落花流水
011
名は玉鳳隊が宿を張った場所へと向かった。王賁に今日の礼を言うためである。すると王賁は睨みを利かせて言った。
「わざわざ嫌味を言いに来たのか」
名にそんなつもりなど微塵もなかった。感謝を伝えに来たつもりがあらぬ誤解を招いてしまった。王賁はいつもより眉がつり上がっている。名は少し驚いた表情を浮かべ慌てることなく否定した。
「まさか。玉鳳隊なくして今日の功績はありませんもの」
「それが嫌味だというのだ」
あれ、どこかでも同じようなことを言われたような。名は記憶を辿る。
思い出した。王賁にあって間もなく苦手意識を覚えたのは兄に似ているからだ。顔が似ている訳ではなく、堅苦しさやいつも険しい顔をしていることなど性格が重なるところがあった。
そして、無意識に嫌味な発言とも捉えられることを平気で言ってしまうこの性格も原因だ。自覚症状がない分余計たちが悪い。
「この貸しはいつか必ず」
「いらん」
ぶっきらぼうに言い放つ。蒙恬にしろ名にしろ貸しばかり作ってばかりの現状に腹を立てていた。名は困ったと眉を下げた。
「そんな頑なにならなずとも…」
「友達が欲しいなら戦ではなく茶会にでも行け。俺は仲良しごっこは御免だ」
王賁は農民歩兵の集まりである飛信隊にも嫌悪感を抱いていたが、彼女にも似たような感情を持っている。
女である上に、戦に対するモチベーションは低い。それに普段から余裕を持った表情で心情が隠れて読めない。なんのためにこの戦場にいるのか分からない。そんな生半可な奴が隊を率いているのも納得がいかなかった。
「仲良くしなくても借りは返せます。返しますからね」
「いらん」
「ちょっと待ってください。返しま…」
「いい加減に…!」
王賁はその場を去ろうとして名に背を向けた。それを制止しようと名は王賁の袖を引っ張る。王賁が名の手を払いのけたとき、彼女の指から小さいものが滑り落ちた。
「あっ…」
それは咄嗟に出た名のほんの僅かな声であった。しかし、王賁には"母上"という言葉を聞き逃すことはなかった。名が普段の余裕ような雰囲気から一変して少し焦った感じで落ちたであろう場所を探し出す。
王賁は今のうちに寝床へ戻ろうかと考えた。しかし、落とす原因となったのは自分であるし、(勿論彼女もであるが)ここで去るのも男としてどうなのかという問題もある。それに"母上"という彼女が零した言葉とあの表情が王賁の足を止める。
「…王賁殿?何を」
「見てわからないのなら聞いたところで無駄だ」
王賁は言葉にすることを拒み黙々と彼女の探す近くの茂みを漁る。名は暫く王賁を見ていたが、ようやく理解したのか困り果てた表情から少し元気が戻った。
「…これか」
「はいっ、それです。ありがとうございます…!」
彼女は見つかって安堵したのか、瞳に涙が溜まりかけていた。見つかったのは薄桃色の指輪であった。真ん中に小さな翡翠がついている。少し値は張るかもしれないが一見普通の指輪だった。
「そんなに大事なのか」
「ええ…母上の形見です。戦のときも肌見離さずに持っていたいのですが私には少し大きくて」
戦場以外ではいつも付けているのだという。王賁は自分の母も既に他界していることを思うと少し親近感が湧いた。感謝してもしきれないと名は王賁の片手を両手で包み込む。
「離せ。俺なら紐を通し首に下げるがな」
「…!!王賁殿は天才なのですね。この御恩は忘れませんわ」
「落としたのは俺だ。それにお前からは何もいらん。なんか…重そうだ」
つい思った本音が溢れた。しまったと思ってももう遅い。彼女にその言葉はしっかりと届いている。
「ふふっ…酷いです」
何かが彼女のツボにハマったらしい。笑い出した彼女の顔を見て王賁は少なからずとも普段の硬い表情が緩んだのは言わんでもない。
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