すれ違い恋心


「お帰りなさい、斎藤さん」

巡察から帰ってきた一くんに笑顔で駆け寄る名前ちゃん。

『…ああ、名字か』

一方彼も張り詰めていた緊張を解き、ふっと顔を緩めた。楽しそうに話している二人には僕の存在なんて空気同然で、当然入る余地なんて微塵もない。

「あ、そういえば先程土方さんがお呼びになっていましたよ」
『そうか、わかった』

一くんの背に軽く頭を下げた名前ちゃんが振り返り、視線を上げるのと同時に顔を強張らせた。

『見事に気付かなかったね』
「っお、沖田さん!お帰りなさい…」

瞬時に逸らされた目線に苛々する。

『名前ちゃんさ、何をそんなに怯えてるの?』
「え?」

弾かれたように見上げた瞳は恐怖と不安で揺れていて。さっき一くんと話していた時の笑顔を思い浮かべて思わず舌打ちした。

『一くんに媚び売るのも大概にしなよ』

低くなった僕の声にびくっと肩を跳ね上がらせる彼女は何処からどう見ても僕に怯えてるようにしか見えない。それがまた、僕の苛々に拍車をかけた。

「媚びだなんて、そんな…」
『じゃあ何で僕と一くんじゃこんなにも態度が違うの?』
「そ、れは…」

強く問いかけると困惑した様子で俯く彼女に、これ以上何を言っても無駄だと判断した僕は深く息を吐いた。

『あのさぁ――『おい総司!お前また名前苛めてんのかよ!?』

辺りに響き渡る、男にしては高い声。やれやれと振り返れば最年少幹部の平助くんが怒ったように仁王立ちしていた。

『苛めてるだなんて、酷い言われ様だね』
『事実だろ!』

肩を竦めながら仕方なく彼女と距離を取ると、ずんずんと歩いてきた平助くんが名前ちゃんの腕を掴んだ。

『ほら名前、団子買ってきたから一緒に食おうぜ!』
「あ…」

大股で歩き出す平助くんに引きずられる様にして屯所へ向かう彼女は、ぺこりと申し訳なさそうに頭を下げると、もう僕を視界に入れることはなかった。

『…あーあ、苛々するな』

怯えた表情しか見せない名前ちゃんも、彼女には笑顔を見せる一くんも、あの子に触れる事が出来る平助くんも。

『ほんと、苛々する』





『で、今回は何で絡まれてたんだ?』

むしゃむしゃと団子を頬張る平助くんにお茶を差し出しながら苦笑する。

「ううん、別にそんなんじゃなくて…」

ちょっと世間話してたんだ、と笑って誤魔化せば彼は腑に落ちない様子だったが渋々頷いてくれた。

『にしても総司のやつ、やたらと名前を苛めたがるよな〜』
「っ…」

その一言にズキン、と胸の奥が音を立てた

道に倒れていた所を芹沢さんに拾われ、あの方が死して尚留まらせてくれる新選組の皆さん。組織の多くを知ってしまった私を最初こそ監視対象としていたものの、優しく接してくれる皆さんに安心して段々と打ち解けていった。でも沖田さんだけは変わらず私の事を目の仇にしていて、私を見れば"斬る"や"殺す"など非情に物騒な発言しかしない。それもあって、どうしてもあの人に声を掛けられると体を強張らせてしまう癖は抜けきらない。
――けれど私は…

「…やっぱり嫌われてるのかな」

ぽつりと漏らした一言に平助くんが眉を顰めるのと同時に二つの足音が響いてきた。

『お、美味そうな団子食ってんじゃねーか!俺も混ぜてくれよ!』
『平助ぇ、独り占めしようったってそうはいかねぇぞ』
『新八つぁん!左之さん!』

いつもの三人が揃ったところで慌てて立ち上がる。

「あ、ではお茶の準備を…」
『あーいいって、この後呼ばれてるから』

すぐ行くさ、と笑った原田さんに腕をひかれ再び縁側に腰掛けた。

『それにしてもさぁ、ほんと総司って名前苛めるの好きだよな〜。こいつだって毎日"斬る"とか"殺す"って言われたら怖がるに決まってんじゃん』

再び先程の話題を挙げた平助くんに、きょとんとした様子で顔を見合わせた二人が吹き出すように笑った。永倉さんに至ってはお腹を抱え、盛大に肩を揺らしながら笑っている。

「は、原田さん…?永倉さんまで…」
『な、何で二人とも笑ってんだよ!?』

平助くんと私が思わぬ反応に戸惑って顔を見合わせると、原田さんが平助くんの頭に手を置いて髪を掻き回した。

『ったく、だからお前はお子様だって言われるんだよ平助』
『さ、さすがにこの俺でも気付いてたのによぉ、』

腹痛ぇ、と尚も笑い続ける新八さんを一瞥した平助くんは頭の手を払って質問を投げ掛けた。

『じゃあ左之さんは知ってんのかよ?』
『ああ、だが多分俺じゃなくても…平助と"当事者"以外は全員知ってんじゃねぇか?』
「え?」

きょとんとする私を見て原田さんは『やっぱりな』と呟き苦笑を漏らした。

『大変だとは思うが…総司のこと、たまには構ってやれよ?』





「よしっ、これで終わり!」

夕餉の片付けと朝餉の仕込を終え、その日一日の仕事がようやく全て終了した。勝手場で一つ大きな伸びをし、部屋へと続く角を曲がった瞬間。

「っ!?」

勢いよく何かにぶつかり、慌てて謝ろうと顔を上げた私は目を見開いた。だって其処には、迷惑そうに端整な顔を歪める…

『今日は随分と君に遭遇するね、名前ちゃん』
「そう、ですね…」

沖田さんが立っていたのだから。思わず後ずさると彼も同じように距離を詰めた。

『で、突然ぶつかってきて謝罪も無し?そんなに殺されたいの?』
「あ、す、すみません…っ!」

慌てて謝るとじっとこちらを見ていた彼はつまらなさそうにため息をついた。思わず俯くと視界に広がる床にポタッ、と水滴が落ちゆっくりと染み込んでいく。原因を辿って顔を上げると沖田さんの濡れている髪で、瞬時にお風呂上りなのだとわかった。春先とはいえまだ冷え込む時期なのに、風邪でも引いたら大変だ。

「あの、沖田さん…髪、乾かさないんですか?」

お節介だとはわかっていながら遠慮がちに尋ねると彼は自身の髪に触れて眉を顰めた。

『面倒くさいし、別にいいよ』

その言い方が何だか『君には関係ないでしょ?』と突き放されているようで。

――"総司のこと、たまには構ってやれよ?"

ふと原田さんの言葉を思い出した私は自分でも驚く行動に出ていた。

「こ、此処にお座りください!」

腕を引いて縁側に沖田さんを座らせた私は彼の首元の手拭いで髪を包み込んだ。沖田さんの色素の薄い髪は女の私なんかよりもずっとさらさらで、繊細で。

「綺麗…」

思わず口走っていた事にはっとなり、慌てて握っていた手拭いを離すと突然彼が振り返った。

『ねえ』

ぱしっと腕をとられ反射的にびくりと肩が跳ねる。

「やっぱり、私なんかが髪に触るのはお嫌…ですよね」

謝罪を入れ俯く私とは対照的にじっと見つめてくる翡翠色の瞳はどこか困ったように揺らめいて。

「…沖田さん?」
『僕の事、嫌いじゃないの?』
「え、」

思わぬ言葉に私は数回目を瞬かせた。

『だって君さ、僕を見る度に怯えるし何か言えばすぐに"ごめんなさい"って言って逃げちゃうし。今だって平気なフリしてるけど本当は怖くて仕方ないんでしょ?…ま、別にいいけど。…僕は君に随分嫌われてるみたいだし』

それだけ言って視線を逸らした彼に、私は驚きを隠せずに少しだけ顔を覗かせた。すると驚く事に、其処には顔を紅くして何処か居心地悪そうに視線を彷徨わせる沖田さんがいて。普段の意地悪で恐怖を感じる彼は見る影も無い。

「ふふ…っ」

私は思わず吹き出すように笑ってしまった。

「す、すみません…でも、沖田さんを嫌うだなんて」

確かに"恐怖"という感情はあれど、そこに"嫌悪"というものはなかった。驚いたような表情でこちらを見つめる沖田さんに首を傾げながら手拭いを返そうと腕を伸ばす。

「っ、きゃ!?」

すると途端に腕をひかれ、体勢を崩した私は彼の上に覆い被さる形になってしまった。

「っす、すみません!!すぐに退きますから、」
『…可愛い』
「え?」

ぽつりと小さく呟かれた言葉が聞き取れず彼に聞き返すと、彼はふと表情を緩めた。

『やっと僕に笑ってくれたね、名前ちゃん。…可愛い』

目を細めて笑う沖田さんに固まること数十秒。

「っ…!?」

ようやく事を理解した私はこれ以上無いほど目を見開き、まるで金魚のように口をぱくぱくと開閉させた。

『僕の事嫌ってるからなのか、笑うどころか話してさえもくれなかったよね』

どこか拗ねたような口調に私は驚いて顔を上げた。

「わ、私、沖田さんを嫌いになんてなるはずありません!!だって…っ私は沖田さんの事が――…!」

勢いで口走っていた言葉にはっと我に返ると、目の前には普段以上に意地悪く微笑む沖田さんの顔があった。

『へえ?』

ニヤニヤとしながら小首を傾げた彼にかあああっと顔中に熱が集まり、急いで彼の上から退いた。すると彼は、手を握り締めて目線を彷徨わせる私の顎を掬い上る。

『ほら、名前ちゃん。僕の事が…何なの?』

悪戯っ子のように笑う彼に耐え切れなくなった私は、ほとんど叫ぶようにして思いの丈を伝えた。

「私がっ…貴方の事を、す、すすす好きじゃ駄目ですか…っ!?」

色気も何もない、感情に突き動かされて打ち明かした想い。さらに熱を上昇させる私の前で彼は困ったように笑った。

『てっきり僕は君に嫌われてると思ってたんだけどな』
「わ、私だって!まさか自分を殺そうとする人に恋するなんて、思ってもみませんでした。嫌いになれたらどんなに良かったことか――」

その言葉を遮るようにして体全体に回された熱に、私は本日何度目かわからない奇声を発した。

「お、おおお沖田さんっ!?」
『…僕も君が好きだよ、名前ちゃん』

愛しさを込めた彼の言葉に再び固まった私から、今度はなんとも可愛くない言葉が飛び出した。

「…私も、沖田さんには嫌われているという自信がありますけど」

精一杯の仕返しとしての言葉は沖田さんの笑顔によって掻き消された。

『好きな子ほど苛めたい、ってことじゃない?』

苛めるの度を越して私が毎回怯えていた事には触れて欲しくないのか、彼は笑うだけだった。恐怖と恋慕という二つの感情が渦巻いていた私の胸は、いつの間にか彼に対する愛しさで溢れている。

「…もう、斬るなんて言わないで下さいね?」

そう言って頬を膨らませると沖田さんは『君が心変わりしないならね』と言って目を細めた。月明かりに照らされながら、顔を真っ赤にした私と優しく笑った沖田さんの影が重なった。

 - Back - 
TOP