姉は多分、この世界で一番うつくしい生き物だった。
長内信高の姉、長内麗央は本当の姉ではない。信高の産みの母が前の男と作った連れ子。つまりは異父姉弟だ。それを知った時はショックではあったものの「やっぱりな」と納得を持ってすとんと受け入れることができた。何せ、容姿があまりにも似ていないのである。信高は強面で世間で持て囃される美形とは対局にいるような顔立ちだった。転んだ子供を助け起こした時に激しく泣かれるくらいである。ちなみにめちゃくちゃショックでしばらく落ち込んだ。
対して麗央はどうしようもなく美しい人だった。白樺色の艶やかな長髪。白雪の柔らかな印象を抱かせるまろい肌。髪と同色の長い睫毛は瞬く度星が散るようで、光の加減で万華鏡のように輝く青紫の瞳はふと覗き込んだら戻ってこれなくなってしまうのではないかというくらいに蠱惑的。血というよりは薄紅色をしたぷるぷるの小さな唇。加えて日本人離れした彫りの深さは異国情緒を感じさせて、目元に紅を入れ唇にルージュでも引けば映えるだろうな、と思わせた。すらりと伸びた長身にしなやかな体躯はまるで野生のネコ科動物のようで、どこか高貴さすら感じさせる。容姿は白薔薇のように明るい絢爛さがあるのに、湖から男を引き摺り込むという水魔のような妖艶さがエキゾチックな美人へと仕立て上げていた。夢も醒めるような美貌。幼い頃からその美貌を見慣れている信高ですら時折ハッとするほどだ。
このように、信高と麗央は姉弟であるのに全く似ていない。異父、がつくから当たり前なのであるが、それを知らなかった幼い頃はそれはそれは気にしていた。
「お前と姉ちゃん似てねぇよな!」
子供というのは無邪気だ。無邪気ゆえに、その悪意ない一言で人を殺すこともある。きっとそこまで意味はなかったのだろう。ただ事実を言ったのみ。けれど幼かった信高の柔い心を傷つけるのには十分な一言であった。
全く似てもつかない姉弟。どれだけオレたちは家族だと声を張り上げても、周りはそうは思わない。子供はただ事実と周りの言葉を聞いて「お前貰われ子なんだろ?」「母さんたちが言ってた!お前ら家族はどこの親が産んだのかもわからないんだって!」「キタナイ!キタナイ!」とどんな影響を齎すのか知らず無遠慮に騒ぐ。大人たちは遠巻きに二人の顔を見て「あぁ、嫌だ」「どこかで拾ってきた子供なのよ」「変に色気付いた奥さんだものね」と冷たい目で好き勝手に囁く。
不幸だったのは、その噂が当たらずも遠からずだったことだ。ここまで自分の子供が言われているというのに、両親は自分たちに関心を持っていなかった。それどころか、お互いに浮気をし、相手を取っ替え引っ替えしては家に連れ込んでいる。バッティングしないのが奇跡なくらいだった。頭の中全てピンクの色狂い、そんな言葉が似合うような二人。どうして結婚したのだろうと不思議ではあるけれど、まぁ、あの人たちの考えることなどわかってたまるかと思うようにしている。
閑話休題、そんな両親だから、必然的に自分を育ててくれるのは姉だった。そして、大人たちの不躾な視線や子供の無慈悲な口撃を歯牙にも掛けず、怒りと不安で身を震わせる信高の手を引っ張ってくれたのもまた、姉の麗央だ。
「信高、いくよ」
そう囁いて小さな信高の手を、硝子細工のようだけれど決して冷たくない手で握り返してくれる存在は、麗央だけだったのだ。
麗央は、周囲からの誹謗中傷や両親の公然とした浮気にはあまり傷ついていないように見えた。ただその万華鏡のように光る瞳を極限まで無にして、眺めているだけ。それでも思うところはあるだろうにそれを周りへ向けることもせず、ただ一人で全てなんとかしてしまう。それがなんだかとても悲しくて仕方なかった。姉が美しいから人に疎まれるのだというのは分かっていた。姉のせいで、自分にも火の粉がかかっていることも。
けれど信高は知っている。
たくさんの誹謗中傷を受けても宗教画のように麗しく崩れない微笑みの中に潜む冷徹さを。時折思い出したように浮かべられるその微笑みは、どうしようもなく儚く綺麗で、そして薄っぺらい。その笑みを見た時思ったのだ。「ああ、麗央は全て諦めているのだな」と。苦悩を理解されようとも人に優しくされたいとも思っていないのだ。人間はこういうものなのだ、理由もないのに人とは違うから顔を真っ赤にして自分のことを糾弾し断罪しようとする。みずみずしい花開く前の果実を好き勝手に貪り食い、下品に啜り吸い付くし、そして干からびたガラクタになったら捨てるものなのだと。きっと人間に対して果てしない諦めがあって、それを乗り越えることも諦めている。そのことに気がついた時愕然とした。姉に、麗央に全てを諦めさせたのはきっと自分も同じだと。それが悔しくて、悲しくて。
だから怒鳴らずにはいられなかった。
「なんでそんな平気そうなんだよ!」
表情を消した姉は精巧に作られた大理石の彫刻のようで、少し怯んだ。けれど言わずにはいられなかった。だって、どうしようもなく姉のことが大切なのだ。どんなに火の粉が飛んでこようと関係なく、自分を育てようと心を砕いてくれる存在を嫌い疎むことができるほど、信高も腐ってはいない。それにまだ少女と言ってもいい年頃の麗人から理解を諦められているのは耐え難い気持ちにさせた。それだけじゃない。悔しい悔しい悔しい。姉のことを何も知らないくせに好き勝手囀る他人も、自分の欲にかまけて守ってくれない両親も、きっと誰より早く大人になってしまった姉に気づかなかった自分にも。嫌気がさした。言いがかりの様な嫌悪で全て壊してしまいたいと思うほど。
もうほとんど泣きながら想いをぶつけた。要領を得ない様な取り留めのない言葉だったろうが、何を思ったかぐしぐしと涙を拭う信高の顔を覗き込んだ姉は、ひょいと軽々持ち上げてその細い膝に乗せた。突如のことに固まる信高に姉はその青紫の瞳を伏せて花のような唇を開き聴いた。
「一体何が不安なんだい」
鈴を転がすように可憐な声は、思春期で子供扱いされることを恥ずかしいと思う歳に差し掛かる信高ですらなんでも答えたくなるほどの魔性を持っていた。美しいセイレーンがこちらに手招きしているような、そんな声。信高はこの声に弱かった。元々姉にはなんでも話す方であったので、その癖もあったのだが。ぐぅと唸りながら、小さくつぶやく。
「オレを外に追いやらないでよ。姉ちゃん」
たくさん言ったが、心に残るのはその寂寥感だけ。たった一人で全て消化してしまう姉の姿が、まるで自分だけ仲間外れにされているようで、寂しかった。それだけなのだ。
口にするとほんとに子供っぽい。恥ずかしくなって顔を赤らめると、姉は笑った。昔読み聞かせてもらった童話の白雪姫のようで、けれどそれよりも格段の愛らしさだった。白檀の髪が小さく解けるように揺れて、それすら美しい。その事実に何故か涙が溢れた。
「泣くのはおよし。腫れてしまうよ」
明日辛いのはお前なのだから。するすると耳朶に入り込んでくる声に首を振る。このまま、誤魔化されて有耶無耶にされるわけにはいかないと思った。この機を逃したら、きっと姉は何も言ってくれないだろうという確信があったからだ。自分より少し大きい猫のような印象を抱く体に抱きついて離さないように手を回す。しばらくそうしていると、姉は仕方ないようにため息を吐いた。
「信高、信高。可愛いお前。私の弟。お前がうんと真っ当に幸せになるまでは見守っていてやるから、そんなに泣くな」
「・・・・・・置いていかない?」
「もちろん。そんなことしたら私はクズになってしまうだろう?私を嫌な女にしないでおくれ」
華奢で白い腕がそっと抱きしめ返してくる。それがどんなに幸福なことなのか、あいつらは知らないんだ。そう思うとなんだかおかしくて、嬉しくて。謎の幸福感に包まれながらもしゃくりあげて頷き返した。
「、ん」
「大体、可愛いお前のことは家族だと思ってるけどね、アレのことはただ紙切れ一枚で繋がった他人だと思っているから」
「、ん?」
今、とんでもない言葉が聞こえたような。恐る恐る顔を上げると、比較的穏やかな顔をした姉の姿があった。けれど真冬の凍てついた海のような冷徹な光を持って、こちらを見ていた。
「正直、もう少し金を稼がせてから追い出そうと思っていたのだけれど。周囲に関しては嫌味に費やすほど人生長くないもの。だけどお前にそんな顔をさせるくらいならば、我慢なんてしなくてもいいかなぁ」
あれ、思ったより姉、強いのでは?頬を引き攣らせた信高に麗央は花のように笑う。無垢な少女が歌いだす前のような顔が、可愛らしいはずなのに、どうしてか恐ろしかった。
「アレはお前に悪影響だし、私もアレの交尾の跡を片付けるのはもう面倒だから。早めに駆除しておかないとね」
ぽんぽんと頭を撫でられて、姉は恐ろしいほど麗しい微笑みを深くした。ぞくりと背筋が粟立つ。姉ちゃん、と震える声で呼んだ。なにか、恐ろしいものを目覚めさせてしまったのでは?そんな不安に駆られた。
「安心おしよ。明日には全て終わらせるから」
あぁ、それなら、大丈夫なんだろう。
そう思った。冷たすぎていっそ優しい天女のような声が思考を鈍らせる。聞きたいことは山ほどあるが、結局この人がこの人であって自分を愛していてくれるのなら、信高はそれで構わない。
そう思うくらいには麗央のことが好きなのだ。
その後日、信高と麗央の両親は警察に捕まった。
罪状は自分の子供への精神的虐待、そして性的虐待未遂。信高と麗央はネグレクトを受けていた被害者として保護された。優しそうな婦警に「可哀想に、今まで辛かったでしょう」と慰められ、特に姉の震える姿を見た警察官はあらぬ想像をしたのか「子供にはなんの罪もないのに醜悪な」と両親に嫌悪感を露わにしていた。あまりにも美しい子供が小さな弟を庇いながらも半狂乱で涙ながらに「助けてください」と訴えれば、良識を持っている大人であればどんなことがあったのか想像がつく。幸運なことに自分たちの担当の警官たちは内心はどうあれ常識がある人間であったらしい。そのことにホッとすると同時に、今まで全くネグレクトで通報されるというのを行っていなかったのにこんな簡単にいくものなのかと驚きすら感じていた。信高が学校から家に帰ってきた時にはパトカーが家の前に留まっていて、何事かと目を白黒させている間に両親が連れていかれ、自分たちも取り調べを受けることになった。結局、自分たちは施設に預けられることにとんとん拍子で話が進んでいったのだ。まさか、本当にあの両親から離れられるとは思わなかったので本当に驚いた。姉ちゃん、どんな手を使ったんだろう。涙ぐみながらも正確に両親たちがさせていたことを説明する姉の顔は、張り詰めた美しさがあった。けれど毎日見ているその顔がどこか薄っぺらいものに見えて、演技してるのかなと密かに思う。流石に、そんなことを言うほど馬鹿ではなかったので余計なことは喋らず姉が同意を求めるときだけ頷くようにしていた。
「姉ちゃん、何したの?」
取り調べからの帰り道、たおやかな手を軽く引きながら聞いた時姉は何も言わなかった。ただ、柔い笑みを浮かべるだけ。
その表情は、美しく無垢な天使のようであり、また狡猾で淫靡な悪魔のようでもあった。
ベリアルの愛し仔