幸村と彼女と噂
幸村と彼女と噂
あれから名前に対するこの気持ちを考えてみた。
多分
恋
ではないと思う。
だって、一緒にお弁当を食べてみても名前にときめきとかないし、名前を思って切なくなったりとかもない。
むしろ一緒にいると楽しくて、なんだか落ち着く。
だから、これは恋ではないと思う。
俺にとって名前はただの好奇心の対象に過ぎないのだ。
だからあまり認めたくは無いけど、この感覚はお気に入りのオモチャを取られた小さな子供のような感じだと思う。
本当に認めたく無いけど、実際それっぽいから仕方がない。
そしてあの告白の翌日には、俺と名前が付き合っているっていう噂が流れていた、
なんだか面白かったし告白される回数が減ったから、丁度良いや、なんて思ってその噂をそのまま放置していたら、その噂に尾鰭がつき気付いた頃には、名前は生田と俺の2人と付き合っている性悪女。という事になっていた。
うん、噂って面白いよね。
だけど名前はそんな噂はどこ吹く風といった風で、相変わらずの様子で日常を送っている。
周りの女の子達からの突き刺すような視線にも平気な顔をしていて、なんて強い子なんだろうと感心した。
まあ、ただ単にその視線に気付いてなかっただけだったんだけどね。
名前は休憩時間の殆どを本を読んで過ごしているから仕方がないと言えばそれまでだけど、それにしたって鈍い。
そして、その噂はどうやらテニス部の仲間である柳達の耳にも入っていたらしく、今日の昼休みに俺、真田、柳、ジャッカル、仁王の5人で食堂で昼食を取っていた時に仁王が苗字名前とは誰か、と好奇心に溢れた目をして俺に尋ねた。
「どうして?」
と俺が訪ねれば、仁王は口に焼き肉定食を頬張りながら言った。
「お前さんも知っとるじゃろ。
生田と幸村で二股をかける苗字名前ちゅう名前の性悪女がおるっちゅう噂を耳にしたんじゃが、どんな奴か気になってのう」
仁王のその言葉に反応したジャッカルは危うく飲んでいたお茶を吹き出しそうになり、ジャッカルの正面にいた柳はさっと親子丼の入った丼を持ち上げていた。
「…ワリ。つか、苗字が性悪とか二股とかありえねぇだろ」
「ああ。苗字はそんな事が出来る程器用でもないしな。
と言うか、俺は幸村と付き合っているという噂は耳にしたが、生田と幸村の二股をかけているいると言う噂は初めて耳にしたぞ」
そう言ったのは柳で「で、どうなんだ実際」と興味有り気に聞いてきた。
真田は俺が大量に七味を入れたうどんを食べるのに一生懸命で、会話に加わるどころではないみたいだ。
さっきから妙な奇声を上げている。
「真田、五月蠅いよ。
ふふふ。
どう思う?柳達の想像に任せるよ」
俺がそう言えば柳とジャッカルは2人揃って「じゃあ、付き合ってないで」と言った。
「で、苗字名前はどんな奴なんじゃ」
そう仁王に言われて色々な名前が頭に浮かんだ。
ぼんやりした名前。
本を読む名前。
生田と話す名前。
お弁当を美味しそうに食べる名前。
面倒くさがりな名前。
絵を夢中になって書いている名前。
これだけ色々な名前の姿が浮かんだのに結局出てきた言葉は
「変な奴かな」
だった。
柳とジャッカルも同じことを考えていたみたいで、俺とほぼ同じタイミングで同じ事を言った。
それから昼食を取り終え、クラスが離れている仁王とジャッカルと別れた俺たちは、今年に入って来た切原赤也と言う名前の1年について話しながら教室に向かっていた。
少し短気な所が見られるが、他の1年達の群を抜く実力とあの負けん気の強さ、そして何よりも、興奮状態になると赤くなるあの目。なかなか面白い。
将来が楽しみな素材だ。
「分かったか」
そう声が聞こえて前を向けば、なぜか俺のクラスの出入り口の所に、さっきまで話題に上っていた赤也がいた。
「あれ?赤也?」
そう俺が声をかければ赤也は振り向き、その赤也の背中から覗くようにして名前が顔を出した。
赤也は真田を目にした途端に渋い顔になり、真田は名前に「久しぶりだな」と挨拶をしていた。
「お久しぶりです」
そう言って頭を下げた名前は俺と話しているよりも何だか親しげな様子で、なんだか面白くない。
真田を見れば心なしか顔が赤い。ちょっと気持ち悪いし、真田の名前へ対する気持ちが何となく分かってしまった。
それがなんだか余計に面白くない。
「ふぅん…。
で、赤也は何で俺の教室にいるの?俺に何か用事?」
「いや、俺が用事あるのは幸村部長じゃなくてコイツっすよ」
そう言って名前を指差した赤也は真田に「目上の者に指を指すな」と怒られていた。
「赤也が那智に話し?」
部活も一緒な訳でもない名前に赤也が一体何の用なんだろうか。そう思って俺が首を傾げれば、名前も一緒に首を傾げ、それがなんだか新鮮だった。
「何の話しだったの?」
と俺が尋ねれば、名前は視線をさまよわせ「えー…」と言って、また俺に視線を合わせた名前は誤魔化すような笑みを浮かべた。
「コイツ、やましい事があるから言えないんっすよ」
そう言ったのは赤也で、その顔はなぜか名前への嫌悪感を露わにしていた。
名前はと言えば、赤也の言葉の意味を上手く理解出来ていないのか、頭に疑問符を浮かべて赤也を見つめていた。
「何きょとんとした顔してるんだよ」
と名前にツッコミを入れた赤也には、後で目上の者に対する言葉の使い方みっちりを教えてやろう。
「苗字が赤也の話を聞き流していた確率95%だ」
柳はそう言うと楽しそうな笑みを浮かべ、名前に「どうだ?苗字」と尋ねた。
それに素早く反応した赤也が「聞き流してたのかよ」と多分今までで一番刺のある声で尋ねれば、名前はしどろもどろになりながら「あの、別に決して全部聞き流していたわけではなく、ただ切原さんの舌がよく回るので、感心していたら、その…ですね…」と自分でも墓穴を掘っていることに気付いているのだろう、言葉が尻すぼみになっていきながらそう答えた。
「100%だな」
柳はどこか満足気な声でそう言うと、俺をちらりと見て得意気に笑みを作った。
その顔はまるで、俺の方が名前を知っていると言われているみたいで、胸がまたモヤモヤした。
「それで?結局、赤也は名前に何のようだったの?」
その胸のモヤモヤを気にしないようにしてそう赤也に尋ねれば、赤也は「幸村部長と苗字名前って奴が付き合ってる噂、知ってるっすか?」と言った。
さっきまで話題にしていたのだから知らないはずもなく「うん、知ってるよ」と笑みを浮かべて答えれば、名前の眉間にシワが寄った。
「ああ、その話なら俺の耳にも入ってきているぞ」
そう言った柳は素早くノートを開き、何のデータを集めるつもりなのか準備万端だ。
その柳の隣では、真田が「け…けけけけしからん!」と鬱陶しいくらいにどもりながらそう言った。
「じゃあ、何で言ってやらないんっすか!
そんな噂を勝手に流されて迷惑してるって」
そう言った赤也は本当に悔しそうで、その様子を見てようやく赤也が名前に何を言いに来たのかが分かった。
つまり、まあ、自分で言うのも何だけど、俺達テニス部はモテる。そのテニス部のレギュラーともなれば尚更で、俺達と付き合いたいと言う女の子は後を絶たない。
少しでも俺達に近付こうと贈られる大量の差し入れ、部活中に飛び交う黄色い声援。
ありがた迷惑とは正にこのことで、最近ではファンクラブなんてものも出来たらしい。
そう言ったものを見ていた赤也は女の子に対しあまり良いイメージを持たなくなり、そんな時に耳にした俺と名前との噂。
俺としては告白の回数が減ってむしろ好都合なくらいだったのだけど、赤也には我慢のならないものだったみたいで、今日は名前に文句を言うためにわざわざ俺のクラスに来たらしい。
赤也の前を通り過ぎた名前がいつの間にか落としていた真田の財布を拾い上げた。
「幸村部長が駄目なら、今度は真田副部長ってわけですか?」
そう言った赤也を呆れた顔で見つめた名前は「私はただ真田さんのお財布を拾っただけです」と言って真田の財布をはたき、「どうぞ」と言って笑みを浮かべて差し出した。
真田の財布を両手で差し出すその名前の様子があまりにも名前らしくて自然と笑みが浮かんだ。
そして赤也の方に向き直った名前はため息を1つつくと「切原さんは何か勘違いしているようなので言っておきますが、私はそんなデメリットだらけの噂を流したりしません」と言った。
デメリット…かあ。
まあ、確かに俺と付き合っているなんて噂を流したところで名前にいいことなんてないだろうけど、それを本人を前にして言うなんて、名前もなかなか度胸がある。
…度胸とはちょっと違うかも知れない。
俺はそんな名前に苦笑いを浮かべるしかなく、赤也は「じゃあ、何でアンタと幸村部長が付き合ってるなんていう噂が流れてるんだよ」と名前を問い詰めていた。
それは4日前の出来事が原因で、その原因を作ったのは俺で、名前もそう思ったのか、説明しようと思ったのだろう、一度開いた口を閉じ、名前は俺をちらりと見たると「その辺りのことは幸村さんに聞いてださい」と言って自分の席に戻ってしまった。
本を開いて読み始めた名前に近づいた生田は何かを話しながら肩を揺らして笑い出した。
それを怪訝な顔で見る名前。
それを見てああ、まただ。と思った。
よく作られる、あの2人だけの空気。いつもは何とも思わないのに、今日はなぜだかその光景を目にして胸がまたもやもやした。
ふと視線を手前の方に戻すと、赤也が何か聞きたそうな顔で俺を見ていた。
説明するのは面倒だけど、名前が赤也に嫌われたままって言うのも何だか後味が悪い。
「…じゃあ、部活の始まる前に話すから、自分の教室に戻りなよ。授業が始まるだろ」
そう言って目をやった教室の時計は、後2分で午後の授業が始まる事を告げていた。
赤也は目を見開くと「分かったっす」と言って慌てた様子で教室に走って戻って行った。
「それじゃあまた部活で」
俺は真田と柳に手をふると、教室に入り、生田と名前の間に割り込みに行った。
そして約束通り、部活が始まる前に赤也に俺と名前の噂が流れた原因を簡単に説明した。
その説明を柳と真田と仁王が聞きに来たのは想定の範囲内だ。
いつもは遅れて部活に来るくせに、こう言うときにだけ早く来る仁王と赤也に嫌みを言うのも忘れない。
そして俺の話を聞き終わった柳が「矢張り付き合ってなかったな」と言って満足気な笑みを浮かべた。
その横っ面を殴ってやりたくなったのは内緒だ。
「なんじゃ、つまらんのう」
一体何を期待していたのか、仁王は興味を失ったようで、そう言うと部室を出て行った。
「お…俺。そうとは知らずに、あの人に酷い事言ってしまったっす」
赤也はそう言うと頭を抱えて「どうしよう」と呟いた。
あの赤也がここまで狼狽するくらいだ。よっぽど酷い事を言ったのだろう。
「謝りに行ったらいいんじゃないのかな?」
と俺が無責任に適当なアドバイスをすると赤也は「許してくれるっすかね」と今にも泣きそうな顔で俺に尋ねた。
赤也に散々言われた後も特に怒った様子のなかった名前だから、多分いつもの調子で許すのだろうけど、もう少し赤也には反省が必要だと思い「どうだろうね?」と俺が言えば、俺の後ろから「アイツ結構根に持つタイプだからなー」と生田の声がした。
その声に後ろを振り返れば、生田は悪戯な笑みを浮かべていて、また赤也の方に向き直れば、本当に今にも泣きそうな顔をしていた。
「…取りあえず、これから謝ってくるっす」
そう言って部室を飛び出した赤也に俺は「部活が始まるまでには戻れよ」と言い、生田は「アイツなら多分美術室にいると思うぞ」と2人同時に言った。
その俺達の声が赤也の耳にちゃんと入ったかどうかは定かじゃないが、多分聞こえていないだろうと言うことは容易に予想がついた。
取りあえず、俺は多分遅れてくるであろう赤也へのお仕置きメニューを考えるために、柳の所へ向かうことにした。