昔から、何かが足りない気がしていた。
家族、近所の幼馴染、その幼馴染の姉。それでオレの世界は完結しているはずなのに、気がつけばいつもその姿を探している。そいつが何なのか思い出すことはできないのに、本能が「オレから奪うな」と吠えている。誰も彼もが敵だというように本心を見せないオレに対して、困ったように柔らかく笑うあの人に誰かの顔が重なって柄でもないのに、それでも放っておくことはできないから、よく会いに行っていた。まるで誰かの代わりにするようなその行動が吐き気がするほど嫌になった。その嫌だと思う理由が、その誰かじゃない人間を大切に扱うことに対してというのも、嫌悪感に拍車をかける。あまりに彼女を構うせいか、幼馴染に姉のことが好きなのか?と聞かれたことがある。だが彼女に向ける好きは「好き」でも種類が違う好きなのだと思う。どんなことをしていても、どんな人間と会っていても、いつも心の中に燻る強烈な飢えは満たされない。違う、これじゃない。オレが求めた姿はここにはないと、置いていかれた「なにか」が叫んでいて。
ずっと何かを、誰かを探していた。
そんな、記憶がなかった頃から夢にまで出てきた女が、今俺の隣にいる。
「ハ、ハジメくん、ハジメくん」
くいくいと袖を引っ張るボスは、自分より頭ひとつ分小さい。こういった高級な店は目新しいのかきょときょとと視線を泳がせていた。ああ、慣れてないんだなとすぐさまわかるようなその仕草。その様子がとても愛らしくてふと笑みが溢れる。
「わ、笑わないでよ。それよりここ、いくらするの?こんな高そうなところ、入って大丈夫なの?」
「ん?平気平気。それより、ここのカレーうまいんだぜ?好きなの選んで食えよ」
「え、あ、ひっ、こ、この値段・・・・・・」
「んなの気にすんなって。端金だ」
「いや気にするよ⁉︎」
この額を端金ってどんだけ稼いでるの⁉︎とボソボソ囁く我らがボス、サラはどこか放心したような姿でいる。こんな顔前にも見たな、あれは確かワイルドエリアでミロカロスを釣り上げた時だったっけ。あのミロカロス、結局自分からボールに入ってきたんだよなと思い返しながらサラが先ほど見ていたメニューのカレーと自分の食べるものを頼む。
「・・・・・・ハジメくん、まさか今世もお金を集めてるの?」
「ん?まあな。金は持ってて損はないからな。人間になってからさらにその重要さがよくわかった。やっぱり慧眼だったかもな」
「昔からお金になるものめちゃくちゃ集めてたもんねぇ。最初にもってきた時何事かと思っちゃったもん」
苦笑いしながら水を飲むサラは昔を懐かしんでいるのか目を閉じて何度も頷いている。そんなに言うほどか?オレとしては足りないくらいなんだが。
にしても、ボスにこんなところで出会うなんざ思わなかったなと、今までを思い返す。
何よりも大切な前世の記憶。あろうことか俺はある時までそれを思い出せなかった。誰よりも大切なものがあったことは覚えている。けれどそれがなんなのかがわからない。奪われる前に探せと言う本能の警告と、満たされない強烈な飢えだけがその存在が確かにこの腕の中にあったことを示していて。それを手にすればこの渇きは治るのだろうかと、いつもその何かを探していたように思う。
そんな状況が一変したのは、幼馴染の家で火事が起きた時だった。
その日は朝から胸騒ぎがしていた。こう言う時の勘は『昔』からよく当たる。・・・・・・昔?そんな昔に勘を使ったことなどあったろうか?思わず首を傾げて次いで気のせいだと首を振ったがその予感は消えてくれず。そしてそれは、一番嫌なところで的中した。
何かおかしなことが起こってしまうんじゃないかと近くの幼馴染の家に行った時、焦げ臭い匂いがした。『いやと言うほど嗅ぎ慣れた炎の匂い』。何かが燃えるようなそんな。そう気がついた瞬間に携帯で消防に連絡を入れながらガンガンとドアを叩く。間に合ってくれと祈るような気持ちで叩き続けるがそれに返ってくる返事はなく。そのことに唇を噛み締めながら舌打ちした。だめだ、『どんなに揺すっても返事が返ってこないなんて、それはまるで』。
気がつけば窓ガラスを割って幼馴染の家に入っていた。思った通り、ガスが充満していて炎が広がっている。早く二人を助けなければと走り出した。
「っイヌピー!赤音さん!いるか⁉︎」
炎をよけて走りながら半ば怒鳴りながら二人を呼ぶ。まさかもう炎に巻き込まれたんじゃないだろうなと考えて、首を振る。この際一人でもいい、見つけなければと急いだ。倒れ込んでいるイヌピーを見つけた時はそれは安心したさ。たとえそこに赤音さんがいなかったとしても。もしかしたら家に居なかったのかもなんて考えて、彼を背負って歩き出す。
炎がどんどん大きくなっていく中、ようやく玄関先に辿り着きドアを乱暴に蹴って外に出る。消防隊や野次馬がそこにいて、ようやく外に出れたのかと安堵したのも束の間、背負ったイヌピーが呻き声を上げた。
「!イヌピー!気がついたのか⁉︎」
「っココ・・・・・・」
「よかった、そうだ赤音さんは⁉︎見当たらなかったんだ!外にいるとか、」
「赤音が、まだ、中に」
血の気が引く。この中にいる?まだ?こんなごうごうと燃えている中で?
思わずは、と息が漏れる。消防隊に声をかけられるが身動きすら取れなかった。強引に連れていかれたが頭の中ではそのことばかり。こんな炎の中でいたら、火傷や怪我はたまったものではないだろう。消防隊が助けるといっても、本当に助かるかどうかなんて保証はあるのか?もしかしたら、間に合わなくて死んでしまうのではないのか?
どくんと心臓が鳴る。早鐘を打つようにどくどくと鼓動する。目の前の光景が覚えても居ないはずの『記憶』と重なって、頭が痛い。
ズキズキと痛む頭を押さえて蹲る。いいのか?このままで。たとえどんなことをしてでも助けに行くべきじゃないのか?と誰かが囁く。そんなのできるわけないだろと思うがその誰かはいいやできると言い切る。どうしてそんなことが言い切れるんだと腹が立ち、こんな非常時に幻覚を見ている自分にも腹が立った。
『いいのか、このままで?』
いいわけないだろ、でも仕方ないじゃないか。オレじゃ間に合わない。
『本当に?本当にそうか?』
何が言いたいんだよ。
『このままだったらお前は、いつまでもあの過去を塗り替えることはできないぞ』
あの過去?あの過去って、一体
『ボスを助けられなかったあの時のように、またオレは間に合わないのか?』
ボス。
その単語を聞いた瞬間に、見えない力に引っ張られるように駆け出していた。止めようとする消防隊を突き飛ばし、ぐっと力を込めて燃えている家に向かって走り出す。君、やめなさい!というような声が聞こえているが知ったことではない。火の粉を散らして引火する家具や壁に舌打ちしながら片っ端からドアを開けていく。開ける、いない、走る。開ける、いない、走る。その動作を繰り返している中でも頭の中では誰かの記憶が巡っていた。
『もー、そんなに心配しなくても大丈夫だってば!』
心配するだろ、だってお前、無鉄砲なところあるだろ?ーーある一室で女性が倒れているのを見つけた。赤音さんだ。意識は失っているが、ちゃんと息はしている。怪我もまだ重症化していない。そのことに安堵して担ぎ上げる。
『ぃやったー!勝ったー!やったね×××くん、もっと喜びなよ!ついに全勝だよ⁉︎』
お前が、ボスが嬉しそうならそれでいいんだよ、嬉しくないわけじゃねぇけど、ボスが笑ってくれるならオレはそれでいい。ーー自分よりも身長が高くそれなりの重さがあるはずの赤音さんを肩に担ぎ上げて走る、走る、走る。こんな力が自分にもあったとはなと内心笑ってしまう。そんなことはどうでもいい。早く、早く、もっと早く!できるだろ、オレなら。ボスに誰よりも頼りにされていた速度を持っていたオレなら!
あの時のように、誰よりも早く!
『ほんとにいいの?私の仲間になって・・・・・・いでででで!わ、わかった、わかったよ、ちゃんと仲間だって思ってるから!だから』
困ってる時は私も助けるから、私が困ってたら助けてね。ーー家の扉から転がるようにして出てきたオレと意識のない赤音さんを見たイヌピーは泣き出してしまいそうな表情で駆け寄ってきた。小さな火傷跡は残るものの大きな怪我はしていない赤音さんはちゃんと息をしている。そのことに安堵を覚えた。
そのあと赤音さんは救急隊員に連れていかれ、こちらを気にするイヌピーの背中を押して救急車に乗せる。オレの名前を呼ぶイヌピーに一緒にいてやれと声をかけて、彼らは病院まで連れていかれた。それを見送ったオレは、今までの馬鹿力が嘘だったかのように崩れ落ち、どさりと大の字に寝転ぶ。大人たちが慌てて駆け寄ってくるが、そんなのを全て無視して泣き出してしまいたい気分だった。
『早く行こうよ!ハジメくん!』
ああ、どうして。どうして今の今まで忘れていられたのか!
ボス、ボス、オレのサラ。馬鹿でアホで考え無しで、オレがいないとダメなくせに誰にでも優しくて。優しいから人に舐められることもあるけれど芯が強いお気に入りのボス。いつまでも隣にいると言ったのに、オレを置いていったひどい女。
愛しい愛しい、オレの番ボス。
人間の手だった自分の手が昔の頃の三つ指に重なって見えて、くしゃりと顔を歪めた。困った。せっかく思い出したのに。こんな姿では、アイツはオレに気が付かないかもしれないな。たとえ探し当てても人間は姿だけで人を判断するから、前世の姿と似ても似つかないオレとは、きっと他人だと思われるだろう。でも、そんなことはどうでもよかった。
ああ、オレは今すぐ、お前に会いたいよ。
そんなことを思いながら、オレの意識は遠のいていった。
(なんてこともあったな)
「ハジメくん?どうかした?」
は、と気がつけば心配そうな顔をしたサラがこちらを下から覗き込んできていた。どうやら、随分と長い間考え込んでしまっていたらしい。なんでもねぇよとひらひら手を振って誤魔化すが、そうするとじとりとした目でこちらを見てくるので首を傾げる。
「ハジメくんってそう言うところあるよね」
「は?そういうって、どういう」
「思ってること全部なんでもないって笑うじゃん。今もそう」
なんか距離取られてるみたいで寂しいんだからな!ぷんぷん!と怒っているふりをするボスは正直すごくかわいいが、そうではなく。
「そうか?ボスの前じゃ本心から接してるつもりだぜ?」
「そのつもりかもしれないけど表に出してないことだってあるでしょー???」
「はっ、詳しいな。さすがオレのボス」
「ほらー!」
もう!と頬を膨らませるその姿についつい表情が緩んでしまう。こいつのこう言うところは前世の時から変わらない。どれだけ隠しても、どれだけ言わないようにしていることでも彼女には絶対見抜かれる。もはや才能なんじゃないだろうか。はいはいとぽんぽん頭を撫でる。子供扱いするなー!と言いながらも嫌がりはしない様子に、笑みが溢れた。
「ほら、飯来たぞ。食えよ」
「あっほんとだ!」
こうしてカレーを食うときに目を輝かせる子供っぽさも、変わらない。
わくわくとスプーンで掬って口に運び顔を蕩けさせるボスを横目で見ながら、これからのことを考える。彼女に直接は聞いていないが見た感じ、おそらくそこまで歳の差はないだろう。流石に自分より年下を自分の家に囲い込むわけにはいかない。お互いもう少し歳が上ならばいいくるめ、宥めすかし、無理にでも納得させて自分のテリトリーに迎え入れていただろう。そうしたらきっと、二度と外には出さない。
まあ流石にそんなことをしたらこの世界では捕まってしまう。全く、人間というのは面倒だ。人間といえば、と幸せそうにカレーを頬張る彼女の顔を見る。先程のナンパについては後できっちり問い詰めねばならないだろう。彼女から声をかけたわけではないことはわかっている。だが、気に食わない。あいつら勝手気ままにオレのサラに手を出しやがって、と眉を寄せる。そうだ、横から出てきた奴らにサラのことをじろじろ汚い目で見られることにも注意しなければならないだろう。前の世界では自分のモノに手を出されることは少なかったせいか、余計にイラついてしまう。全く人間は面倒だ、どんなにマーキングしても贈り物をして自分のモノだと示しても気がつかないどころか横から見て盗もうとする種族。ああ、気に食わない。あいつらがこぼした「なんだよあんな初心な顔しておいて、売約済みか」と言ったことも気に食わない。大体サラは売り物じゃねぇしそうだったとしてもお前らなんかには売らねぇわと毒づく。やっぱりあいつらいつか潰そうとチラつく不愉快な顔を脳内で振り払い、思考を続ける。ともかく、準備は入念にしなくては。いつか家巣の中に迎え入れるとしても、手順を間違えればその機会が失われかねない。自分のテリトリーに入って仕舞えばこちらのもの。その時はいつものように宥め、囁き、丸め込めばいい。さすればオレに甘いサラは鵜呑みにするだろう。
夥しい数の計画を瞬時に頭の中に組み立てながら、美味しい美味しいと喜ぶサラにそりゃよかったと笑いかける。もう一度この世界で出会った時のために、とカレーが美味しい店を探しておいてよかった。そこまでカレーが好きなわけではないので苦労はしたが、この顔を見れたのだから全てチャラになる。
「ありがとう、ハジメくん!」
パァァァと顔を綻ばせて笑うサラ。オレが考えていることを前世の時からずっとずっとずぅっと気がつかない、何も知らない可哀想な女の子。これから自分が囲い込まれる準備をしているだなんて思いもしない、安心し切った笑顔。
それでも、罪悪感なんてものは抱かない。
「そうかい、そりゃよかった」
だって、サラはオレの番なんだから。
龍の執着は喉笛に届くか
この後、一番厄介な奴らを忘れていたことに気がついて、オレは舌打ちすることになるのだが、それはまた別の話だ。