2003年、8月13日。深夜。
S・Sモーターズにて。
その日。月がきれいな日。文句なしの月見日和。八月のスタージェンムーンを美しく切り取ったような夜空に、鋭く輝く星が散りばめられている。夏にしては珍しいほど澄み切った空とは裏腹に、真一郎の心は沈んだままだった。シャッターはまだ、開いている。
「今年も帰ってこなかったな」
慶一郎。
アンダーリムの眼鏡をかけた自分の片割れの後ろ姿が思い浮かんでは消えていく。それほどまでに顔を見ていないのだと思えば心がじくじくと痛んだ。
佐野慶一郎。佐野家長男。いつもにこやかで人当たりがよくて気が利く優等生だった、真一郎の片割れ。にもかかわらず万次郎もエマも朧げな記憶しかない。慶一郎はもう、この家にはいないからだ。
七年前、見たこともないような平べったい氷細工のような冷たい目をして家をでていったきり帰ってこなくなった彼。携帯も繋がらず、誰もどこに行ったのかわからないのだ。唯一の手掛かりである祖父も口を割らない。苦しそうな顔ですまないというばかりでなにも答えてくれないのだ。どんなに探してもどんなに周りの力を借りても、行方知れず。いまどこでなにをしているのかすらわからない。
「なにしてんだよ、もう万次郎もエマもお前のこと、忘れちまってんだぞ」
せめて、何かしら連絡をしてくれたのなら。理由を話してくれたなら。自分は、どんなことがあっても力になれるのに。家族だろ俺たちは!と掴みかかりたい相手は、行方すら知れないまま七年。
けれどそれすら許されないのかもしれないと思うのは、きっと。
ガシャン
ふっと気がついた時、物音が聞こえて驚く。店内からだ。なんだなんだと目をバチッと開けて立ち上がる。猫か、それとも強盗か。どちらにしても追い出さねばならぬ。商品に傷をつけられても困るのだ。
そんなことを思いながら懐中電灯をもって、侵入者に声をかけた。
「オマエ、ケースケか?」
「え、真一郎クン?」
だから、後ろから来る凶器に気づかなかった。
言い訳にもならないが、そんなところだった。
「やめろ、一虎ァァァ!」
あ、
手で庇う暇もないまま、為す術なく強打を受けようとして、
すぱん。
かん、からん。
何かが、真っ二つに斬れた・・・。
「、え?」
そうして、振り向いた先にいたのは。
「けー、いちろ、」
自分と同じ黒髪に、同じ黒の瞳。手触りの良さそうなスリーピーススーツに身を包んだ、自分の片割れ。
そしてその手には、
「なんで、そんなもん、持ってんだ」
抜き身の刀が、妖しく光っていた。
呆然とした真一郎、場地たちに答えも返さず、男はこき、と首を鳴らす。そして平べったいガラスのような目で一言。かたかたと、彼の持つ刀が揺れた気がした。
「叢雲が、殺したくて仕方ないってさ」
で、お前らはどーやって死にたい?
特別に選ばせてやるよ。そう耳に届いた声は、ただただ平坦だった。何も見ていない。何も感じていない。殺す、そう言ったのに。
「っひ」
「・・・・・・マ、でも。今日はそんなことするためにきたわけじゃねぇしなァ」
慶一郎はちらりと真一郎の方を見て、オイ、と声をかけた。びく、と震える真一郎に慶一郎は、くぃと顎で怯える二人を指す。
「こいつら、さっさと警察届けろよ。俺はジジイに用がある」
そう言ってすたすたと歩き去っていきそうな豹を思わせる後ろ姿に、思わず声を出す。出した声は情けなく震えていたがそれでも、言わなくてはと思ったらとまらなかった。ここで言わなければ、きっと。
きっともう、振り向いてはもらえない気がしたのだ。
「っ慶一郎!今までどこに!」
「・・・・・・お前話聞いてた?ジジイに用があるだけでお前に用はねぇんだわ」
「そんなの、何言ってんだ!お前今までどこで油売ってたんだよ!」
「ハ?なに、俺がどこで何しようが俺の勝手だろ」
「っ」
ああ言えばこう言う。昔はこんなふうな凍てついた風のような雰囲気でなかったはずなのに、どうしてこうなってしまったのか。お前どこで何してたんだ。そしてその刀は何なのか。聞きたいことは山ほどあるのにうまく声が出てこない。それは慶一郎の目が冷たいからなのか、それとも知らない顔をしているからなのか、もう真一郎にはわからない。
それほどまでに離れていたのだと、痛感する。
ハァ、とため息をついた慶一郎が「お前にひとつだけ言ってやるよ」と言葉を重ねた。
「お前知ってたろ」
「っなにを」
「とぼけんな偽善者」
「ぺルラがあの女に殺されかかったの、知ってて黙ってたなお前」
ちがう。
「あいつの葬式の時、お前の仲間があの女と一緒にぺルラへの誹謗中傷を吹聴してるのも、顔歪めるだけで黙ってたよなぁ」
ちがう、ちがうんだ慶一郎。
「まあ仕方ねえよな。お前からしたら、ぺルラはお前から俺というスケープゴートを奪った邪魔な存在なんだもんなぁ?青春ごっこするには都合がいい俺がいなければ成り立たない。それに、ペルラはお前が兄貴ぶりたかったやつの兄貴だ。何を考えててもおかしくない」
そうじゃない、俺はお前のことを。
「図星か?マァ、どうでもいいな。お前のことなんて考えてる余裕、ねぇし」
時間がねぇんだ、ジジイに会わせろ。
「慶一郎、」
「俺は慶一郎じゃねぇよ」
「え、」
「その名は捨てた」
「なに、いって」
「俺は十六代目山田浅右衛門。それ以上でもそれ以下でもねぇよ」