嵐の前の静けさ03

「あの、立ち話もなんですし、中に入りませんか?」

 ずっと外で話しているわけにもいかないので、秋良は沖矢に店内へ入るよう声を掛ける。すると沖矢は「それもそうですね」とそれに快く了承し頷き、店内へと足を進めて歩き出した。いつもと変わらない穏やかな日常。それが、ほんの一瞬で崩れるとも知らずに。

「今日は比較的落ち着いてますからゆっくり出来ますよ」

「ああ、そうですか」

 他愛のない会話をしつつ秋良はドアを開け入るように促す。それに素直に従い沖矢が店内に足を踏み入れ、秋良も続いて中に入ろうとした…───その時だった。

「キャーッ!!!」

 女性の鋭く甲高い叫び声が空気を切り裂くように突如響き渡った。平和な空気を一変させたその悲鳴に反応し、反射的に振り返る二人。身を翻し悲鳴が聞こえた方へ顔を向けると、そこには黒いハットを深々と被った中肉中背の男が慌てふためいた形相でこちらへ走って来るのが窺えた。

 年齢は30代後半から40代前半くらいだろうか。窶れたような顔には興奮からか、ぎょろりと血走った瞳が辺りを険しく睨み付け威嚇し、尋常じゃない汗を流しながら全力疾走していた。

 そんな男の背後から悲鳴にも似た怒号が飛び出す。

「引ったくりよー!誰か止めてぇっ!」

 その言葉にちらりと男の腕に目を向ければ、そこには男にはとても不釣り合いな赤いクラッチバッグが抱かれている。どうやら悲鳴を上げた女性のバッグのようだ。

「お願い!誰でもいいからっその男を止めてー!」

 引ったくりに遭った女性はバッグを盗られた拍子に転んでしまったようで、地面に手を付きながら必死な形相で男の背中を睨み付け叫んでいる。

「やだ、引ったくりだって…」

「怖い」

 ざわざわと辺りが喧騒に包まれる。周りの人が転げてしまっていた女性に手を差し伸べているのを視界の端に捉えながら、秋良は刻一刻と差し迫ってくる男に意識を切り替えた。

「くっそー!どけコノヤロウ!!」

 きっと、本当はもっとスマートに引ったくる予定だったのだろう。それなのに、想定外にも女性の抵抗が強かった為かこんな騒ぎに発展してしまって男はかなり焦っているようだった。

 何をしでかすか分からない危険な空気を感じる。秋良は男の挙動に意識を向けた。


「退けーーーーっ!!」


 半狂乱の男が腕を大きく振りかぶる。力づくで此処から逃げるつもりなのだろう。きっとあの腕に殴られたら痣だけではすまない。それでも秋良はその場から逃げ出さず前をしっかり見据えていた。…ほんの一瞬、視界の端に沖矢の驚いたような緑色の瞳が映ったような気がした。

 ───あれ?あの瞳の色…どこかで見たことあるような…。

 頭の端でそんな事を考えたのも束の間、距離を縮めていた男が空気を大きく揺らし殴りかかってきた。

 ブォン、と空気を切る音が耳元で鳴る。

 ───空振りだ。大幅に振り上げられた腕ですぐに反撃出来るはずもない。

 するりと男の懐に入り込み、先程よりも大幅に雑になった二撃目のパンチを僅かな力で流れる様に受け流し、その力だけを利用して男をぐるりと地面に叩き付けた。

 ───ダンッ!!

「うぐぅ…っ?!」

 受け身も取れぬまま地面に叩き付けられた男は、何が起きたか理解できないまま詰まったような息を吐き出し地面に伸びていた。


 

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