しあわせはつらい
結婚式はつつがなく執り行われた。
結婚から逃げる、という考えは選択肢の一つにも上がらなかった。生まれた時から、この時のために育てられてきたのだ。それを否定してしまったら、ファリーナという存在ひっくるめて否定したようなものである。そんな、事まではできなかった。
望もうと、望まなかろうと、わたくしは逃げない。…、逃げることなどできない。
唇を噛み締める。この癖もやめてしまいたいと思うのに、なかなかやめられない。
目頭が熱くなる。今泣いてしまったら、取り繕うのが難しい。そうとわかっているのに、とまらない。
どうして、涙が出るのだろう。わからなかった。
花嫁衣裳に涙のシミができる。シミはどんどん大きくなる。
「ファリーナ……、」
はっと、顔を上げれば、お母様が戸惑ったように立っていた。涙も止まり、笑顔を作る。まるで、この結婚を待ち望んでいた花嫁のように。
そうすれば、ほっとしたように息をつくお母様。
…そうだ。今更、取りやめて欲しい、なんて言えないのだ。そうすることは里への裏切り。
首領殿の革命が成り、鬼の名前も汚名返上となった。これからなのだ。そう、これから、何もかもが始まる、めでたき日。そんな日を喜べないなんて、わたくしはきっと、どうかしてしまったのだろう。
「お母様、どうかしら?素敵でしょう」
「え、ええ…とても、よくにあっているわ。…本当に、どんなにかこの日を待ち望んでいたことでしょう」
目頭を押さえて、我が事のように幸せそうに微笑むお母様。嫌だと思ってしまう、わたくしが悪いのだ。だから、嬉しそうに、嬉しいと感じなければならない。
「お母様、泣かないで」
「ええ、そうねぇ。遠くに行ってしまうかと思うと、どうしても泣けてくるんですの」
「嫌だ、空間移動を使えば一瞬ではありませんか」
「そうと分かっててもね……」
娘を嫁に出すのは寂しいんだよ。
「そんなに、思われてて、わたくしは果報者ですわ」
つぶやく。心の中で叫ぶ。そう思ってくれているなら、この結婚も取りやめにして欲しい、と。
そういうことではないということは重々承知している。だから、頬を引き上げ、お母様の背中をさする。
声を上げて泣きたいのはファリーナも同じだった。
この結婚式が終われば、ダリウス様についていき、帝都の屋敷で暮らす事になる。この、慣れしたんだ里から離れることになってしまうのだ。
いくら、空間移動が出来るとは言えども、距離は埋まらない。
それに、人間の多い帝都でやっていけるかも不安だった。もちろん、屋敷からほとんど出ることはないのだろうとは思う。けれど、不安だった。
そうした、重苦しい感情を全部心の奥に押さえ込んで、笑う。笑うことで、みんなが幸せになれるのなら、いくらだって笑ってやろう。幸せそうに見せてやろう。
「式が始まられます。ファリーナさま」
呼びかけられた。もう、そんな時間なのか。少しの間目を閉じて、心を押し込む。
目を開いた。もう、嫌だなんて思わない。もう、泣かない。わたくしは”幸せ”なのだ。
「わかりました」
どこからか、祭りの太鼓が聞こえてくる。
祝い事に、太鼓を引っ張り出してきたのだろう。
誰が叩いているのだろうか。
上の空でそう思った。
***
式の間、首領殿とは一言も言葉を交わすことはなかった。そのことにありがたいと思う反面、不思議に思う。
そして、一人で納得した。ああ、向こうも仲良くする気はないのだなと。しようと思われてあれこれされるのも迷惑に思うけれど…。
こうも、無関心を突き通されるのも腹立たしいと思ってしまう。
いよいよ、出立の時となった。
「荷物は…それだけかい?」
「はい」
ようやく話しかけてきたものの、事務的なそれに、硬い声で応じる。ほんとうは、両親がたくさんの花嫁道具を用意してくれていた。けれど、その殆どはおいてきてしまっていた。なぜならば、里の中にある首領殿のお館に運ぶのが通例通りなのだが、今回は里の外に…帝都に住むことになっている。そのため、荷物を運ぶことが困難になってしまった。
だから、運ぶのを諦めてしまったのだ。
旦那様…首領殿はそんなことは知らない。知らせなかった。知らせたからといって、どうなるのだろう。どうせ、置いておきなさいと言われるだけだ。
だから、ファリーナの持ち物は大きめの手提げかばんに入る分だけだ。
「では、行こうか」
手を差し出される。
「…わたくしも空間移動はできます」
「けれど、行ったことはないだろう」
さあ、と差し出される手。
「行ったことはなくとも行けます」
顔を背け、行くべきところへ行きたいと念じる。行ったことがないところでも、行けた。あの、海の時のように。
体が歪む感覚がする。苦痛を顔に出さないようにして旅行かばんを持つ手に力を込める。この男の前で弱い顔はしたくない、と思った。
「っく、は……」
空気が変わったのを感じて、声を出す。こんなに反動がきついのは久しぶりだ。まるで、初めて空間移動を使った時のようだ。
(それも当然でしょうね…、だって、行きたくない場所ですもの)
顔を上げる。
深い、森の中。
美しい館がひっそりと木々の間を隠れるようにして建っていた。
***
「………はぁ」
空いたままの手を戻し、ため息をつく。
(前途多難だな…)
取り付く島もない。
ダリウスはすっかり困りきっていた。なんとかなると、信じてみたはいいけれども、実際に面と向かってみると……。
「まいったな……」
何から話せばいいのかわからない。
ファリーナ殿は人前ではにこやかな顔をしていたが、いざふたりきりの時もその調子は変わらず、逆に恐ろしいと引けてしまった。
(これから、こんな調子でやっていけるのだろうか…)
宴のあとの静かな夜空がひとり、ごちるダリウスを見下ろしていた。
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