罪人の欲



おのれの生存にさっぱりした気持ちを抱いていた虎杖の欲が芽生える話
七虎

***

別に特段、生に執着しているわけではない。
誤解のないように言っておくが、死んじまいたいくらいの絶望があったとか、自暴自棄になって全て捨ててしまいたいという希死念慮があるとか、そういうわけではないのだと思う。それは虎杖悠仁にとって感情的なものというよりも、もっと穏やかで、凪いだような沈黙だった。
無論、虎杖とて早死にしたいわけではない。できるのならば、少しでも長く生きていきたいと願っている。長く生きていれば、自分の手が届く範囲で大勢の人を助けることができる。死んで三途の川を渡ってしまえば対岸にいる生者に手を出すことは許されない。だから、死にたくない。長く生きながらえれば人をこぼれ落とさず救うことができて、それが結果的に、もうこの世にはいない祖父の遺言を守る結果につながるのだから。
なれど、虎杖悠仁という人間がそれを願ったところで、どうなるわけでもない。虎杖は、「虎杖悠仁」という個体である以前に、「両面宿儺の器」という爆弾を抱えた厄介者であるのだから。
虎杖がどれだけ人の幸福を願っても。助けなければいけないと必死に手を伸ばしても。「両面宿儺の器」という呪いは手の中から砂がこぼれ落ちるように、人の命を奪っていく。それは両面宿儺が受肉したせいで人が死ぬのは普遍の摂理である、と言われているかのようで。存在していることがお前の罪で、そんなお前が人を救おうとしたって甚だ無理な話なのだと。そう、圧をかけられているような。
別に死にたいわけじゃない。ただ、自分が死ねば非術師の、虎杖が助けたいと願う人々に恒久の安寧があるのなら。これから先、虎杖が愛した日々に生きる人々が何も知らないまま笑って謳歌できるなら。それは、仕方ないことなんじゃないかな、とは思う。自分の生と、大多数の生。どちらを取るべきか、なんて。赤子の手を捻るより簡単だと。だから、生にしがみついていきたいわけじゃない。その日が来るまでに、たくさんの人を助けて、いつか、そのいつかがきたら誰の手を借りることなくぽーんと、死んでしまって。それでおしまい。
処刑人は決まっているけれど、誰かに自分を殺させたいなんて、思わないから。その人の記憶に残りたいわけでもない。祖父はたくさんの人に囲まれて死ねといったけど、自分にはその資格がない。生きているだけで誰かの生存を奪うのなら、虎杖には誰かに殺してもらうという価値すらもない。なら、せめて自分の手で責任を持って、自分の生を終わらせなければならない。それだけは、決めている。
この世に産み落とされた瞬間から、行き着く先は皆同じ。己の死に向かって歩いていくその道が、長いか短いかだけの、些細なお話。ただ、虎杖の前にある道は、茨が突き刺さり後ろ指を刺されながら断頭台を目指すだけのもので、その前に死ぬか断頭台の上で死ぬか。それだけの違いなのだ。
定められた死だけが、己の前に与えられている。
いつまで、生きられるのだろうか。ふと、その問いを頭の中で反芻する。自分が生き残るなど何を馬鹿なことをと思うのだけど、思わずにはいられない。
何にも代え難い仲間を得た。人生の師を得た。短くも、眩く輝く星々のような青春だった。悔いはない。自分のせいで死んだ人々のことや、これから先のことを思って眠れない夜を過ごしたこともある。それでも、人生においてその頼りないと言われるようなか細い光は、虎杖にとってかけがえのないものだ。どれもこれも、失いたくないものだ。
だから、欲が出る。
虎杖悠仁は罪を犯した。
浮世の人を好きになってしまった。
それは、寄せては返すさざなみのような恋だった。いつしか芽生えた柔らかで淡く儚いそれ。さっさと摘み取って仕舞えばいいものを、少しずつ少しずつ肥大化していく恋にしては凪いだ思いを、捨てたくないと思ってしまった。まずいと思った時には、ひたむきで真っ直ぐな花が咲いていた。
失いたくない人だ、と虎杖は思う。自分が心配しなくとも強い人ではあるけれど、この世に何があるかなんてわかったものじゃないから。だから、願ってしまうのだ。無骨だけれどすんなりとした長身を見て、「ああよかった今日もあの人は生きている」と安心したいのだ。
告白を叶えたいとは思わない。
だって、万が一何かの間違いですら叶ってしまったら、きっと、


**


君の気持ちを受け取ることはできません。そう言われた時、虎杖の心の中にあったのは胸を焼くような苦しみでも絞り出すような痛みでもなく、「そういうところが好きなんだよなぁ」という、ひたすら穏やかで優しい気持ちだけだった。
告げるつもりはなかった。この善良で常識的な人に、罪悪感を抱かせたくなかったから。自分も「余計なことをしたせいで七海に気を遣わせた」と死ぬ時に気掛かりで、未練になってしまいそうだし。何より、告白してフラれてはい今までと同じ関係に戻ります、なんて都合のいいことをできるような厚かましさは虎杖にはない。よく伏黒にお前はコミュ力が高いから何をしても許してしまいそうになると言われることはあるけれど、流石に自分だって空気は読むと笑いそうになったのは自分の胸の内にとどめておいた。
だから、本当に。告げるつもりも匂わせる気もなかった。この静かに弾ける焚き火のような思いを恋と名づけた時にそれは決めていた。
なのに馬鹿な自分は、些細なやり取りでぽろりと、口にしてしまったのだ。そのグリーンの瞳が小さく開かれたのが、特徴的なサングラスに隠されていてもわかった。しまったなぁと思いつつ、さてどうしたものかと考えること一瞬。口にしてしまったものを誤魔化すのも怪しまれる。なら、もう全て曝け出してしまおう。そんななし崩しの、しかしいつもの明るくがむしゃらで感覚重視な虎杖からは考えられないほどに、誠実で丁寧な告白であった。
そのために、虎杖の丁寧な告白に固まって逡巡した七海から改まったように告げられた言葉を、虎杖は微笑みすら浮かべて聞いていた。
「先ほども言いましたが、私は君の気持ちを受け取ることはできません」
「うん」
「君は未成年です。法的にも倫理的にも、私は君の告白を承諾できない」
「うん、わかってる、よ・・・・・・?」
断りを入れられるのは承知の上だったので次いで告げられた言葉にもこくこく頷いていた。しかし言葉尻に包まれたものに「あれおかしいな」と少しの違和感を感じる。その断り方だと、まるで年齢が問題であってそれ以外は特にないと捉えることもできないか?いや、七海に限ってそのような言い回しをするだろうか?
んん?と首を傾けると、かちゃりとブリッジを押し上げた七海が虎杖を見据える。ずくり、と背筋に痺れが走った。あまり見たことのないような顔だった。この前見た映画に、ごうごう燃え盛り、間に入るもの全て焼き尽くすような炎が周りを包囲するようなシーンがあったことを、何故かこのタイミングで思い出した。どこか言いようもない不安に駆られて思わず名前を呼ぶ。
「ナナミン?」
「ですが、」
「?」
「私は君の気持ちをそのまま放り出すことができるほど、いい大人ではないようです」
その言葉の意味がよくわからなくて、ぽかん、と口を開ける。え、どゆこと。はてなマークが思考の渦を巻き、きゅっと眉を顰める。その言葉の意味を理解できないのは、自分が馬鹿だからなのか、それとも七海がわざとはぐらかしているのか。振るならちゃんと振ってくれればいいのに。別に、どんなフラれ方をしようが、フラれたことを周りに言いふらしたりなんか、しないのに。
変な顔をしているだろう虎杖を、七海は何を思ったのか、徐に手を伸ばしてきた。そのごつごつした刀を振るう人の手は虎杖の頬に触れる寸前、少しだけ躊躇うようなそぶりを見せたものの、音もなくそっと傷跡の残る目元に触れた。泣いているわけでもないのに涙を拭うような手つきで目元を小さくなぞる。七海の指は硬かった。
「先ほども言いましたが、君は未成年だ」
「・・・・・・そうだね?」
「なので、君の告白を受け入れることはできない」
「さっきも言ってたけど、それがなんの、」
長々と同じ説明をされて流石に苛立ちを覚えたその時、七海は虎杖の思考を止める言葉を吐いた。
「しかし、君が成人するまでに三年、そして公の場での成人とされるまでに五年経つのを待ち公に許容される年代になるまで待て、という先延ばしをしたくない。君にあまりにも失礼だ、という建前もありますが」
「ん、?」
「私自身が、今の君の気持ちを受け取りたいと思っている」
「え、ちょ、ちょっと、それって」
待って、待ってくれ情報がいつまでも完結しない。それってどういう。なんとなく意味はわかる。しかし信じられない。まさか、そんな。疑いと困惑を抱えながらもじわじわと頬を紅潮させる虎杖に、七海はふと笑みを見せた。唇が笑んだだけのものであったが、あまり見せることのないそれは虎杖の体を硬直させるものに変わりなかった。
「それ故に、私が君に触れても法的に許される手段をとりたい」
「は、」
「ですので、婚約しましょう。それなら、法的に年齢制限がないので、君の将来を約束できる」
その琥珀の目を大きく見開いた虎杖は、呼吸すら忘れそうになった。こんやく。婚約?将来って、なに?
「え、えっとナナミン?」
「はい」
「婚約って、どういう」
「先ほども言った通りの意味ですが?君と婚約して、五年後籍を入れる。そうすれば君の告白を受け入れても何の問題もない。婚約者同士ですから」
「そうじゃ、なくて」
「君の将来を縛り付け、『連れ合い』らしいことをすることは憚られるためしないような、そんな縛り方になってしまうのは申し訳ないですが。それでも、君と歩くことはできる」
「だから!」
大声を張った。七海は虎杖のことを見ている。ずっとずっと、背中を見つめていた人が、自分のことを見ている。そのことに痛々しいほど動揺して、爛れたように浅く呼吸を繰り返した。それでも、今彼が言ったことが信じられなくて、声を振り絞る。
「俺、俺は、両面宿儺の器、なんだけど、処刑、されるんだけど。と、遠くない未来にいなくなると思うんだけど、わ、わかって、いってんの?」
「はい」
「、即答、しちゃうんだ」
「わかっています。そもそも分かっていて君を手放したくないと思ったのは私です。それ以上でもそれ以下でもない。だからこうして、褒められた手段ではないものを取ろうとしている」
社会のルールは大事ですから、けれど社会のルールに沿っているのであれば、許されることだと思いませんか。
そう宣う七海の顔が見えない。めちゃくちゃだ。混乱している。ていうかなんでこんなことになったんだっけ。そうだ、俺が告白したから、で。
ふと、最初に思い当たるべきだった可能性に思い至った。あり得ないこと。あり得てはならないこと。
「な、なみんは、さ。俺のこと好きなん?」
震える声でそう聞けば、さらさらと言葉を交わしていた彼が押し黙った。思わず覗き込もうとすると、そっと肩をつかまれる。優しい力だった。呪霊を祓うような手つきではなく、呪術師としての扱いでもなく、只人のように扱われるのはいつぶりだろうか。
呆然と立つことしかできない虎杖に、七海はそっと顔を近づけてくる。びくりと跳ねた肩を少しの力で触れながら、耳元で言葉を重ねた。
「・・・・・・すみません、私としたことが。関係性を結ぶにあたってのことばかりで、一番最初に伝えるべき言葉を伝えていませんでしたね」
言わないでほしい。だって、死にたくなくなってしまう。自分はこの先置いていくのに、欲がたくさん出てしまう。満足していた。それなのに、その言葉を言われて仕舞えば、自分は、
「君が好きです。だから、君の将来を約束したい」

少しでも長く生きていたいと、思ってしまうじゃないか。

【罪人の欲】

後日。
七海に手を引かれていった虎杖を見た五条たちが詰め寄ってきて、「処刑?させるわけないけど?」と信じられないことを言われることになり。
その数年後本当に処刑がなくなって、虎杖悠仁が七海の姓名を名乗ることになるのだが。
それはまた、別のお話である。