プロローグ

待ちに待った修学旅行当日。
相馬光子と千草貴子と並び城岩中学校の三大美女として名を連ねている女子生徒・藤宮美月は可愛らしくラッピングされたクッキーを学生鞄の中に入れ、少し照れた様子で微笑んだ。


「(今日こそ桐山君に渡すのよ。…いつまでも恥ずかしがってちゃダメ 第一これはお礼の品として渡すモノなんだから)」


つい先日の事を思い出す。
いつもなら親友の光子や貴子をはじめ杉村、三村、七原の男子三人組も加わり大人数で帰り道を共にしていた(女の子だけの下校は危ないからと言われた為)美月。


しかしその日たまたま校内で熱を出してしまった美月は早退をして一人帰路についていた。
帰り支度をする美月を見た三村や七原、杉村らが家まで送ると言い出したのだが次の授業まで時間がない。サボらせるわけにもいかないし、それにまだ日が高い昼だ。熱も同行してもらうほど酷くはなかった為、美月はその申し出を丁重に断った。


勿論、光子や貴子達がそれに納得する筈もなく二人揃って「そんな事言わずに送ってもらいなさい」と言ってきたのだが「本当に大丈夫だから」と言う美月に根負けして通話をしながら下校するという事で話が纏まった。


そして約束通り光子達と通話をしながら下校をしていた美月は学校から暫く離れた所で、いかにも不良らしいグループに目をつけられてしまったのだ。


いつもなら三村や杉村など喧嘩も強く頼りになる男子が一緒だった為絡まれることはなかったがその時は違った。
いくら光子達と通話をしているからと言って美月が一人だという事実は変わらない。


「おい見ろよ 城岩中学の三大美女の一人が騎士もつけずに一人で下校してるぜ!」

「いつも周りを彷徨いてる邪魔な野郎共もいねぇし…今チャンスだよな?」

不良グループはそれぞれ顔を見合わせ下品な笑みを浮かべるとすぐ様美月に近づいて来たのだ。嫌な予感がして携帯を握る手に力が篭る。
加えて体調が万全でない事も合わさり、今日は厄日だと心の中でため息をついた。


「ごめんなさい光子 一旦切らせてもらうわね」

「どうしたのよいきなり まだ家にはついてないんでしょう?」

「それはそうなんだけど……あっ!」


光子達に余計な心配を掛けたくないという思いから電話を切ろうとした美月だったが、いつの間にかすぐ側まで来ていた不良グループの一人に通話中の携帯を取り上げられてしまったのだ。
咄嗟に取り上げられた携帯に手を伸ばすも携帯を持つ手を上に上げられてしまい届かない。

「返して それは私の携帯よ!」

『美月?ちょっと!どうしたのよ!?』

突然聞こえて来た美月の鋭い声に通話中だった光子の焦った声が携帯の通話口から漏れる。


「ヒュ〜!怒った顔も可愛いじゃねぇか ホラ返して欲しけりゃ取ってみろよ!」

手の届く範囲までちらちらと携帯を見せつけられ、美月は反射的にそれに手を伸ばした。
だがそれが間違いだった。
携帯を持っていた男は一瞬ニヤリと下品な笑みを浮かべ、もう要は済んだとばかりにそれを地面に投げ捨てると自分に伸びて来た美月の細腕をガシッと掴み、逃げられないよう拘束したのだ。


「やっ…!放して!!」

「放せと言われて誰が大人しく放すかよっ うほぉ〜いい匂いだぜ。たまんねぇなあ」

「(いやっ…誰か!!)」


美月の首筋に顔を埋め、まるで良い匂いのするアロマでも嗅ぐように(尤もそんな状況とは似ても似つかないほどの地獄絵図だが)鼻息を荒くする醜悪な男。

生温く湿った息が美月の首筋にかかり、あまりの嫌悪感に思わずビクッと肩が震えた。
その間にも、アスファルトに落ちた携帯から光子や貴子達の美月を呼ぶ声が聞こえてくる。


美月は一か八か、掴まれていない方の手で男の顔に平手打ちをかました。バチン!と見事男の頬にヒットした手の平。
しかし叩かれた男はというと、平手打ちを食らったにも関わらず気味の悪い笑みを浮かべていたのだ。

「…っ放して!でないとまた叩くわよ」

「それは困ったなぁ ーーじゃ…その前に事を済ませちまうか」


そう言うや否や美月の抵抗も虚しく、一気に人気のない所まで引っ張られてしまった。
これは本当にマズい。美月の背中にツーっ…と冷や汗が伝う。
ーーその時だった。
見張りをしていた不良グループ達のくぐもった声が路地裏に響いた。


「何だっ!」


美月のセーラー服に手を掛けようとしていた男がバッと悲鳴のする方を振り向く。

押さえつけられたまま視線を男から正面に移せば、美月の瞳が驚きに大きく見開かれた。
後ろ髪を長く伸ばした一風変わったオールバックの、恐ろしく端正な顔をした少年。
不良達のトップに君臨する男、桐山和雄がそこにいた。

「き、桐山君!!」

絶体絶命の状況下で現れたクラスメイトの姿に美月がその名を叫ぶ。
桐山は自分の名を呼ぶ美月を見つめ、暫くするとゆっくりと動き出した。



ーーそこからは早かった。桐山は瞬く間に不良グループを完膚なきまでに叩きのめして見せたのだ。
その見事な手腕に圧倒され、声が出なかった。
しかし彼にしてみればそれは赤子の手を捻るのに等しい程容易な事だったのだろう。
その証拠に桐山は汗水一つ流していない。
勿論呼吸音にしてみても、平常時とは寸分の狂いもなく常に一定だった。


危機は去った。美月はただ静かに見つめてくる桐山にお礼を言おうと口を開く。

だがそれは突然現れた第三者、第四者達の声に掻き消された。


「藤宮!」

「美月さん!」

「三村くん、七原くん…!」

現れたのは三村と七原の二人だった。どちらも城岩学園中が誇る俊足の持ち主で、余程急いで来たのかその額には汗が滲んでいる。


突然現れた二人に美月が驚いて固まっていると、三村に両肩を掴まれ真剣な表情で顔を覗き込まれた。

「藤宮 怪我はないか?」

「え、ええ なんとか大丈夫よ。桐山くんが助けてくれたの」


美月は三村の迫力に圧倒されながらも頷いた。一方三村と七原は美月の口から出た言葉に「桐山?」と眉を寄せた。


「桐山って…あの桐山か?」

「私達のクラスメイトの桐山くんよ ほら、そこにーー」


訝しげな表情の三村と七原を不思議に思いながらも桐山がいた方向に目を向ける。
しかしもうそこに桐山の姿はなかった。
つい数秒前までは確かにそこにいたのに、まるで最初から誰もいなかったかのように忽然と姿を消してしまっていた。

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