腹の虫


 コンコン、と扉をたたく。扉の向こうの気配が、揺れたような気がした。

「ファリーナです。ご夕食の準備ができましたわ」

「……ほんとうに、戻ってきたのか」

 声だけが、聞こえた。

「ええ、帰ってきました」

 謝るものか。

「なぜ、戻ってきた?」

「ここが、帰るべき場所だと知っているからですわ」

 そう、渡り鳥のように、ゆくべき場所だから。既にここはわたくしの帰る場所になってしまっている。
 首領殿がなんと言おうとも。

「…里に帰りなさい」

 驚いて、声を上げる。

「…なぜですか?」

「なぜって…、決まっているだろう」

「なにが、決まっているんですか。わたくしの帰る場所はここでございます。…いいえ、ダリウスさまのいるところでございます」

「そんなはずがない。いいから、帰るんだ」

「おひとりでは、何も出来ませんのに?」

 ほかのところを見回ってみれば、ひどく荒れていた。

「…なんとかなった。里から使用人を呼んでもいい」

「それなら、わたくしでも用は足りるはずでございます」

「はっきり言わないとわからないのか…俺にあなたは必要ない」

「必要か必要でないか…そんな話をしているのではありません。…人と、話すときは扉越しではなく、顔を見て話すものではありませんか?」

「それも、必要ない!俺は…俺は……」

「わたくしは、ファリーナは、ダリウスさまのお嫁さんです。添い遂げられたお方です」

 それだけは譲れません。

「だから…一緒に、います」

 逃げて、ごめんなさい。

「一緒に、お食事をしましょう?」

 ひとりきりで、食事を取るのはひどく寂しい。それを、ダリウスにも強要していたのだ。それと気づいて、声を和らげる。

「ひとりで…食べるのは寂しゅうございます。里でのお土産話もたくさんあるのですよ」

「………」

「あとで、持ってきてくれ」

 それは、後でひとりで食べるということだろう。

「いいえ、一緒に、食べましょう。一緒に、食堂まで行って、一緒に、席について、一緒に食事しましょう」

 一緒に、を不必要なほど繰り返す。

 ひとりは、寂しい。

「…ここで、待っていますから」

 と、言った途端に、お腹が鳴った。
 あさから、片付けばかりしていて体を動かしていたのだ。ひどく、お腹がすいていた。
 向こうにも、腹の虫の音が聞こえてしまったようで、戸惑ったような調子が伝わる。

「聞いたでしょう…このままではファリーナは飢え死にしてしまいます」

 やけになって言えば、こらえきれぬように、笑い声が聞こえてきた。

「くっ…ははは、わかったよ、一緒に、食べよう。奥さんに、飢え死にさせるのは事だからね」

 扉が開かれる。
 なんだか、恥ずかしいけれど、仕方あるまい。

 そうして、ようやく、顔を合わせることができた。

「……痩せましたわね」

「顔を見て開口一番、それかい?」

「ええ、見事にやつれてしまわれて…、たくさん、食べて、元に戻しましょう」

「ふふ…そうだね」

 緩く笑んでくれた。

 もう、きっと、大丈夫。そんな気がした。

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