無言の圧力ほど怖いものはない

「で、どういうこと?」

にこにこ。満面の笑みを浮かべながらテーブルに両肘をついてその上に顔をのせる。

『なに、名前から誘ってくるなんて珍しいじゃん』
「えへへ、もっと銀ちゃんのことを知りたくて。話逸らさんとこっち見んかいワレ」
『怖ェよ本音だだ漏れだよこの子』
「これは職務質問です。素直に答えないと逮捕しちゃうぞ」
『銀さんこんなに可愛くねェ「逮捕しちゃうぞ」は初めてだよ』
「そう…」

ならば最終手段だ。私は真っ直ぐに手を上げると、遠くに見えるウエイトレスのお姉さんを大きな声で呼んだ。

「すいまっせーん!チョコパフェと白玉あんみつ追加でお願いしまーす!」





「へえ、じゃあ本当に銀ちゃんが白夜叉なんだ」

聞けば桂や高杉は同じ寺子屋で育った幼なじみのようなもので、攘夷戦争にも一緒に参加していたらしい。まさか銀ちゃんにそんな過去があったとは驚きだが、それよりも私は案外簡単に教えてくれたことに対して驚いている。相手は仮にも警察なんだけどな、と思いながら必死にチョコパフェを食べる銀ちゃんを見る。この人絶対甘味につられて秒で情報吐いちゃうタイプだよ。

『で?正直に話したけど、俺逮捕されんの?』
「んーどうしよっかなー。聞いておいてあれだけど、個人的には別に興味ないからね」
『おい警察官』
「だって、攘夷活動の手引きしてるって証拠上げるのも面倒だし、甘党仲間がいなくなるのは寂しいし。現行犯でもないから今回は何も聞かなかったことにしてあげる」
『…名前』
「ん?」
『ありがとな』
「どういたしまして」
『色々奢ってもらって悪ィな』
「え?誰が奢るなんて言った?」
『…え?え、嘘だよね名前ちゃん?俺今月マジでピンチなんだよ、本気でヤベーんだよ』
「パチンコでスった上に競馬でぼろ負けだってね」
『おいおい情報漏洩してんぞー。誰だタレコミやがったの』
「公園をマイホームとして生活しているおっさんが」
『クソ、あのマダオめ…!』
「銀ちゃんも負けず劣らずのマダオだけどね」

笑いながらあらかじめ頼んであったあんみつを口に運ぶ。

『つーか名前、あんまり仕事のことに口出しする気はねェんだけどさ』
「ん?」
『あんまり危険な橋は渡るなよ』

やけに真剣な表情の銀ちゃんから視線を逸らして白玉をつつく。夏祭りの夜、高杉の言っていたことを気にかけていたのだろう。

『お前、普段はちゃらんぽらんなくせに変なところで真面目だろ。後先考えずに突っ走るのはやめとけよ』
「それ銀ちゃんだけには言われたくないけどね」
『俺は真面目に心配してんだよ』
「まあ努力はするけど…ほら、一応警察やってるわけだし」

職業柄、自分の命を第一優先にとは言い切れない。

『まあとにかく…お前に何かあったら悲しむ奴が大勢いるってこと、忘れんなよ』



***



「入りますねー」

スパーンと開ければ文机に向かって仕事をしていた土方さんが溜息をついて視線を上げた。

『お前な、開けながら声かけても意味ねェだろうが』
「女の人連れ込んでるわけじゃないんだから別にいいじゃないですか」
『俺が言ってんのはそういうことじゃなくて、』
「はいはいすいませんでしたー以後気を付けますー。それよりこれ、今日の報告書です」
『…珍しく早いな。何か企んでるのか?』
「失礼ですね」

ちゃんと仕事をしている人間に向かってなんてことを言うんだ。

『なあ名前』
「別に今日はサボってませんよ。ちょっとファミレスに寄り道しただけで」
『世間じゃそれをサボリと呼ぶんだよ。そうじゃなくてお前、ここ最近ちゃんと寝てねェだろ』
「いきなりどうしたんですか。まあそりゃ張り込みとか密偵の時は無理ですけど」
『お前な、バレてないとでも思ってんのか』
「だから何がですか」
『まだしらばっくれる気か?』
「ちょ、」

イラっとした様子の土方さんに勢いよく手を取られて掌を見られる。所々皮膚が切れて血が滲んで、到底年若い女の手とは思えない有様だ。祭りの夜以降、昼は見廻りで夜は剣術の稽古。まともに寝る時間なんてあるわけがない。

「…そこは知ってても黙ってるべきですよ」
『どっかのバカの肩借りて寝こけるくらいだもんな』
「寝こけてません、あれは陽気にやられたんです。あんないい天気の日にまで仕事するなっていう神様のお告げで」
『だーもう!ごちゃごちゃうっせェんだよお前は!』
「うるさい!?私なんかより土方さんのほうがよっぽどうるさ、」

突然掴まれた頭。そしてそのまま勢いよく地面に叩きつけられ―――

「…あれ?」

痛くない。視界は90度反転したものの顔に来るはずの衝撃はない。しかも心なしか視界が高い。そこでハタ、とあることに気付く。もしかしてこれ、膝枕なのでは?……えっ、膝枕?

「はっ!?」
『おまっ、いきなり起き上がるんじゃねェよビビるだろ!』
「いだだだだだだ!ちょ、扱い雑ッ!私女なんですからね!もう少し優しく丁寧に扱ってください!」
『ごちゃごちゃ言ってねェで少し寝ろ』
「いや寝れるか!」

頭を掴まれて強制的に元の位置に戻される。寝ろって言われても仮にも上司の膝の上だ。私どれだけ図太い女だと思われてるんだろう。

「土方さん、もしかしなくても私のことまだ子どもだと思ってますよね」
『よくわかったな』
「扱いが女に対するそれじゃないですもん」

僅かに身じろいで抵抗するも解放してくれる気配がないため、諦めて目を閉じる。

「土方さん、先に謝っておきます。涎垂らしたらごめんなさい」
『安心しろ、そうなる前に床に落としてやる』
「そこは格好よく構わねェっていうとこですよ。全く、女心がわかってないんだから」
『はいはい、悪かったな』
「…」

いつもだったら騒ぎ立てるところだが頭を撫でる手があまりにも心地よくて、気付いたら私の意識はそこで途絶えていた。


***


寝息を立てる名前を持ち上げ、部屋の隅に敷いた布団に横たえる。伏せられたまつげの下に色濃く残っているのはここ最近の不摂生の結果だ。

『…』

様子がおかしくなったのは高杉の密偵を終えて帰ってきてからだ。それ以前から毎晩竹刀を振るってはいたが、最近は明け方まで稽古してやがる。

『ったく、俺が気付かねェとでも思ったのか』

少し目を離せばすぐに無理をする。それは武州にいた頃から治らない、こいつの悪い癖だった。



総悟の幼なじみだった名前と初めて会ったのは俺がまだ近藤さんたちと知り合う前だった。
毎日喧嘩に明け暮れ、バラガキと呼ばれていた頃。ある日行商中に大勢の輩に囲まれてタコ殴りにされた俺は、小さな境内で目を閉じて休んでいた。じゃり、と砂を踏む音に目を開ければすぐ目の前に見知らぬ少女がしゃがんでいた。大きな目をぱちぱちと瞬かせる。

『…何だ』
「ううん、ひどい怪我だなーと思って」

ちょっと待ってね、と言いながら手に持っていた風呂敷を地面に置くとその中から包帯を取り出した。

『っ、俺に構うな…』
「あー!ちょっとお兄さん、いっぱい怪我してんだから動いちゃダメだよ!大人しくして!」

こんなガキに情けをかけられてたまるかと身を起こせば、ガキはひ弱そうな見た目に反して強い力で肩を押さえつけてきた。

「結構深い傷もあるから、治るまでに時間かかるかもねー」

よいしょ、と慣れた手つきで血が止まらない左腕に包帯を巻いていく。すぐ目の前でさらさらと揺れる髪に眉を寄せる。

『おい、だから触んじゃねェ…っ』
「え?なぁに、聞こえない」
『この距離で聞こえてねェわけねェだろ!』
「私の幼なじみが道場に行ってるんだけどね、よく生傷つくって帰ってくるんだ。だからこういうのは慣れっこなの。…ほら、綺麗にできた」

うん、さすが私!そう言って満足そうに立ち上がったガキはあっさりと背を向けた。

「それじゃ私、そろそろ帰らないと怒られちゃうから。今度からは無茶しちゃダメだよ」
『…ありがとな』
「え?なぁに、聞こえない」
『っだから、ありがとなっつってんだよ!』

ガキはやけくそ気味に叫んだ俺を見てもう一度大きな目を瞬かせると、今度は花のように笑った。

「どういたしまして、悪ガキのお兄さん」



『…今となっちゃ、どっちが悪ガキか分かんねェな』

あの時喧嘩に明け暮れていた悪ガキは真選組の副長となり、手当をした少女はその補佐になった。あの頃に比べれば互いの呼び方も立場も大きく変わったが、軽口をたたき合う関係はいつまでも変わらない。

『まさかお前らとこんなに長い付き合いになるとはな』

柔らかな髪に触れれば閉ざされた瞼がぴくりと動く。

「トシくん…」

小さな唇が紡いだ名前に心臓が跳ねる。昔はよく呼ばれていたが思えばもう何年も呼ばれていない。それを少し寂しく感じるなんて、そろそろ俺も年だろうか。

幸せそうな寝顔を見てもう一度頭を撫でたところで、何の前触れもなく部屋の障子が開いた。人の気配を感じて顔だけ振り返れば、僅かな隙間から顔を覗かせていたのは総悟だった。

『…土方さん』
『な、何だよ』

何を考えているのかわからない表情で俺を見てから布団で眠る名前に視線を移した総悟は、無表情のまま静かに告げた。

『いくら連れ込む女がいないって言っても、人は選ぶべきですぜィ』
『…は!?なっ…お、おい総悟!』

それだけ言って早々に姿を消した総悟を追い掛けるため立ち上がろうと膝をついた瞬間、後ろからふがっと威勢のいいいびきが聞こえた。起こしたかと焦って振り返るが名前はまだ気持ちよさそうに眠っていた。

『…別に、そういうのじゃねぇよ』

言い訳するようにもう一度頭を撫でれば、夢の中にいるはずの名前は幸せそうに微笑んだ。

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