* * *

 「お待たせ致しました、アイスティーとケーキセットになります。」
 注文したものが店員さんによってテーブルまで運ばれ、私はアイスティーを一口飲みながら心の中でため息をついた。

 あれから何故か家で勉強しようとしても一向に頭に入らず、ここのところは最寄り駅にあるカフェで勉強をすることにしている。家にいると嫌でも彼のことを思い出して泣いてしまう私がいるからだ。
 しかし相手はすでに大勢のファンがついた人気アイドルで、いくら私が泣いても届く距離にいない。

 試験勉強と課題で追い詰められて、目にクマが出来上がった私に「ナマエさん、寝不足?」と心配してくれる彼はもういないのだ。

 かといって無情にも時間は過ぎていくわけで、私は今も変わらずに課題と試験、そして就活に追われる毎日を送っている。正直、これと言って個性のない私がどこかの会社の内定を頂けるなんてこれっぽちも期待していないのだ。それでもやらなきゃいけない。大学院に進むつもりは、今のところない。

 考え事もほどほどにそろそろ集中しよう。
 そう思って私は教科書と資料に使えそうな本を数冊、テーブルに広げてからペンを手に取った。

 *

 「ありがとうございました。」

 日も沈み、レジを済ませた私は喫茶店を後にする。それなりに集中できたからか、溜まっていた課題はほとんどさっきの数時間で終わらせることができた。残りは欲しい資料が足りなかったため終わらせられなかったが、今度時間があるときにでも図書館に行けばいい。

 喫茶店を出てから賑やかな駅を通り過ぎる。明日は既に何枚目かすら分からない履歴書をまた書いて、午後は会社の説明会に参加しなくてはならない。1年や2年だった今頃が懐かしい。
 当時は少しでも時間があればバイトをして、土日は友達と遊んだり趣味に時間を費やしていたな。

 またもや肩をガックリと落としながら歩いてしまう。
 見えない就活への不安からか、それともただの疲れなのかもう分からない。

 それでも、また今日のような明日を迎えなきゃいけないんだと思うと、それは泣きそうなぐらいとても辛いものだった。

 「あの、逢坂壮五さんですよね?」
 突然、耳に入ってきた女の子の声に私は目を見開く。

 え?なんて?今誰の名前を言ったの?と少し離れた先にいる女の子たちが一人の男の子を相手に嬉しそうな顔をしながら囲んでいるのが分かった。男の子は帽子を被っていたが、離れた場所からでも整った容姿なのがよく分かる。

 「……逢坂くん。」

 思わずつぶやいた言葉。もちろんその声は誰の耳に届くこともなかったが、ぼんやりとその様子を見ていると、ふと彼と目が合ったのだ。
 女の子たちに囲まれて困ったようなそんな顔を浮かべていた彼だが、「ナマエさん」と口が動く。私の名前だ。
 けど彼は今の状況にまた意識を戻されたのか、「すみません、マネージャーが迎えに来たので…」と言ってこちらに駆け寄ってくる。

 マネージャー?と思わず振り返りそうになったが、逢坂くんは「お待たせしてすみません。」と話しかけてきた。ああ、そうか。ここのところは学校にいても直ぐに就活についての説明会があったりと慌ただしいため、スーツを身に着けているんだった。

 まだ女の子たちの視線を集めていたが、私も彼に合わせるように「タクシーで移動しましょう。」と言って直ぐ近くを通った空車のタクシーを捕まえてそのまま乗り込んだ。
 この間、わずか3分。
 このたった3分で私はずっと会いたいと思っていた相手と再会して、更には同じタクシーにまで乗っている。
 頭が追いつかないのが正直なところだった。

 *

 タクシーが着いたのは私が一人暮らししているマンションの前で、代金を払おうとしたら逢坂くんが当然のように支払いを済ませてから二人で降りた。閑静な住宅街にあるマンションのため、通行人が少ない。

 「あ…ごめんね、急にマネージャーだなんて嘘に付き合ってもらって…。」
 「ううん。あの……本当に逢坂くんだよね?」

 なんて失礼な質問をしているんだろう。そう思って慌てて訂正しようとしたが、逢坂くんは口元に手を当てながら上品に笑い、「そうだよ。」と答えた。

 「よかったら、上がっていく?」

 立ち話もなんだし、何よりもまた他の人に見つかると面倒なことになり兼ねないということで勢いに任せて彼を部屋に誘ってみた。逢坂くんは「いいの?」と一度確認してきて、私もそれに対して頷くと彼は「じゃあ、お言葉に甘えて」と二人でエレベーターに乗り込み、そのまま私が住んでいる部屋へと入った。

 適当に座って、と言ってから部屋のエアコンをつけ、冷蔵庫から冷えたお茶をグラスに注ぎいれてから彼のいるリビングへと向かう。座っていいと言ったのに立ったまま待っていた彼は本当になんというか、逢坂くんらしいと言っても良いのだろうか。

 それから二人でソファーに腰を落とすと、「ナマエさんは今日面接だったの?」と聞いてきた。

 「え?あ、スーツ着てるから?」
 「うん。」
 「ここのところは就活してるんだ。面接と説明会が続いてるし、それでスーツのまま大学に通ってる。」

 今日は面接なかったけどね、と少し苦笑いを浮かべながらそう答えると、逢坂くんはどこか寂しそうな声で「そっか」と答える。あまり大学の話をしないほうが良いかもしれない。そう思った私は「そういえば」と違う話を切り出すことにした。

 「逢坂くん、夢叶えたね。おめでとう。」

 心の底から出たお祝いの言葉だ。それを彼に伝えると、逢坂くんは少し驚いた顔を浮かべるも、直ぐに嬉しそうに目を細めて「ありがとう」と答える。久しぶりに直接見た彼の嬉しい顔に私も嬉しくなって笑みを浮かべた。

 「今日お仕事は?」
 「近くでロケしてたんだ。IDOLiSH7だけでなく、MEZZO"っていうユニットでも活動してるんだけど、そのもう一人の子が違う仕事が入ってたから僕は現地解散してね。」
 「あ、じゃあさっきは駅に向かう途中でファンの子に見つかっちゃったとか?」

 有名人は大変だな、そう思いながら少し彼に同情した。一般人の私が同情するなんて失礼に値するんだろうけど。
 私は自分でいれたお茶に手を伸ばして一口飲むと。

 「……駅で待っていたら、ナマエさんと会えるかもしれないって思ったんだ。」

 彼から出てきた言葉に思わず動きが止まってしまった。

暗涙