? 別になんとも』


「自分で言うのもなんだけど、オレの歯めっちゃ鋭いよ? ギザ歯だよ?」


『はい』


「痛いし血ぃ出るよ、絶対」


『でしょうね』


「怖くねぇの?」



二回も聞いちゃったけど、本当に良いの?
噛んだ後でやっぱり痛いから嫌だなんて言われても困るんだけど?

そっと小エビちゃんの頬を手で撫でる。あまりにも薄すぎる柔らかい肌だ。オレの歯で噛んだら簡単に破けちゃうのに……。

なんて、お願いしたオレが不安になってきているのを知ってか、小エビちゃんはクスクスと笑い出した。



「なに笑ってんのさぁ、人が真面目に心配してんのに」


『ふふっ、ごめんなさい。噛みたいって言ったの先輩なのに、こんなに心配してくれて。やっぱり優しいなぁって思ったら嬉しくて』


「もぉ〜」



またそれか。素直に言ってくれんのはオレも嬉しいけどさぁ。

むくれていると、小エビちゃんは笑うのをやめてオレの手を握った。



『大丈夫ですよ、噛んでも。だって“フロイドさんのモノ”っていう印なんですよね?』


「……!」


『痛くたって血が出たって構いませんよ。私は“フロイドさんの小エビ”なんですから、お好きなだけ噛み痕つけてくださいな』



貴方の印をくださいな。

目を細めて見つめてくる彼女の挑戦的でとろりとした瞳に、オレのノドがゴキュッと鳴り、口許が吊り上がった。



「……はは。小エビちゃんのそーゆーとこ、オレだぁい好き」



人魚の女の子だって生傷は嫌がるものなのに。オレのことをここまで喜ばせられる雌は、後にも先にも小エビちゃんだけだろう。



「我慢できないくらい痛かったら言ってね」


『はい』



再び首を晒す小エビちゃんを、背後から抱いて固定する。服で隠れるとこでも良いけれど、ここはノドに近い首裏にしよう。

顔を近づけると、小エビちゃんの匂いが一層強くなる。それ以上のことをしたくなる欲は抑え込み、麻酔にもならないけれど、傷つけてしまう謝罪の意味も込めてペロリと舌を這わせた。ピクッと反応する彼女が愛おしく、欲望のままに口を開いて柔らかいそこに歯を突き立てる。



『ん……っ』



痛いのだろう。小エビちゃんのノドから声が漏れる。

でも、まだだ。



(まだ、全然足んない)



簡単には消えない痕を残したくて顎の力を強め、小エビちゃんにグッと歯を沈める。



『ぁ……、んん……っ』


(ごめんね。痛いよね。もう少しだけ頑張って……)



じわりと鉄の味が広がった。やはり皮膚が裂けてしまったようだ。痛みで震える彼女を抱き押さえ、充分に歯を食い込ませる。口内に溢れてきた血は、ぢゅっと啜り飲んだ。



(小エビちゃんの味……)



これ以上噛むのは、小エビちゃんの身体もオレの理性も危ない。血を舐め取りながら歯を抜き取り、ゆっくりと口を離す。
彼女の色白な肌にくっきりと残ったオレの歯形。テラテラと光るそこからぷっくりと赤い粒が出てきて、できあがったオレだけの印に満足した。

制服に染みないようにタオルで痕を押さえ、彼女の肩に顔を埋めて抱き締める。



『……終わりました?』


「ん、終わり」


『痕ついてます?』


「めっちゃ凄いのついた。ごめんねぇ、痛かったでしょ?」


『はい、とても』


「ぷはっ、素直〜!」


『でも、嫌な痛みじゃなかったです』



ふふっと笑った小エビちゃんは、どんな痕がついたのか気になるらしい。スマホで撮影して見せてあげると、今度は嬉しそうに頬を赤らめた。

まだ血が出てるし、結構グロッキーな痕だよ?
女の子の肌にあって良いモンじゃないと思う。つけたのオレだけどさ。



「……そんなに嬉しいのぉ?」


『そりゃそうですよ。フロイドさんの愛情の証でしょう?』


「だからそーゆーことを照れもせずに言わないでって……」


『無理です』



こんな会話ももう何度目だろう?
小エビちゃんの言動にオレが慣れる方が早そうだ。

血が止まる頃にボタンを留め直した小エビちゃんは、傍らに置いていた二つのネクタイを取ると、片方をオレに差し出した。



『こっちはフロイド先輩が持っててください』


「こっち?」


『私がさっきまでつけてたやつです。私の名前の刺繍入りネクタイ』


「は?」



受け取って見てみると、確かにネクタイの裏には“Yuno”という刺繍が入っている。ネクタイなんて締めないから、そんなものがあること自体知らなかった。



『……で、こっちは私が貰いますね。先輩の手で締めてくださいませんか?』



小エビちゃんの持つネクタイの裏を捲って見せられ、オレは目を見開く。

“Floyd Leech”

さっきまでオレの部屋に放置されたままだった、新品同様のそれ。オレの名前が刻まれたネクタイを、小エビちゃんの首に?



「……わかった。じっとしててね」


『はい。お願いします』



にこりと微笑む小エビちゃんの手からネクタイを拐い、彼女の襟元に通す。シュルシュルと衣擦れの音を響かせながら、オレの手によって、オレの名前で締められていく小エビちゃんの首。



(なんだコレ……)



何故だか背筋がゾクゾクし、小エビちゃんをこの手で独占している事実に物凄く興奮した。



「……はい、できたよぉ」


『ありがとうございます』



見下ろして、刻まれたオレの名前をなぞる小エビちゃんは、モデルで写真を撮った時のように幸せそうに笑った。



『このネクタイを締めなくなる時が来たら、その時はノドに印をお願いします』


「……っ、卒業するまで待てってそーゆーこと?」


『はい。だってノドに噛み痕があったら目立っちゃうじゃないですか。卒業したらそういうの気にしなくて良くなりますし、その時までは首裏とコレで勘弁してください』



照れ臭そうな、困ったような微笑みでネクタイの刺繍を撫でる小エビちゃん。

ニヤける口許が抑えらんねぇ。スゲェ口説き文句。どこでこんなこと覚えてきたんだか。
今のってつまり、“卒業してもずっと一緒”ってことだよ?
まぁオレも手放す気ねぇけど。



「あは! ユノちゃんのお願いなら聞かないわけにはいかないよねぇ。卒業まで待ったげる〜。オレえらぁい」


『ありがとうございます。フロイドさん』



ちゅ、と優しくキスをする。顔を赤らめてまだ慣れない様子の彼女が堪らなく愛しくて、卒業後の未来の彼女にまで想いを馳せていた。










「オレも明日からネクタイ締めよっかなぁ」

『え、締めるの嫌いなんじゃ?』

「ユノちゃんのネクタイなら締められても良い〜」

『ふふ。ネクタイ締めるフロイドさんも見てみたいですけど、私はフロイドさんを締めるより締められたい派ですからね。そのウツボとエビクッションの首に巻けば良いんじゃないですか?』

「小エビちゃん天才じゃね?」

(ノドへのマーキングは支配欲。首は執着心。卒業しても一緒にいてくださいね)




――翌日。


「「「「「!!!?」」」」」

「……ユノ。おまっ、その首の噛み痕……」

「グリムに噛まれたのか?」

「ンなわけねぇだろ! どう見てもフロイド先輩のマーキングじゃん!」

『派手につけられたと思うだろ? 昨日コレつけて帰ってきたから俺もビックリした。端から見てもめっちゃ痛そうなんだけど』

『そうでもないよ。先輩優しいし』

「そんなこと言えんのお前だけなんだゾ……」



このマーキングをつけてからは、小エビちゃんがクラスメートにからかわれることは無くなった。





「……随分と強く噛みましたね、フロイド。ここからでもユノさんの髪の影から見えますよ」

「あれでもかなり我慢したしぃ、小エビちゃんも喜んでくれたからいーの! 消えそうになったらまたつけてって言ってくれたんだぁ」

「はぁ。一件落着は良いですが、彼女も物好きですね……」

「ふふ、良かったですねぇフロイド」