地に足をつけていられたあの頃


いつ見ても、この空間は息が詰まる。
鳥籠のようなこの空間が、土方はあまり好きではなかった。ただでさえ酸素不足が心配されると言うのに、横にはおしゃべり人間という名の二酸化炭素製造機が置かれている。

「よっ、色男」

ひらひらと手を振る陽気な女を早々に視界から遮断する。変に関わらないのが一番だと重々承知しているからだ。無残な―それこそ生ける屍のような―姿を晒していたいつかの同僚を思い出し眉を寄せる。一体どんな弱みを握られていたのかと問えば彼は顔面蒼白で走り去ってしまった。最早哀れとしか言いようがない。

「君って相変わらず綺麗な顔してるねぇー」

そんな土方の心中を知ってか知らずか彼女――名前は口角を釣り上げた。こんなふざけた調子の奴が例の風間を黙らせてしまうのだから恐ろしい。あのグループ内で苦労人と名高い天霧が、近頃生気に満ち溢れているのは偏に彼女の尽力―生憎と詳細は不明だが―によるものだと人は口を揃える。

『(それにしても、近すぎるだろ)』

何よりもパートナーとの意気投合が大切だとのたまうお偉い様のお陰で、やけに隣接したシートに腰を下ろせば寄せられる顔。整ったパーツ。傷一つない白い肌。性格に反して一切の穢れを知らないような山吹色の澄んだ瞳。それがまた土方の苛立ちを掻き立てる。

「んで、この前の出動は上手くいかなかったんだって?」

親父臭い笑みを漏らしながら口を開く彼女を一睨みするも全く気にする様子が無い。それどころかゲラゲラと愉快そうに笑って身を乗り出してきた。

「噂になってたよー。あれじゃあの子のプライドもズタボロだろうに。だぁいすきな人から”さっさと消えろ”なんて、最低にも程があるんじゃないかしら?」
『…足手纏いだったから切り捨てた。それだけだ。私情を挟む人間にろくな奴はいねぇ』

これはこれは他でもない彼女に「お前も邪魔するなら捨て置く」と暗に伝えているのだが、当の本人はその言葉の真意に気付いていないのか気付いていないフリをしているのか(恐らく後者だろう)、腹が立つほど余裕な笑みを一度も崩さなかった。
それから暫く無言が続くが、意外にも意外。先に折れたのは彼女の方だった。勢いよく背を預ければギイ、と音を立てるシートに土方は意味も無く目をやる。その瞬間、上がりっぱなしだった彼女の口角が心底不快そうに歪んだ。

「さっすが、イケメン様は何しても様になりますねぇ」
『…馬鹿にしてやがるのか』
「はっ、そんな価値もないっての。人間を人間として認知しない奴には同情しないのとおんなじ心理だよ。…ほんと、最低だね君」
『褒め言葉だな』
「あーあー憎たらしい」

生憎イケメンという人種が大嫌いなもんで。一転してケタケタと笑う女。

「正直この場所にも飽きたから、誰かに譲ろうと思ったんだけど…この前見事に断られちゃった。ざんねーん」
『当然だ。何よりあいつにこの場はまだ早い。…お前、後輩虐めも大概にしろよ』
「…ったくさぁ、これだから嫌いなんだよ。イケメンなんてこの世から滅びればいいのに」

冗談じゃない。彼女の都合でただでさえ減少傾向にある人口がさらに減るなんてたまったもんじゃない。

「あ、その前にちゃーんと子孫は残していってね?種付けはこの際人間に限らなくてもいいと思うよ。まあ、ゆくゆくは彼らも悲惨な運命を辿っていく事になるだろうけど」
『少しは恥じらう事を覚えろ変態。つーか心を読むな』
「その変態がこの世界守ってんだから世も末だよなー」

ふざけた会話に頭痛を感じ始めたところで、目の前の液晶一杯に広がる文字と警鐘に空気が一転した。

「ったく、最近多すぎじゃない?」

言いながら左耳のインカムを二回、指先で叩く。

「ああ山崎?一号機の補給お願い。あと使用許可と迎撃準備も宜しく。他に動ける部隊いたら連絡するよう伝える事。頼んだよー…あ、じゃあ風間以外に援護要請回して。…えーヤだよあいつと組むの。何仕出かすかわかったもんじゃないし…ああ、うんそれでお願い。5分で終わらせる。え?ああそう、今日は優秀なあのとしぞーくんだから平気。ん、じゃねー」

すぐに応答した相手に、ころころと表情を変えながら慣れた様子で指示を与える。時間にしてほんの数秒の通信が切れた瞬間、土方は山吹色を怪訝そうに見つめた。

『お前、俺の事嫌いじゃないのか?』
「ん?嫌いに決まってんじゃん。少なくとも、この人生勝ち組が、いつか禿になって早々に女の子に愛想尽かされろそして二度と私の前にそのムカつく面見せるなーくらいには思ってるよ」
『だったら何で、俺を選んだ?』
「…」

今日この場に来たのは何も土方自身の意志ではない。予想もしていなかった突然の招集。上からの命令とは聞いていたものの、彼は当初から何処か違和感を感じていた。そして何の根拠も無く彼は確信していたのだ。

『答えろ、名字名前。お前は、何故俺を指名した?』
「…それって、今関係ある?」
『は?』

肩を竦める彼女に間の抜けた声を漏らす土方。その様子を見届けた彼女は、再びお世辞にも可愛いとは言えない下卑た笑顔を浮かべた。

「私情を挟むなって言ったのは君の方だよ。そりゃまあ、どうしてもって言うならそれなりの理由を考えてあげるけど、君が望むような答えは用意出来ない。私は君の事が嫌いだから、思った事がぜーんぶ出ちゃうでしょう?気を悪くしてやる気が一気に低下、恐らく数分後には幕を開ける戦いに影響を及ぼすのは目に見えてるけど…どうする?」

ああ、そうか。
一人納得した土方は思わず舌打ちを漏らした。遠回しすぎて何一つとして解けなかった謎がたった今、一気に紐解かれた。
つまり、そういうことだったのだ。
慰めは嘲りと期待。挑発は傾慕。憂さ晴らしの餌食…はそのままだとして、恐らく揶揄は、酷く歪んだ愛情。彼女の最初で最後の、この上なく理解し難いメッセージ。
一体彼女が何時何処で血迷ったかはわからないが、不思議と”煩わしい”とは感じていない自分に土方は素直に驚いた。それにしてもこれは厄介な事になったと、再び舌打ちが漏れる。不機嫌を露わにする彼から視線を外した彼女は、今までとは打って変わって穏やかな声で問いかけた。

「としぞーくん、知ってた?」
『…何が』

顔を上げれば、視界に飛び込んでくるのは迷いの無い真っ直ぐな目。外に広がる見慣れた世界を見て彼女はぽつり、懐かしそうに呟いた。懐かしの地に咲く山吹が、寂しげに身体を揺らす。

「私たちの星ってね、元々は青かったんだよ」

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