鬼に涙は似合わない






あにうえ、あにうえ、あいしている
紫の瞳を蕩けさせうっそりと囁いてくる弟を、なんと言って拒めば良かったのだろう。

美しいけれど幸が薄そうで、運命に翻弄されそうなかぐや姫。そんな印象を抱かせる美貌の女人がさめざめと泣いている。色鮮やかで美しい装束は日本史の教科書に載っていた十二単衣。自分が身につけている衣装も、時代がかった水干である。意識が覚醒した時には、このシンデレラになれなかった姫君の息子だった。まさか性別が変わるとは思わなかったが、現実のことである。
鳴くよ鶯平安京、時は平安時代。人工的な灯のない、恐ろしいほど暗い夜の闇に呑み込まれそうな空には輝く星々が舞っていた。別に動いているわけでもないのに、きらきらしたそれらは外国でいうところの妖精が踊っているように見えて自然の美しさを思い知る。これが現実でなければよかったのに。そうしたなら、非現実的な出来事に酔うこともできたのかもしれない。
けれど、そうも言っていられないのが現実というものだ。そんなことを思いながら、母の擦りすぎて赤くなった目元を拭う。小さな顔をあげて私の顔を凝視した母はよくわからない言葉でまた泣きじゃくっていた。なんとなく、言いたいことはわかる。自分は父である男、いや、父である「妖魔」とそっくりであるらしいのだ。
母は語ろうとしないが、自分の祖父にあたる人物や使用人たちの噂話で聞いたことがある。なんでも、母の元に通い詰めていた父が人智を超えた美しい人外であったとか。自分も、夜にずりずりと体を引き摺るような音で目が覚めてその姿を見たことがある。恐ろしく大きな白蛇だった。呼吸も止まるような鋭い眼光と、異国を思わせる紫の目の妖魔。姿を見たのは一度だけだし、人の姿になったところなど見たことはないが、どういうわけか自分はその男と似ているらしい。顔や容姿が似ているわけではなく、雰囲気がそっくりだとどこか怯えている口調の使用人たちが囁いていたのを覚えている。そしてそんな妖魔のことを、母は愛してしまっているらしかった。その証拠に、彼が来ない夜に泣き、自分の顔を見ては泣き、そしてまだ見ぬ弟か妹が宿る自らの腹を見ては泣く。妖魔に心を奪われたどうしようもなく哀れな人だった。
けほけほと咳をする背中をさすってやりながらこれから生まれてくるだろう赤子のことを思う。きっとこの母は長くはないだろう。妖魔に魅入られたものの命は星が瞬く瞬間のように短い。それに、現代ならばともかくこの時代だ。命を生み出すことさえ命懸けな時代で、この弱々しい姫君が伏せらないという確証がない。ならば、自分がこの子を育ててあげなければならない。
愛してあげたいのだ、たとえ妖魔の子供であろうと。
だって、私は長男なのだから。

きゃらきゃらと笑い声が聞こえて目が覚めた。差し込んでくる月明かりに目を細めながらも声が聞こえてくる方を見ると、楽しそうに笑いながら蛍を掴もうと手を伸ばす青年がいる。
褐色の肌、白檀のような銀髪、そして私のものよりも濃い紫の瞳。異国の子供と言われた方が納得できるような絶世の美青年。
揃いの水干を着た彼は、母の命の終わりと同時に誕生した子供だった。赤子であった時より髪が生え、歯が揃っていた彼は成長が早い。少し前までハイハイしていたと思ったのにいつのまにか歩き出し、言葉も読み書きも覚えるのが早かった。そして同年代の子供たちよりも力が強く、大人になったなら名を残す武士になるだろうとまで囁かれている。けれど人とは隔絶したその強さと今の日の本の国ではまずいないような美貌を疎んだ子供たちからは「鬼子」と呼ばれ避けられている。それどころか虐められているようだ。今日も、怪我をして帰ってきた。怪我をさせた子供とはお話をさせてもらったが、話を聞く限り弟が悪い。血の気が多くすぐに沸点を爆発させるのは悪いくせだ。そうやって叱れば「だってあいつら、あにうえと血が繋がってないなんて言うんだ!」
とその紫の瞳をうるうる潤ませて「俺はあにうえの家族なのに、そんな意地悪言われたくない」と落ち込む。なんだそれ。家族じゃないとか言われたからキレたの?お前とんでもなく可愛いなと思いながら体を小さくする弟の頭を撫でた。
「血が繋がってなくとも、私はお前の兄ですよ」
「・・・・・・なんで?血のつながりがないならお前たちは家族じゃないってみんな言ってる」
「そう言ってきた人たちのことは後で私から『お話』させていただきますので安心なさい。いえ、これはまあいいでしょう。いいですか、弟よ」
よしそんなこと言った輩は後できっちりお礼参りしようと脳内で決めたが、今はそれどころではない。自分が他と違うことを一番気にしているのはこの子なのだから。落ち込んだような顔をしている弟の肩に手を置きながら優しく囁く。
「私はあなたを愛しています」
「っ、うん。俺も。俺もあにうえが大好き」
「ならそれでいいでしょう。一緒にいたいと思ったら、どんな形でも家族になれますよ」
さあこの話は終わりですと肩を叩いて、少し出てきますと背を向ける。その瞬間にぎゅうぎゅう衣の袖を掴んでくる弟。おうおうどうしたまだ何かあるのかと振り向けば、不安そうな顔はなりを潜めていた。そのかわり、どこか紅潮した頬で興奮したように言い募ってくる。
「ねぇ、あにうえ。これからもずっと一緒にいてくれる?」
あの時、私はなんと返したのだったか。

そんなことを思い出したのは、全てが終わった後だった。
燃える屋敷、逃げ惑う人々、血まみれの祖父。ごとんと女、私の妻になるはずだった姫君の首が飛んできた。呆然とその首を掻き抱くと、ゆっくりとした足音が聞こえてくる。
「兄上、こんなところにいたんだな」
嬉しそうな、声だった。日が沈んだ時の空のような色をした瞳に喜悦が走る。私を見つけた時にいつも、こんな顔をしていた。どうして笑うのだ、と震えた声で聞く。そんな自分に首を傾けた弟は、当然のように言い放った。
「俺と兄上を引き裂こうとするから、報いが下っただけだろう?どうしてそんな悲しそうな顔をするんだ」
すくすく成長した弟が、寺へと預けられた。
元々そう言う約束だったし学がつくのはいいことだと思っていたから寂しかったけれど、行かせることを容認した。今生の別離というわけでもないだろうから、きっとまた出会えると。でも弟はそうではなくて、いやだいやだなんて駄々をこねて。結局山伏のような方が眠らせて連れて行ったのだ。僧侶として不安になるくらいの美貌であったが、真面目な子ではあるから大丈夫だろうと見送って。そして私の結婚も決まり、と順当だったはずで。けれどその矢先に、これだ。
どうしてとしか言えない私に唇を三日月に開いた弟の歯は、鋭く尖っていた。
「言っただろう?ずっと一緒にいてくれるって」
自分の腕から妻の首を奪い取り捨て去った弟は、震える私の体を抱きしめる。優しく優しく抱きしめて、うっそりと囁いた。
「これでずっと一緒だ」
子供の頃のように笑った弟の額からは、象牙のようにしなやかな角。衣から血を滴らせた彼は捕食するように私の唇を奪った。
私は何を間違えたのだろう。

寺に預けた弟が鬼になっていた。家のもの、祖父、姫君を皆殺しにした彼は私を連れて彼と同じく鬼になったものを集めて、大江山と呼ばれる山を拠点にする盗賊団を作った。
可愛かった弟は、極悪非道を地で行くような魔物へと変化してしまった。今では世間で恐れられる大江山の頭領として名を馳せている。人からは恐れられ、鬼たちからは敬われ。彼は闇の象徴として君臨していた。
そして私は、何故だかこの弟の情人としてそばにいる。
「起きたのか」
蛍に夢中だった弟が身動ぎした私に気がついたのか、振り向く。起きようと体を起こすが体の節々が痛い。顔を歪めた私の元にすぐさまやってきた彼はまるで壊物を触るかのように肩を抱く。
「辛いか」
「誰の、せいだと」
「ふ、俺のせいだな。すまない」
兄上があまりに可愛らしいから、つい。悪びれもしていないくせに謝ってくる彼はずいぶん変わってしまった。擦れた、というのだろうか。平気で人を殺すし仲間に犯させるし快楽的に奴隷にすることもある。仲間にさえ横暴を敷きながらもそれでもついてくる者が多いのは、やはり天性の才能というやつなのだろう。
最初は、反発していた。けれどどれだけ止めても、私の言葉なんて聞きもしない。それどころか、止めるたびに自分の目の前で女子供を惨殺する。泣き叫ぶ彼女らを助けようとすれば嬲られ、逃がそうとすれば捕まり、また舐られる。暴力的な快楽に浮かされて立てなくなるまで。どんどんどんどん自分が死んでいって、今では反抗しようという気も起きなくなってしまった。女のように伸びた髪を梳く彼に何も言わずに胸に寄りかかるとくふくふと笑い声が聞こえてきた。
「兄上も、随分従順になったなぁ。前までの威勢の良い兄上も好きだが、甘えてくる兄上もこれまた可愛らしい」
かちかちと尖った八重歯を鳴らして喜ぶ弟になんと返したらいいのかわからなかった。けれど、耳に口付けると子供のように嬉しそうにする弟がまるで昔のようで、何も言えなくなる。どれだけ変わり果てようと、自分に向ける愛情は変わらないと言われているようで困ってしまった。紫の瞳を蕩けさせながら、彼は私を強く抱きしめる。
「兄上、兄上、愛している」
その言葉に、なんと返したらよかったのか。
なんと拒めばよかったのか。
その言葉を気持ち悪いと思えない自分もまた、嫌になった。

こぷり、と口から血が出る。
何故だ、と目を見開いた男に笑い出したくなった。この聡明そうな武士が助けようとしてくれていたのは知っていた。人間であるのに妖魔のそばに置かれている自分を憐れみ、そして救い出そうとしていたことも。けれど、そうだとしても弟を殺されるわけにはいかない。
弟がしたことは知っていた。女を攫い人を殺め、いいことなんて一つもしてない。いつかはこうなる運命だった。それを流されたから止められなかったと、いや止めなかった私もまた、同罪だ。だからそれを討伐するためにきたあなたがそんな顔をする必要はないのに。苛烈な性根をしているが、本質は優しいのだろう。彼は最後まで、自分を利用することを躊躇っていたのだ。その甘さが弟を殺せないなんて、思いもしなかっただろう。
まあ、どうでもいいか。どうせこれから死ぬのだから。
あにうえ?と震えた声が聞こえる。弟が呆然とした顔で、倒れ込む私を見つめる。そんな顔をして、倒されたらどうするんだ。ほら、兄上は大丈夫だから早く逃げないと。そう言おうとしても、出てくるのは血ばかりで、声が出ない。ああくそ、こんな時に。言葉にならない声で言い募る弟に何か言わなくてはならないのに。もう目すら開かなくなっていた。だから代わりに、願う。
酒呑、酒呑。酒呑童子。八岐大蛇の子。大江山の鬼。百鬼夜行の頂点に立つ者。
私の、弟。
どうか、次の時は。お前が真っ当な人生を歩めますように。
お前をちゃんと愛してくれる家族の元にいけますように。
お前が私のいない世界で幸せになれますように。
次は、私がお前の元にいませんように。










私も、愛してるって言えなくて、ごめんな。








弟の、酒呑の、慟哭が聞こえた。
けれどそれに返せるわけもなく、私は命を落とした。


















そしたら、また人生をやり直していた。
ええ、なにそれ。そう思わなくもないが、始まってしまったものは仕方ないと諦めた。
性別は今回は女で、弟の酒呑童子はいない。酒呑は、結局あの後あの武士にやられたらしい。けれど私が知っている結末とは少し違い、暴れ狂った酒呑童子と源頼光との一騎打ちで負けたらしかった。逃げればよかったのに、馬鹿なことだ。もう会うこともないけれど生きてはくれなかったのかと少し泣きたくなった。
そして今世の私には、新しい弟ができた。まだ前世の弟を忘れたわけではないけれど、この子を真っ当に守っていきたいと誓った。そうして、生きていた。
だから、まあ。



「よう、【兄上】」


全く前世と変わらない容姿で生まれた弟が、私のことを探していたとか。



「オレは、次こそ必ずお前を守る。だから、オレときてくれ」



弟を殺した武士が、私を本気で助けようとしてくれていたとか。



「姉貴、ごめんな。いい弟になれなくて」
今世の弟が、私を女として見ていたとか。




「兄上、いや今は姉上か。俺のややを産んでくれよ」
今世もまた、弟に、酒呑に、いや。
黒川イザナという男に囲われることになるなんて、私は思いもしなかったのだ。