移ろいゆく路


「え……――?」

 お父様から告げられた内容が信じがたくて、声を漏らしてしまう。

「ファリーナ、ルードハーネ君のことは、もう忘れるんだ。今日から、お前はお屋形様となられたダリウス様の婚約者だ」

「…そ、んな。忘れろと言われて、忘れられるわけがございません!」

 悲鳴のように音が喉を滑る。こんなに大きな声を上げたのはもう、覚えていないくらいに昔だった。

「まあまあ、お前がお館様の奥方になることは変わらない」

 だから、安心しなさい。

 そう仰るお父様に初めて憤りを覚えた。
 わたくしが心配に思っているのは、与えられる予定の地位の存続ではない。今となっては、そんな肩書きさえもうっとおしかった。

「……本当に、ルード様がお館様になる可能性は潰えてしまわれたのですか」

「ダリウス様がいなくなられたとしても…ルードハーネ君の他にもっと優秀な者はいる。今の状態では、ほとんどありえないだろう」

 それを最後に、お父様は仕事に戻ってしまわれ、部屋にはファリーナひとり残された。

「そん、な……ルー――…っ!」

 両手で顔を覆う。けれど、ルードハーネのもとに駆け寄る気にはなれなかった。きっと、彼ならば、この事を喜んでいるだろうから。

 里のみなに認められようと体を壊しかねない厳しい修行をしているルードは、とても見ていて痛々しかった。けれど、それを強く止めようにも、彼はわたくしのことなど気にしなかった。
 それどころか、突っぱねられてしまった。きにしなくていい、と。そんな風に頑なになっていたルードの心を開いたのは、ほかでもないわたくしではなく、ダリウス様だった。
 女によりも、男のほうが心を開きやすいのだろうと、その時は納得した。けれど…、もう、――いや、ずっと昔からわたくしはルードの特別な存在になり得なかったのだと、理解してしまった。
 尊重こそしてくれたものの、わたくしが欲しかったのはそれではなかった。欲しかったのは……――。

 涙が、頬を伝う。

 想いを伝えることを躊躇しているうちに、全てが終わってしまった。

 わたくしは、生まれながらに、首領の奥方になることを定められた身。そのお役目に、誇りを持ち、いつか来るその時のために自らを磨いてきた。それは、いつの間にか好きになっていたルードにふさわしくあれるようにと思い始めたのもあった。
 けれど、いまとなっては、その努力もむなしく思えてしまった。

 彼は、首領にはならない。それはすなわち、婚姻を結ぶことは不可能ということだ。ファリーナが婚姻することを定められたのは首領になる者のみ。

 彼が、首領にならないと決めたのならば、わたくしはそれを覆す資格も力もない。

 けれど、とも思う。なぜ、よりにもよって、彼なのだろう。ルードが自ら決めたこととは言え、結果的に首領の座を奪ったとも言えるダリウスに――。

 板張りの床に熱を吸い取られながら、うずくまる。


***


 首領殿が婚姻を拒否したそうだ。
 お父様はお怒りになられている。
 ねがわくば、と思う。願わくば…このまま婚姻の話がお流れになってしまえばいいと。

 しかし、そうはならなかった。いまは、婚姻などと騒ぐよりも、鬼の里に危機が迫っているという。
 すべての災厄が鬼のせいだと言われているのは知っていた。それに対して、わたくしはあきらめしかなかった。けれど、首領殿は違うようだった。

 鬼の名誉を挽回すると、それに忙しいから、婚姻する暇はないと言い出したそうだ。危機もあってか、お父様も強くは言えないようだった。
 そして、狙われることのないようにと、国外に隠れ住むことが決まり…。ルードは首領殿についていくそうだ。

 もう、生きる道は分たれたというのに、いまだに彼のことを気にしてしまう。想いを断ち切るには、まだまだ時間がかかりそうだった。

「ファリーナ、準備はいいか」

「はい、お父様。さあ、お母様も」

「私も大丈夫よ。ありがとう、ファリーナ」

 荷物をまとめ、運ぶことのできない家財道具にため息をつく。

 そのため息に何を思ったのか、お父様は明るい声で、いった。

「なあに、大丈夫さ。すぐにお館様がここに帰ることができるようにしてくれるさ」

 お館様…首領殿のことだ。帰ってきて…真っ先に行われるのは…――。

「そうしたら、お前の婚姻もできるさ」

「そう、でございますね」

 お父様は、お館様と婚姻することを何よりの幸福だと信じきっている。その期待を裏切りたくないと、頬を引き上げて返事をした。

 故郷にすぐ帰りたいと思うと同時に、帰りたくないと思った。

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