4
ロゼリアという女にとって、ポートガス・D・エースは大事な子供だ。
ロゼリアがロジャーとして生きていた頃、大切な女性との間にできた子供。恋だったかはわからない。ルージュと交わったのは、海賊王としての流れに沿っていただけかもしれない。ただ、それでもロジャーにとってルージュは大切な女性だった。気持ちの種類はともかくとして、ロジャーにとってもロゼリアにとっても、忘れられない宝物。
そして、その女性との間にできた子供であるエースに対しても、同じ思いを抱いていた。生まれてきてくれたことだけが祝福であり、望みであり、希望であった愛しい子供。そして、ロジャーを、そしてロゼリアを憎み赦すことはないであろう、悲劇の子供。
それでもロゼリアは、エースを愛している。例え彼からすれば今の自分は他人であったとしても。自分という存在は必要ないとしても。
だから、まあ。
街娘として生きると決めたロゼリアが、「海賊王の息子」の処刑という知らせを機に、表舞台に顔を出したのも、きっと必然のようなものだ。
海賊王の息子、火拳のエースの処刑に馳せ参じた者たちにより、彼は処刑台から解放された。しかし、海軍大将赤犬からの攻撃に弟であるモンキー・D・ルフィを守ろうとしたエース。誰もが間に合わぬとそれでも手を伸ばし、庇うように背中を見せたエースの背を赤犬の拳が貫こうとした瞬間。
「よーっす、邪魔するぜ」
そんな声と共に、赤犬は吹っ飛ばされていた。何が起こったのか、誰も理解することを拒んでいた。あの赤犬が、ただの剣の一振りによって後ろに吹っ飛ばされていったのである。
新手か、と身構えた海軍たちの鋭い視線も、海賊たちの戸惑いと警戒と殺意も全て受け流し、少女は堂々と笑った。光に照らされた、あまりにも神々しい姿だった。うーんと首を傾けて、深海よりも青みがかった黒髪がさらさら流れ落ち、真っ白な耳朶を晒していく。後ろで呆然と自分を見つめる姿があることもわかっていて、少女は呟いた。
「そんなに勇んでこいつを殺したいようだが、残念だな?こっから先は俺が相手だ」
そうして、少女は優雅に自分に向けられた視線に睨んだ。グッと、突如として空気の重さが増す。海の嵐の中のような荒々しさと、その中ですら逃げるために動くことを許さない威圧。並の海兵や海賊は倒れていく。どんな実力者であれ、ぐっと歯を噛み締めていなければ倒れ込みそうなほどの覇王色の覇気だった。空気を揺らし、ビリビリという音を立てているそれは不思議と、後ろにいる二人の兄弟にだけは当たっていなかった。まるで庇護するようなそれに、二人は小さく目を開く。
一人だ。たった一人。それも小さな少女の覇気に、誰もが倒れて、固唾を飲んで、その姿を睨んだ。きっとここにいる誰よりも強敵なのは、この少女であると倒れなかった誰もが実感していた。
彼女はこの瞬間、戦場を塗り替えて支配していた。そうあることが当然の王者のように。まるで当然であるかのように微笑むのだ。
「いったろ。こっから先は俺が相手だって」
あり得ない、と唸る者。
化け物だ、と恐れる者。
あれは誰なのだ、と訝しげに見る者。
この瞬間、誰もが少女を見ていた。ぴんと張り詰めた糸に操られたように、動くことすらままならぬ。しかし半ば意地で少女を攻撃する海兵をいなし、躱し、そして女には重いだろう大きな剣で攻撃を繰り出す。踊っていると見えなくもないそれ。おちょくられていると感じてもおかしくないのに、海兵は少女を捕らえることができない。
「ほら!何してる!」
「!」
「はやくいけ、ここは俺が食い止めてやるよ」
呆然とするエースの手を引いたルフィを見咎めたロゼリアは、それを後押しするように声をかけた。さっさと二人に行ってもらわねば、ロゼリアからすると全力で戦い辛いものがある。
「エース、早く行こう!」
「っあんた、何者なんだ!?なんで、」
「知らねーほうがいいこともあるんだぜ、ガキ」
本心だった。だってきっと、ロゼリアがロジャーだと知ったらこの子供は逃げないだろうから。
だから、ようやく会えた息子に言いたいこともやってやりたいことも山ほどあったけど。ロゼリアは口元の緩みをグッと堪えて、さっさといけ、と威厳のある声で促した。
彼らが逃げていくのを追いかける姿を見咎めて、蹴落としながら、ふと振り向いた。誰かに見られている気がした。誰かが、自分を見つけたような。
そんな荒唐無稽な気持ちは普段であれば探ろうとするだろうけど、今はどうでもよかった。ただ、自分の向こう側にいる子供たちを追わせるのだけはどうしても避けたくて、ロゼリアは笑っていってやるのだ。
「あいつらを追いかけたきゃまず俺にかかってこい!全員まとめて俺が相手してやる!」
俺を殺したいなら、それくらいして見せろよ海軍。
そう咆哮し、剣を振りかぶって攻撃を繰り出す姿に。
纏う覇気に。可愛らしい顔に似合わない苛烈で威圧のある荘厳な笑みに。荒々しい剣筋に。
「ロジャー船長・・・・・・?」
たとえ有り得ないと打ち消そうとしたとしても。
ずっと近くでその存在を見てきた者や、彼と戦ったものは、ただ一人の男を思い起こさずにはいられなかったのだ。
そのまさかという思いは、消えることなく。
ロゼリアは、自分がロジャーだとバレるとは思っていなかった。
何故なら、ロジャーという己が死んだのは十七年も昔の話。ロゼリアがロゼリアでもロジャーでもなかった頃の世界では「0世代」と呼ばれていた自分達。本来ならば現れるはずのない、出会うはずのないイレギュラー。それが自分。
だが、知ったことではないので、暴れ回った。力と覇気が未だにロゼリアとなってもついてきたのは行幸と言えよう。だからこそ力で押し通り、なんだかわからないがエースたちが助かったとわかった白ひげ海賊団は逃げていく。それを追おうとした海兵を弾き飛ばし、たった一人で戦場をかき乱す。
ふと、ロゼリアは自分に近づく影があることに気がついた。でかい覇気だな。そう思ってちら、と視線を向けて、ああ、と納得した。まあこいつは気づくか。
「ロジャーか」
その声に、「こいつに隠し通せるもんじゃねぇしな」と笑ってやる。ロゼリアは叫ぶように海を指差した。その先には白ひげ海賊団がエースたちを乗せて逃走の準備を始めている。エースを取り戻したかった彼らからすれば、目的は達成した。もうここにいる理由もないだろう。
「よ、ニューゲートォ!元気そうじゃねぇなお前もさっさと帰れや!」
あくどい笑みを浮かべたロゼリアに、白ひげは嘆息する。まさか、とは思った。しかし自分に対してこんな言い草をして、笑いながら戦う姿はあの日あの場所で見たロジャーそのものだった。ロジャーの戦い方を見ているものならば、すぐに関連がわかってしまうような。
「随分とちんまい姿になりやがったなお前」
「あ?なにー?ロゼリアちゃんに見惚れちゃったー?中身俺だけどな」
「寒気がするな」
「ひでぇ!・・・・・・それより早くいけよ、あそこで待ってる奴ら見えてねーの?」
「・・・・・・」
「お前はあいつらの、エースの親父なんだから、生きてなきゃだめだろ?ここは俺に任せて、もうちょっと生きてけよ」
そうして穏やかに笑ったロゼリアに、白ひげは小さく息を呑む。ロジャーにとって、息子が自分を憎んでいることも自分の息子ではないと言い張っていることも、当然だと思っているのだろう。茶化しながらも自分を逃そうとする姿は、今の少女としての姿と相まって、どこか悲壮なものを感じさせて落ちつかない。らしくねぇことを、と舌打ちしながらも、白ひげはロゼリアに背を向けた。
「ロジャー」
「あん?」
「・・・・・・借りはいつか必ず返す。だから、死ぬなよ」
「はっ、誰に言ってやがる。俺が死ぬかよ」
