落花流水
023
戦場である流尹平野へと進軍していく。夜になると天幕を張り皆眠りにつき始めた。その中、眠れない名は一人外の空気を吸っていた。
笙でも吹いて気を鎮めようか。それは名がよくやる癖だった。しかし、自分でも何故このように気が乱れているのかが分からなかった。
あたりは昼間とは違う、物静かな雰囲気に包まれている。同じ場所とは思えないほど。
「あれ、寝ないの?」
後ろから声をかけられた。振り向くまでもなく蒙恬だと分かった。返事をする前に彼は名の隣に腰を下ろす。
名は蒙恬が蒙驁将軍と同じ行動をするものだから彼らに同じ血が流れていることを改めて思い返された。投げかけられた問いに対して名は首を振って答えた。
「…落ち着かなくて」
「なら俺と一緒。暫く話さない?」
その提案に乗ることにした。会話の内容は至って普通だった。幼少期からじいにしてきた悪戯の数々に、弟がいることも話してくれた。昌平君の元に支えているというから兄弟揃って優秀なのだと名は感じた。
「名は兄弟いるの?」
「ええ、5つ上の兄が。性格も全然似てませんけれど」
今は蔡沢の部下となり支えていることを話す。士族でありながら文官になるには多少の努力は必要だった。それを乗り越え掴み取った地位を互いで喜び合えたらどんなによかっただろうか。
苦しさから解放されたくて。自由を、自分を認めてくれる居場所が欲しくて。話そうと思っていなかったのに、名はつい言葉が思考よりも先に出た。
「私は…どこまで逃げてしまうんでしょうか」
その問いに対する答えを、蒙恬は見い出すことができるのだろうか。名は横に並んで座っている蒙恬をまじまじと見た。
「名はきっと、ずっと逃げ続ける事はできないよ」
肩に手を添えられた。いつもより距離が近いさ温かい、内側から熱を帯びてくる。蒙恬はいつもより柔らかい声で言った。
「それをするには、性格が優しすぎる」
「…!」
衝撃を喰らった気分だった。以前母が言っていたことが同時に脳内で蘇る。
『貴方は…あの人に似たのね』
そう言って優しく抱きしめられた。香を焚いていた母からはいつも良い香りが身についていて抱きしめられたらそれを強く感じるのが名にとって至福のひとときだったことを思い出した。
体が包まれたように暖かくなる。今、私は蒙恬殿に抱きしめられていない。抱きしめてくれる母ももういない。なら、なぜこんなに温もりを感じるのだろう。
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