鳥になりたかった少女


「何故ですか、教官」

普段第三者によって開かれる事がない茶色の両扉が、壊れんばかりの勢いで来訪者を知らせる。驚きに目を見開く斎藤に突き付けられたのは、彼自身の行いを咎めるものだった。

「知識不足だとは到底思えませんが」

何も言わない斎藤を見て再び非難の音を紡ぐ。

「人手が足りていないと伺ったのはほんの数日前です。総司令官からも意思があれば認めるとの許可が下りましたし、自分をそれを希望しております。後は斎藤教官の許可のみだと伺いました」

珍しく一息で喋り終えた彼女は次の瞬間、涼しい色が困惑に揺らいだのを見た。しまった、と。声には出さずともその表情は十分に彼女の心を代弁していた。進むにも退くにも重々しい空気が二人の間に流れる。いつか大きな窓の外で華々しく咲き誇っていた桜の木は睦月に入り青々とした葉を風に揺らしている。

『―――名字』

彼女が敬愛して止まない彼は、寡黙な見た目通りに静かな音を奏でた。

『何をそんなに、死に急ぐ必要があるというのだ』

どこか咎めるような視線に、先程までの勢いを取り戻した名前が抗議した。

「教官は、自分が何の考えも無しに出した結果だとお思いですか」

口調は穏やかだが、その瞳の奥には確かな不満が滲んでいる。それを認め困ったように眉を顰めた彼は、ゆっくりとかぶりを振った。

『否、そうは言っていない。しかし故にわからないのだ』

常に死と隣り合わせで生き続ける彼らに魅力があるとは到底思えない。生き様こそ見事なものだが終焉を迎える際は儚い一瞬のそれと同じだ。走馬灯も見られないと聞く。家族と離れ、日々恐怖と孤独に身体を震わせたいと望む彼女を訝しむのは、当然といえば当然だろう。

『その類稀な才知は、前線でなくとも引く手数多だろう』

わざわざ死を選ぶ事はない。そう言えば再び首を横に振る。相も変わらず何を考えているのかわからない彼女は、斎藤の言葉に静かに目を伏せた。

「それじゃあ、意味がないんです」
『…意味?』
「はい」

力強く頷いて窓に目をやる。釣られて斎藤も目を向けるが、あるのはやはり大きな桜の木だけ。しかし良く見ると彼女の視線はもっと高くを見据えているようだった。

「私は、空に行きたい」
『空…?』
「そうです。…あれ、見てください」

言われて再び窓の外に視線を送る。するとその先では白い鳥が羽を羽ばたかせ太陽に向かって高く昇っていく。どうもその光景が彼女には重要らしい。尚も理由が分からない斎藤は隣で穏やかに目を細める彼女に問い正した。

『あの鳥と何の関係があるのだ』
「教官知ってますか?鳥はいつでも自由なんです。何も縛られず、好きな時に好きなだけあの広い空を飛ぶ事が出来る。まるで自分だけの世界を生きているみたいに」

思案顔の斎藤に気付き苦笑を漏らす彼女は、普段通り”優秀なのに不真面目な名字名前”の顔に戻っていた。恐らく、彼が自分の意図に気付いたと感づいたのだろう。その眉は少しだけ、申し訳なさそうに垂れていた。

『…死にに行くというのか』

硬い声は、彼女の言動を咎めるようにも、何処か困惑しているようにも聞こえる。やっぱり、と思わず噴き出した名前は誤魔化すように手を振った。

「だから、死にに行くんじゃないんですって」
『だが、死は絶対だ。何故そうまでして…』
「お国の為…ってのは建前で、本当の理由は別にあります。ほら、私って誰かの為に尽くす人間でも無いですし?だったら最後くらいどかーんと大きく、国の為に何かしてやろうと思いまして」
『…変える気はないのか?』
「――はい。もう決めましたから」
『…そうか、』

見た事も無い苦しげな師の表情に名前は深く、頭を下げた。

「…斎藤教官には散々ご迷惑をお掛けしました。それで、最後に一つ頼みたいんですけど…私の事は日本国の為に生きた人間として記憶しておいてくださいね。不真面目で阿保な勤労学生じゃなく」
『ああ、覚えておこう。俺が教えた中で、一番の変人だったと』
「…枕元に化けて出ますよ」

微かに笑みを浮かべた斎藤を認め、名前は窓の前に立った。

「じゃあ元気に死んできます、ってのはちょっと聞こえが悪いかな…あ、じゃあこう言いましょう」

「私は、この空を自由に飛び回る鳥になってきます」

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