落花流水
037
「名と言ったかのぉ。良いものを見せてあげよう」
蔡沢の護衛という名目で連れてこられたのは軍師学校だった。彼は昌平君が運営する学舎で時折講師を務めている。
軍師の知識を学ぶ場に、戦場を駆ける名にとって何かいい機会があればという計らいもあって彼女に今回護衛を頼んだ。
自分の隊の数人を引き連れて蔡沢と兄の乗る馬車を囲みながら走る。馬車に付いた窓から兄と目があったがすぐに逸らされてしまった。
「ここが…」
扉を開けると其処には軍議に熱中する弟子たち、一人書物を読む者も。軍師になる志を持った人で溢れている。名は父の書斎にあった兵法書をひとり独学で知識を得たため、このように語り合える場が新鮮に思えた。
「お待ちしておりました、蔡沢様。その女性は…?」
「フォッフォッ、護衛を頼んだ名じゃ。普段は戦場で隊を率いておる」
自分より少し年下の男の子が出迎えて挨拶をしてくれた。こちらも丁寧に挨拶を返す。兄とは何度か顔を合わせているようだった。不思議そうに私を見つめる。
「こんな綺麗な方が護衛とは、失礼ながら想像がつきませんでした。僕は蒙毅と言います」
むしろ護衛される側なのではないかと蒙毅は思った。自分の自己紹介を聞くと彼女の瞳が大きくなった。
「蒙毅殿は…蒙恬殿の弟でいらっしゃいますか」
「兄をご存知でしたか」
兄弟であまり似ないのはうちだけではないらしいと名は内心そう思った。真面目で誠実そうな蒙毅と飄々とした蒙恬。対照的な二人である。
「ええ…とてもお世話になっております」
蒙毅は兄が彼女を知っているから口説かずにいるはずがない。立派で尊敬できる兄ではあるがその軽はずみな行動は身内として若干恥ずかしい。彼女の言葉からして、感謝の感情しかなさそうだ。弄ばれてはいないようで安心した。
「儂は少々此処に用が残っておる。しばらく校内でも廻っててくれぬか?」
「よろしければ僕が案内させていただきます」
その蒙毅の提案に名は甘えさせてもらう事にした。そして客室へと向かう蔡沢に兄はついていく。ただの護衛では聞かぬ話がそこでなされるのだろう。その間退屈せぬようにと私に配慮してくださったのだ。
「蒙毅ー?ちょっとこの戦術で分かんない事が…て誰だその人」
大きな柱で見えなかった声の主は、可愛らしい女の子だった。異様な服装から何処かの民族と推測できる。私を見て不思議そうにしている。
「三百人将の名さんだ。先日の山陽でも名を挙げてた。今から校舎を案内しようと思って」
「その節は信殿が最も名を挙げられてました。私なんてとても…」
「!信を知ってるのか⁈」
式典で称されていた信を差し置いてと、名は謙虚に否定する。河了貂は二つの意味で驚いた。若手で期待されていると噂で名前は知っていたものの、こんなに可憐な女性だったこと。
そして、信と面識があること。こんな美女なら信が鼻の下伸ばしていたに違いなかった。
「はい、戦で面識が。蒙恬殿も、王賁殿、そして信殿は輝いて、眩しいです」
その光は自分の影を濃く映す。それが最初は怖かった。
「やっぱ…信はすげぇよな」
河了貂はその輝きを知っていた。自分の知らないところでさらに強くなっていく信に早く追いつきたいと、拳を強く握りしめる。
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