それから始まった壮絶な戦いは数十分にも及んだ。勝負の舞台は薄暗い路地から廃れた市街地を経て、初めて二人が顔を合わせた荒涼とした土地へと変わっていた。

中々決着のつかない勝負が着実に翠の体力を奪っていく。自身の戦闘力に絶対の自信を持っていた翠とはいえ、体力戦闘力共に飛びぬけた――文字通り化け物じみた男の相手をするのは中々に骨が折れる。いや、実際に骨も何本か持っていかれた。

たった今、数メートル先へ吹き飛ばした対戦相手もそうであってほしいと願うばかりだが、現実はそう甘くはないらしい。仰向けに倒れていた神威が体を起こした瞬間、翠からは舌打ちが漏れた。


「っ…しぶとい奴だ」


先程潤したというのに、完全に乾ききった喉を使って浅い呼吸を繰り返せば、脇腹から滴る血が地面に血溜まりを作る。だらりと垂れ下がった左手は肩から完全に折れていて、何とか地面に踏ん張っている両足の腿には弾丸が貫通した跡が目立つ。

一方の神威も腕に巻いた包帯は既に赤黒く染まっており、翠の攻撃を回避できずに負った傷は一つや二つではなかった。額から流れる血で顔を染めながら、その奥に見える青い瞳は嬉々として輝いている。


『ははっ…まだ立ってるなんて、正直驚いたよ』
「は…それは、こっちのセリフだ…っ」


数えきれないほどの攻撃を受け、翠にも引けを取らない出血量だというのに、神威は一切笑みを絶やすことなく対戦相手に賞賛を浴びせた。随分と余裕なことだ、と苦笑いを零した翠だったが、霞んだ視界がふらりと揺れるのを感じて眉を寄せた。自由な右腕で目を擦り、急いで視界を回復させるも中々焦点が合わない。


「(…血を流し過ぎたか、)」


これ以上長引けば死は免れない。

本能でそう感じ取った翠だったが、何年かぶりに感じた"死"というものに恐怖を覚えるでもなく、再び対戦相手を視界に映して不敵に笑った。

相当の深手を負っているにも関わらず、目の前の夜兎はまだ血に飢えている。永遠に潤うことのない渇きを満たすかのように、湧き上がる欲求を満たすかのように。

大量の出血と両足の負傷から僅かばかり反応が遅れた翠に、真っ赤に染まった拳が容赦なく打ち込まれた。ぎし、と軋んだ肋骨に奥歯を噛み締める。

反撃しなければ、と頭では理解しているものの、体がこれ以上言うことを聞かない。どうやら限界が来たようだ。

次に向かってきた攻撃を防ぐ術は、もうなかった。立っているのもやっとな翠に、それは止まるどころか勢いを増して迫って来る。これは間違いなく彼女の誤算だった。

この男は強い。数日前に戦った時よりも、遥かに。

体に流れる血に従って貪欲に力を求め、強者を求め、自己を満たす中で生き甲斐を求めるのは完全に夜兎のそれ。だがしかし、


「(その青い瞳に映っているのは、私じゃないな)」


それが何かまではわからない。が、神威が見据えているのはもっと別のものだという確信が翠にはあった。強さの先に、一体何を求めるというのか。

構えを解いてふっと笑みを零せば、首筋に寸分も狂うことなくぴたりと添えられた手。霞む視界に映った血濡れの神威は笑顔で告げた。


『俺の、勝ちだね』
「…ああ。私の負けだ」
『ははっ、やっぱり翠は強いね』


そう言って首筋の手が退けられると、完全に膝の力が抜けた翠の体が仰向きに倒れた。折れた肋骨に響く震動に小さく咳き込めば口内が切れていたのか血が混じる。それを手の甲で拭いながら隣に立つ神威を見上げた。


「…生かすつもりはないのだろう?」


血に飢えているこの男のこと。大方勝負は建前で、興味が失せれば殺すつもりだったはず。しかしその言葉を聞くや否や、しゃがんだ神威の青い瞳が鋭く細められた。


『心外だな。俺、約束はちゃんと守る方だよ』
「…そう、か。それは悪かった」
『それに、俺がこんなに興味を持ったのは初めてなんだから。ちゃんと責任とってくれないと困るよ、翠』


別れを切り出された彼女のような台詞と共に翠に差し出されたのは真っ赤に染まった手だった。

どうやら、今更どう足掻いたところでこの我儘からは逃れられないらしい。

知りたくもなかった自分の運命に思わず笑みを零した翠は、真っ直ぐ伸ばされた手に血だらけの右手を重ねた。

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