恋人より先に眠ることが怖い今牛若狭の話
今牛若狭の短編です。幻覚注意!
古典、童話、花言葉などに詳しい今牛若狭っていいな!!!と思って書きました。多分これからもっと書きます。
学生時代か梵の時かはご想像にお任せします。
***
いつからか、先に眠るのが怖くなった。最初から一人でいるのならば良い。しかし、オマエがそこにいるときに、どうしてか追い立てるような焦燥が募る。置いていかれるのではないかと。朝起きたとき、あの白玉かと聞いた姫君のように食われてしまって、消えているのではないかと。
最近ではオマエが一人で夢に堕つ姿をみなければ、オレは微睡むことすらできないのだ。
「ワカくん、眠いの?」
落ち着いた声が耳朶を揺らす。本人に言ったことはないが、彼女の声はしとしと降る雨のようだと思っている。反駁を覚えさせず身にしみていって、通るような錯覚をさせるようなこの声が、オレはいっとう好きだ。けれど零された内容に小さく眉を顰める。
「眠くねぇよ」
存外ぶっきらぼうに放たれた声は自分でも驚くほどガキっぽかった。そのことにこの女が気が付かないわけもなく。くすくすと笑う女に少しだけ居心地が悪くなって目を逸らす。
「嘘だ、眠いでしょ」
「眠くねぇ。オマエこそ眠いんじゃねぇのか」
「えぇ?私?そりゃちょっとは眠いけどワカくんほどじゃないよ」
秘密裏に睦言を囁くようにぽそぽそと喋る。もちろんコイツが言うように眠い自覚はある。まあベッドに寝そべって二人布団を被っていれば、生理的に眠気が誘われる。当然だ。当然のことではあるが、まだ眠るわけにはいかなかった。
彼女が眠っていないのだから。
「オマエ、早く寝ろ」
「もー今日はなんなの?すごい勧めてくるじゃない」
「いいから」
あまりに呑気なものだから、強い口調になってしまう。こっちの気も知らないで。身勝手にもそんなことを思ってしまった。彼女は何も悪くないのに。春霞のようにうつらうつらする視界の中、女は案の定困ったような顔をしていた。その花の顔をへにょりと戸惑いに変えて、どうしたの?と首を傾げている。流石にこれはオレが悪い。
「悪い、なんでもねぇ」
理由は言えなかった。あれは白玉?と無邪気に聞いた女に答えられなかった男が後悔した話はよく覚えている。けれどどうしても、答えられる自信がなかったのだ。アレは創作だが事実、姫君を連れ去った男を追って兄弟たちが取り返したという蛇足は有名な話。言っても言わなくても、オマエが高子になってしまわないかと。いつもオレの内心を知らないで慕ってくれるオマエがどんな顔をするのかわからなかったから。だから、口を閉じるしか方法がなかったのだ。
不意に彼女が笑う。
「大丈夫、どんなワカくんでも大好きだよ」
だからさ、話して。知りたいんだ、ワカくんが思ったことを。ワカくんが不安なことを。
・・・・・・どうやら、彼女はオレよりもしっかりしているらしい。喧嘩が強いわけでも弁舌が上手いわけでもないこの女が、今は誰よりも強く輝いて見える。けれど、流石にこの情け無い思いを伝えようとは思わなかった。代わりに、呪いになりきれない願いを授けようと思った。それだけが、コイツを高子にも、いや。コイツは空蝉か。情事のあと、服だけを置いてキッチンへ一人で向かうことがある彼女には、空蝉がいいだろう。
コイツを、空蝉にもしないで済むように。
「頼みがある」
そう言って頬に手を伸ばせば、女は小さく擦り寄ってきた。その姿に目を細める。いつもそれなりに落ち着いて冷静な彼女が、こういう触れ合いを好いていることを知っている。大人が好むようなものではない。ただ、ぬるい熱を分け合うような子供らしいもの。それは子猫が戯れつくようで、ひどく愛らしい。けれど何故だか、不安が募るのだ。薄く色づく唇が開く。なぁに。音のないその声を聞き届けて、そっと手を下ろした。
「オマエは、空蝉にはならないでくれよ」
衣だけを残して褥にいないなんて、そんなひどいことをしないでくれ。オマエがいない朝など、もう耐えられないのだ。
そう嘯いて目を閉じる。起きた時、どうかコイツも夢を見ていますように。
そして、現に戻った時。
オマエと笑えれば、穏やかな一日になるだろうから。
「・・・・・・そんなこと言うならワカくんも、若紫を見つけないでね」
夢の中に入った男を、ただ見つめる。揶揄のような言葉は懇願に近かった。女は静かに静かに男の手を取る。細いようで骨のしっかりとした男の人の手。眠っているからか女が握っているからか、じんわりと熱を持って伝わり、心に導いていく。この冷たくない手が、ずっとずっと私の手を握っていてくれれば良い。
そんな女々しいことを思いながら、その手の甲に口付けた。それは神への祈りのような神聖さを持っていた。
その口付けに込められた意味を、女だけが知っている。