切原と彼女と名前
 
 
彼女と僕等の日常
切原と彼女と名前






苗字先輩の事件を目撃した次の日、俺がいつものように朝練が始まるギリギリの時間に学校に向かって走っていると、ジャージ姿の生田先輩が校門に寄りかかって立っているのが遠目から見えた。

テニス部のレギュラーの先輩達程ではないが、生田先輩もなかなかのイケメンだ。

その生田先輩が校門に寄りかかっている姿はなかなか様になっていて、加えて立海テニス部のからし色のジャージは矢張り嫌でも目立つ。

さっきから何人かの女子が、ちらちらと生田先輩を見ては顔を赤らめ、足早に生田先輩の前を通り過ぎて行っている。

もう既にジャージ姿である事から、遅刻をしたとか、そう言うわけではなさそうだ。

おまけに生田先輩は遅刻とかそういったものとはまったく無縁の人で、下手をすれば真田副部長並みの時間に学校に着くこともあるそうだ。

じゃあ、何で生田先輩はああして校門の前に立っているのだろうか?

俺がそう思っていると、生田先輩が俺に気づき「よう」と言って笑みを浮かべて手を振った。

「おはようございます」

俺がそう言って軽く頭を下げ、生田先輩の前を通り過ぎようとすると「まあ、そう急ぐなよ。俺お前にちょっと話があるんだ」と顔に良い笑顔を浮かべて言った生田先輩に肩をつかまれた。

「な、なんすか?俺、今遅刻しそうなんすけど」

正直、こんな色んな意味で良い笑みを浮かべる生田先輩には関わりたくないが、それをすっぱりと断る事が出来ないのは、体育会系の部活の上下関係の厳しさにある。

これがテニス部の先輩でなければ俺も一言で断る。
しかし生田先輩はテニス部の先輩で、真田副部長や柳先輩、部長とも仲が良い。

俺が断ったりすれば、生田先輩はそれに尾ひれをつけてあることない事を先輩達に吹き込むかも知れない。



 
 
それで結局、真田副部長や部長に怒られて、真田副部長からは目上の者は敬うべきだとか、そもそも俺は礼儀を知らないだとか、そんな感じの事を延々と聞かされ、部長には地獄の特訓を味わうことになる。

たが、それは遅刻をしても同じで、そうならないために、今俺はこうして生田先輩を引きずりながら必死になって歩いている。

「重いっすよ生田先輩。可愛い後輩が遅刻して鬼の餌食になってもいいんすか?」

「ぶはっ!鬼ってお前!」

「だいたい、話しってなんなんすっか?
朝練の時じゃあ駄目なんっすか?」

「ん?ああ、まあ、そうだな。
昨日の放課後事なんだけどさ、他の奴等に言うなよ。
勿論、真田や幸村や柳や柳生、仁王や丸井やジャッカルにもだ。誰にも言うな」

「は?」

思わず歩みが止まる。

生田先輩の言う、昨日の放課後の事とは、昨日、苗字さんが他の女子達から一方的に責め立てられていた事だろう。

苗字さんのせいで自分が振られたとか、苗字さんが目障りだとか、その女子達の言い分はあまりにも理不尽で、聞いていて胸が悪くなるようなものだった。

しかもその原因を作ったのは先輩達らしいのだ。

それを先輩達を含む他の奴等に言うなとは、一体どういう事だろうか。

少なくとも、それを先輩達に言えばもう昨日みたいな事はなくなるだろうし、もしまた昨日みたいな事が起こっても、先輩達なら何かしら対策が立てられるはずだ。

なのに生田先輩はそれを言うなと言う。

苗字さんは生田先輩の大切な友達じゃなかったのか。

それとも、今まで苗字さんと仲良くしていたのはただの興味本位で、今回のことは、苗字さんがどうするのか見て楽しむつもりでいるんだろうか?

最低だ。

「どういうことっすか?」

そう思うと、そうたずねた自分の声が自然とトゲを含んだものになった。


 
 
「まあ、そう怒るなって」

そう言って笑みを浮かべた生田先輩に腹が立った。

肩にかかっていた生田先輩の腕を振り払い、言い返そうとすると「名前が誰にも言うなって言ったんだよ」と言った。

少し投げやりにそう言った生田先輩の表情は何故か穏やかで、クシャリと顔を歪めて困ったように笑った生田先輩になぜか悔しいという感情が沸き起こった。

「……苗字さんが?
何で?」

「まあ、あいつもあれで色々考えてるんだろ。
理由を聞いてもはぐらかして答えてくれねえけど、まぁ、だいたいの予測はつくし。
自分で考えろ」

「……えっ、で、結局理由は教えてくれないんすか?」

慌ててそう言った俺に生田先輩は「だから自分で考えろって」と言った。

駄目だ。
生田先輩の中で勝手に自己完結している上に、もう面倒臭くなったのか既に教えてくれそうな気配はない。

「ちょっ、生田先輩はそれで納得できるかもしんねえっすけど、俺は納得出来ないっすよ」

言いたい事を言って満足したのか、離れようとする生田先輩なおも食い下がりそう言うと、生田先輩は「気になるんなら本人に聞けよ」と言って俺の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でてた。

「止めてくださいよ。
これでもけっこうセットとか大変なんすから」

「朝練、遅刻すんなよ」

俺の話しを聞いていたのかいなかったのか、生田先輩はそう言うと俺の頭をまたぐしゃぐしゃと撫でてテニスコートに走って行った。

「……ったく、止めろって言ったのに」

髪を整えながらそう呟くと、まるでタイミングを見計らったかのように校舎からチャイムの音が鳴り響いた。

「…やっべえっ!」

朝練がなくてまだのんびり歩いている他の奴らを尻目に、俺は急いで部室へ走って行った。

地獄の特訓お仕置きコースだけはなんとか免れたい。



 
 
結局遅刻した俺は、朝から真田副部長のビンタと小言を喰らい、幸村部長からは腹筋と背筋、スクワットと腕立て伏せを全て100回ずつとグラウンド50周を命じられた。

こんなことになった原因である生田先輩にじっとりとした視線を送れば「いくら俺が良い男だからってそんなに見つめるなよ。」とニヤニヤしながら言われた。

思わず顔を赤くして違うと言えば、それを聞いていた丸井先輩と仁王先輩に散々からかわれ、挙げ句それを見ていた幸村部長に「そんなに騒ぐ元気があるなんて随分余裕だね」と言われ、グラウンド50周を校舎50周に変えられ、両足に1キロずつパワアンクルを着けた状態で走らされるハメになってしましたのだ。

朝からこんな目にあった俺のHPは心身共にもう0だ。

結局ラケットすら握らせてくれなかったし、むしろマイナスだ。

なんとか朝礼には間に合い、遅刻だけは免れたものの、机に突っ伏した状態でぐったりしていて先生の話しなんか全然聞いていなかった。

そんな俺に藤野がケタケタと笑いながら話しかけて来るものだから、腹立ち紛れに無視を決めこみ、そっぽをむけば藤野は俺の頭をチョップしてきた。

「いってっ!何するんだよ」

痛む頭を抑えながら体を起こしそう言えば、「切原のくせに俺を無視するからだ」と何とも理不尽な答えが返ってきた。

俺、なんでこんな奴と友達になったんだろう。

ふてくされてまた机に突っ伏しかけたとき、ふと苗字さんの顔が頭をよぎり「そう言えば!」と言って上体をガバリと起こした。

「なんだいきなりだな」

驚いた様子の藤野を無視し、他の奴らに聞こえないように小さな声で「あのさ、今朝生田先輩に昨日の苗字さんのことを誰にも言うなって言われたんだけど、藤野も苗字さんに何か言われたのか?」と俺が聞けば、藤野はあっさりと「ああ、言われたけど?」と言った。




 
 
おかしい。

藤野は苗字さんが好きだ。

それは恋とかそう言うのとは別の、苗字さんを純粋に憧れ慕う気持ちからくる好きの気持ちで、それはどこか信仰に近いものを感じる。

その苗字さんが昨日理不尽なことを言われていじめにあっていたというのに、藤野はなんでこんなにも冷静で、淡白でいられるんだろうか。

いくら苗字さんに言うなと言われたからとは言え、気にくわなかったり、筋が通らないと思った事があれば、たとえ先輩だろうが先生だろうがお構いなしに正面から文句を言うような奴だ。

その藤野が文句の1つも言わずにこんなにおとなしくしているなんて有り得ない。

「……お前、それでいいのか?」

やっぱりおかしい。

そう思って俺が藤野に尋ねれば、藤野はにっこりと笑みを浮かべ「だって、大人しく黙ってれば苗字先輩が今描いてる絵を俺にくれるって言ったんだ」と言った。

そう言った藤野の笑顔のなんと無邪気なことか。

て言うか……

「物に釣られんじゃねーよ!」

思わず声を荒げツッコんでしまい、その一瞬、教室のざわめきが止み、教室にいる他の奴らが俺達に注目するの分かった。

しかし直ぐに俺達への興味を失い、また元のように話し始め、教室にはいつもの話し声のざわめきで満たされた。

俺は誰も俺達の会話を聞いてないのを確認してから藤野に向き直ると、なぜか藤野はきょとんとした表情で、何言ってんだコイツという目をして俺を見ていた。

え、何その目。
俺、何か間違ったこと言ったけ?

あれ?なんて俺が思っている間に藤野はフッと俺を馬鹿にしたような笑みを浮かべ「まさか」と言った。

「苗字先輩は苗字先輩の考えがあってのことだし、てか、言うなって言った理由が苗字先輩先輩らしくて笑えるっていうか」

藤野はそう言ってクスリと笑った。



 
 
理由って何だ?

と思うと同時に、1つの疑問がおれの頭に浮かんだ。

昨日の出来事の後、苗字さんは俺達を置いて帰ってしまい、部活が休みだった俺と藤野は苗字さんに遅れて家路についた。

俺と藤野は途中まで帰り道が同じため、藤野と一緒に帰ったのだがその間苗字さんに出会うなんてことは勿論なかった。

じゃあ、藤野と苗字さんはいつその話しをしたのか。

「なあ、お前さ、いつ苗字さんとそんな話ししたんだ?」

俺がそう訪ねれば、藤野はまたきょとんとした表情で、さも当たり前といったふうに「メールだけど?」と言った。

「え?なに?もしかしてお前苗字先輩のアドレス教えてもらってねぇの?」

え?メール?アドレス?苗字さんの?なにそれーチョー初耳ー。
とか思っている間に藤野はポケットから携帯を取り出し、素早く操作するとずいっと携帯のディスプレイを俺の方に向けて来た。

その向けられた携帯のディスプレイには確かに『苗字先輩』と表示されていて、その下に続く数字とアルファベットは恐らく、考えるまでもなく苗字さんの携帯番号とメールアドレスなのだろう。

ふと、藤野の顔を見れば、どうだ羨ましいだろうと言わんばかりのにやけ顔をしていた。

「……苗字さんと仲良いんだな」

「まあ、同じ部活だしな」

藤野はそう言いながら携帯をポケットにしまった。

その行動からどうやら俺にアドレスを教える気が無いことがうかがえた。

「ちょっと、苗字さんのところに行ってくる」

俺がそう言って席を立つと、藤野は驚いた表情で「は?」と言い椅子に座ったままの状態で俺を見上げた。

教室にある時計を見ればあと5分もしない内に1時間目の授業が始まる。

「1時間目休むから」

どうせ遅れるんだし、とやや捨て鉢な気持ちになって藤野にそう言い捨てると俺は教室を出た。

 
 
そして息を切らせながら2年の教室のある階まで来たとき、ちょうどトイレから出てきたところらしく、ハンカチで手を拭きながら歩く苗字さんと鉢合わせした。

「あれ?切原さん」

苗字さんはそう言って一瞬驚いた様子を見せると「どうしたんですか?もうすぐ授業が始まりますが幸村さんに何か急ぎ用事ですか?呼んで来ましょうか?」と言ってのんびりとした動作で自分の教室に向かって歩き出した。

「ち……違います!」

俺が慌てて苗字さんの腕を掴みそう言うと、苗字さんは一瞬考える素振りを見せ「あ、じゃあ生田さんですか?」と言った。

「だ…たがら違うんっス。
俺が用があるのは苗字さんなんです」

「……はあ、何でしょうか?」

苗字さんはそう言うと、恐らく時間を確認するためだろう、反射的に腕時計をしている方の腕を引こうとした。

だけどその腕は今俺が掴んでいて、苗字さんの動きは一瞬止まったが、とくに表情を変えることもなく、一瞬腕時計に送った視線を俺に戻すと「長くなりそうな話しですか?」と聞いてきた。

「はい。
ここじゃあ、ちょっとアレなんで、屋上に行きませんか?」

自分の腕時計を見れば、授業がもう直ぐ始まりそうだったが、もう1時間目の授業をサボる気だった俺は、そのまま苗字さんの返事を待たずに腕を引いて、取りあえず歩き出した。

かわいい物とか格好良い物とかあんまり可愛くない物とか、取りあえずそういった雑貨が好きな苗字さんは、いちいち持ち物にどうでもいいこだわりを見せる。

その苗字さんが選んだにしては少し地味で、良い方に言い換えればシンプルで、実用性を重視したようなその腕時計は今、腕を掴んでいる俺の手の内側にある。

その時計が俺の手の汗で湿ってきたのを感じて、なぜだか少し恥ずかしくなった。



 
 
苗字さんの腕を掴んだまま、どんどん歩いてどんどん階段を上って行った。

途中授業の始まる合図のチャイムが聞こえて、そう言えば授業をサボるのは今日が初めてだと思った。

屋上につながる扉がある踊場まで着き、ふと後ろを振り返れば苗字さんがゼーゼーと息を切らせていた。

別にそんなに早いペースで階段を上っているつもりはなかったが、あまり運動をしない根っからのインドア派の苗字さんにはちょっと早すぎたらしい。

「大丈夫っすか?」

「……は、はい…なんとか…ゲホッ」

「……もっと運動した方がいいっすよ」

俺がそう言うと苗字さんはなんとも嫌そうな顔をして「一応毎日歩いてるんですけどね」と言った。

「へぇ、学校が終わった後とかにウォーキングとかしてるんっすか?以外っす」

毎日ウォーキングをしているのかと思い感心しながらそう聞けば、「いえ、通学でです」とそんな返事が返ってきた。

「ところで、私に話しと言うのは?」

「あ、そうだった昨日のこと。藤野に先輩達に言うなって言ったらしいっすけどなんでっすか?」

昨日のことなんてなにもなかったかのように接してくる 苗字さんにうっかりいつもの調子になってしまい、用件を忘れるところだった。

「昨日のことはどう考えたって先輩達に原因があるわけだから、次にあんなことが起こらないようにするためにも、先輩達に伝えるべきだと俺思うっす。なのに 苗字さんは生田先輩や藤野に言わないようにさせているっていうじゃないっすか。
俺 苗字さんがなに考えてるかわかんねぇっす」

苗字さんと向き合う形になり、もう片方の腕もつかみそう疑問をぶつければ「ああ、それは。えっと……」と何かを考え出した。
そんな様子の 苗字さんに一歩近づけば 苗字さんは驚いたのかのけぞりながら「切原さん?」と不思議そうに俺を見た。


「あと、えっとっすね……もし、俺にも昨日のこと黙ってろって言うんなら、お、俺のことを名前で呼んでほしいんっす」

妙にドキドして汗ばむ手に力を込めれば苗字さんは「いつも名前で呼んでいると思いますが?」と不思議そうな顔でいってきたがそうじゃない。

「そうじゃなくてっ!し……下の名前で呼んでほしいんっす。赤也って。ほら、いつまでも名字で呼ばれてるとタニンギョウギな感じがす……る……し…。こんなことでもないと 苗字さんは俺の下の名前呼んでくれそうになさそうだし……交換条件っす! 」

「他人行儀と交換条件なんて言葉知ってたんですね。切原さん」

妙なところに関心して苗字さんが凄いですねと褒めてくれたけど、今俺が言いたいのはそこじゃない。

「いや、そうじゃなくて……俺の話聞いてたっすか?」

「ああ、下の名前で呼んでほしいっていう話ですよね。お断りさせていただきますので、他の条件でお願いします」

「な……んで………」

今まで面倒そうな顔をしながらも何だかんだとたのみを聞いてくれていた苗字さんからの初めての拒絶に、一瞬目の前が真っ暗になる。これ以上は踏み込んでくるなとはっきりと線を引かれた様な気がした。

ぺこりと頭を下げた 苗字さんの手首を握る手にさらに力がこもる。 苗字さんの体がびくりと一瞬震えて、不思議そうに俺の顔をうかがってきた。

「切原さん?」

「おれ、 苗字さんに嫌われる様なことしたっすかね? そりゃ、わがまま言ったり、ときどきイタズラしたり、最初なんて俺の勘違いで酷いこといっぱい言ったりしたっすけど……でも」

あ、俺 苗字さんに嫌われる様なことしかしてない。

そう思った途端に目頭が熱くなってきて、予想外の自分のメンタルの弱さに悔しくなって、何とか涙がこぼれないように眉間に力を入れて制服の袖でぐいっと涙を拭った。

「いや、切原さんを嫌いだとかそう意味で断った訳ではなくてですね」

俺が泣きそうな雰囲気を察したらしい 苗字さんが慌ててそういってきた。
じゃあ、いったい何でだと視線だけで訴えてみれば、 苗字さんは困った様な顔をした後にうーんと考え出した。

苗字さんの顔をじっと見つめて、説明してくれるまでこの手首は放さないと無言で訴えてみる。声を出せばまた涙が溢れそうな予感がしてそんなことをしてみれば、苗字さんが諦めたように息をはいた。

「……んーー…これはさっきの切原さんの疑問に少しお答えする形にちにもなるんですけどね。
私の一方的な都合の話なんです。
テニス部の皆さんは女生徒達からそれはもうおモテになっています。ファンクラブまで出来て、新しい宗教でも作れそうなくらいテニス部の皆さんはとてもおモテになっています。
陰でこっそり慕っている方もいれば、それを隠さない方もいらしゃるわけで、その中には勿論頭がおか……積極的に彼等と関わっていこうと頑張っている方々もいらっしゃいます。
そんな方々にテニス部の方々を馴れ馴れしくも下の名前で呼んでいることがばれたら袋叩き……多分昨日のことなんて序の口だったと思ったほうが良いくらい、酷い目に私はあわせられます。
私だって我が身が可愛いので、あえて自らそんな自殺をするに等しい行為は避けて通りたいと思ってて、何よりもそんな面倒な展開……私は平和に学園生活を送りたいと思っていてですね、つまりは、私の一身上の都合によりお断りさせていただいたまでであって、切原さんが嫌いだとかそう言う意味で言った訳ではないんです。
それにほら、昨日は別に何かされたわけでもありませんし。もし彼女達が柳さんや仁王さん達と友達になろうとしてるのなら、その邪魔はしたくありませんから。」

ちょいちょいこぼれる苗字さんの本音にああ、苗字さんらしいなと思いながらもやっぱり納得出来ない俺がいて、苗字さんが言ったことがもし本当に起こる可能性があるなら、幸村部長に言えば、鳥の一声ですぐに収まるんじゃないのかと思って、でも、もしそんなことが起こる可能性があるんなら、幸村部長を頼ったらいいじゃないっすか?と言えば 苗字さんは困ったように笑った。

「幸村さんはテニスのことだけ考えてればいいんですよ。私の事なんて忘れるくらいテニスに夢中になって、それで誰にも負けないくらいどんどん強くなっていってくれればいいんです。切原さんだって、私に構ってられないくらいテニスに夢中になってください」

「それで、幸村さんをぼこぼこに負かせてください。私がいつも幸村さんにいじめられてるぶんも」

そう言って笑った苗字さんにつられるように笑うと目尻に残っていた涙がポロリとこぼれた。





「幸村部長を越えるのは俺の目標っす。そんなの 名前さんに言われるまでもないっすよ 」

ぼこぼこにできるかどうかは別として。

そんなことを思いながらさらりと“名前さん”と言ってみれば、さらりと流されて「応援してます」と言われた。どうやら自分の下の名前を呼ばれることに対して抵抗はないらしいと判断して、これからは“ 名前 さん”と呼ぼうと心に決めた。

「あ、じゃあ、名前で呼んでもらうのは諦めるんで、 名前さんの携帯の番号とアドレス教えてくださいっす。藤野だけずりーっす 」

「すみません。携帯教室です」

「買っていただいたばっかりでまだ番号もアドレスも覚えてないんですよねー」と言った 名前さんに、そうだったこういう人だったと思って肩を落とした後、自分のアドレスと番号を生徒手帳のノートになっているページに書き写してそのページを破ると名前さんに渡した。

「じゃあ、これ渡しておくんで後でメールください」

「覚えてたらしますね」

紙を受け取って生徒手帳に挟みながらそう言った 名前 さんに「絶対に覚えててくださいっす」と釘をさしておいたら、部活終わりの放課後になってようやく『覚えてましたよ』という絵文字も顔文字もない素っ気ない文章と共に 名前さんの名前と番号が書いてあるメールが届いた。

嬉しさで携帯の画面を見ながらにやにやしていると、横からやって来た仁王先輩に携帯を奪われ、携帯画面を見た仁王先輩が悪い顔の笑顔を浮かべると、あっという間に名前さんのアドレスと番号が先輩のテニス部レギュラー達に回されていった。

俺はその様子を呆然と眺めながら、名前さんの言う平和な学園生活は無理なんじゃないかとおもった。





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