ドッペルゲンガー06

 大きな音と共に視界が完全にブラックアウトした瞬間、僕は迷わず左親指の関節を外し手錠から手首を捻り出すと、繋がれていた鉄筋から素早く離れ近くにあった大きな木箱の後ろへ身を隠した。

「───っ…」

 通常、関節を外すには痛みが伴う。勿論、元に戻す時も同様。しかし幸か不幸か…この生きるか死ぬかの緊迫した状況に脳から大量のアドレナリンが放出されているらしく、通常感じるはずの痛みが全く感じられなかった。この痛みを感じないうちに、先程外した左親指をまた無理やり元に戻しこれからの事を思案する。

「っバーボンがいない。逃げたわ」

「クソ、どうやって…」

 隙を見てキールという女性を助けなけなければならない。そう思い直ぐには逃げずに近くに身を隠したのだが、思いの外すぐに自分が逃げ出した事に気付かれてしまいこの場から思うように動けなかった。

 どうにかして気を逸らすか隙をつかなければ…。自分一人で逃げ出せばもう一人がどうなるかなんて想像にかたくない。

 ちらりと木箱を見上げる。

 木箱を思いっきり押して倒せばあるいは───…。

 ごくりと生唾を飲み込み覚悟を決めたところで、突然倉庫のドアが大きく開け放たれ事態は急展開を向かえる。


「追え!!」

「っへ、へい!!」


 ジンの鋭い声に慌てたように駆け出すウォッカ。続いて駆け出すベルモットの後ろ姿を眺めつつ、思いもよらない好機に僕は拳を握り締めた。


「……───っ!………───…」

 
 少し汗ばんだ手のひら。激しく脈打つ鼓動。かなりの極限状態にいたせいで、どくどくと心臓から血が流れる音が耳元で聞こえた気がした。

 ジン一人なら背後から不意打ちをかませば何とかなるかもしれない。そう思いチャンスを窺っていたのだが…。

「あばよ、キール」

 バーボン…つまり僕が逃げ出したせいでかなり苛ついた様子のジンは、憤怒の空気を纏いながら無常にもキールに銃口を向けた。

 やばい。まだベルモットがいる今、例え不意打ちでジンの背後を取っても異変に気付いたベルモットにやられて終わりだ。どうする、どうすればいい!?一刻も争う事態にパニックになりそうになったその刹那、また事態は僕の優位な方向へ向かっていった。

「ジン待って!」

 キールが撃たれる。そう思ったのに、ほんの僅差でベルモットの待ったが掛かりジンは引き金を引こうとしていたその指をぴたりと止めた。

「撃ってはダメ!RUMからの命令よ」

 ラム。また知らない名前だ。しかしそのラムという人のおかげで、未だ危うい立場にいるがキールの首の皮一枚繋がった。

「それで我々は何を?…───はい、了解しました」

「チッ」

 ベルモットとラムの会話が続く。何度かの相槌の後、ラムとの通話が終わりベルモットはジンへ向き合った。

「キュラソーからメールが届いたそうよ。…二人は関係無かったと」

「記憶が戻ったのか」

 その言葉に安堵したのはキールだった。

「───どうやらこれで私達の疑いは晴れたようね?さっさとこの手錠を外して貰おうかしら?」

 どういう訳か、キュラソーからキールとバーボンはノックでは無かったとメールが入ったらしい。何が起きたのか分からないが、この電話で生命が救われたのは間違いなかった。

 良かった。僕は影でホッと胸を撫で下ろしつつ、静かに様子を窺っていたのだが、手錠を外してくれと懇願するキールに再びベルモットから待ったが掛かる。


「ダメよ」

「!」

「RUMの命令には続きが。届いたメールが本当にキュラソーが送った物か確かめる必要がある、とも。警察病院からの奪還となるとかなりやっかいになりそうだけど」

 まだ確証が得られないため、手錠を外すことは出来ないと言うベルモット。キュラソーの携帯からメールが届いたのは事実だが、それが本物かどうか確かめるためにまずは警察からキュラソーを奪還すると言う。

 現在キュラソーは警察病院に囚われているらしい。この組織がどんなものかは知らないが、警察と仲がいいとは到底思えない。キュラソーを返してと言って警察の人が素直に返してくれる筈がない。さてどうするのか。今後の展開を知るために静かに耳を済ましていたら、ジンが薄ら笑いと共にゆるりと言葉を紡ぎ出した。

「案ずることはねェ」

「え??」

「俺の読みが正しければそろそろ動きがある筈だ」

 動きがあるとは一体どういう事だろうか…。どこか余裕すら窺えるジンは、懐から携帯電話を取り出すとどこかへ電話を掛け始めた。

 電話が繋がり、キャンティという人物と何やら話し込むジン。どうやら既に警察病院に人を張り込ませていたようだ。…ジンはこうなる事を見通していたのだろう。誰よりも一歩先を見通すその慧眼に、僕は恐れ嘶き背筋を震わせた。


 ───この男は、危険だ…。


 間違いなく、この中の誰よりも狡猾で危険な匂いがする。今回は何とか逃げ仰せたが、再び捕まれば次またこう上手くはいかないだろう。それくらい、ジンという男に甚大な力を感じた。

 手錠で繋がれたままのキールを置いて何処かに向かうジン達を見送りつつ、僕は詰まっていた息を漸く吐き出し緊張し強ばった身体を深呼吸し落ち着かせた。


 

top