彼女と切原と噂
彼女と切原と噂
あの幸村さん事件から4日程経った。
机に落書きをされることも上履きを隠されることも、ましてやお呼びだしされるなんてこともなく、私は平和な学園生活を送っている。
唯一変わった事と言えば、幸村さんが時々一緒にお弁当を食べようと言ってくるくらいだ。
来る者拒まず去る者追わずな私と生田さんは特に断ることもせずに一緒にお昼ご飯を食べているのだが、時々幸村さんに私のお弁当の卵焼きを奪われると言う、なんとも痛ましい事件に見回れる。
「それ、俺に頂戴」
そう言った次の瞬間にはもう私の玉子焼きは幸村さんの箸に挟まれ、口に入れられている。
それがどれを指しているのか私が理解する前に奪われるものだから、私が「どうぞ」と言う頃にはもう幸村さんは玉子焼きを美味しそうに食べていて、代わりにと言わんばかりになぜかいつも決まって幸村さんは私のお弁当箱にミニトマトを入れてくれる。
別にトマトは嫌いではないので良いのだが、こういう幸村さんに玉子焼きを奪われる日に限って玉子焼きが上手く出来た日だったりするものだから、自分で食べれないのがちょっと残念だ。
そして今日は、そんな幸村さんもいないのでいつもの様に平和に楽しく生田さんとお弁当を食べていた。
幸村さんは今日はテニス部の中の良い人達と一緒に食堂で食べるのだそうだ。
何だか廊下の方が騒がしいなあ、なんて思ってそっちの方へ目を向ければ、教室の出入り口の所についこの間生田さんと幸村さんから話を聞いた1年生がいた。
そう、彼の名前は切原赤也。
私の薄ぼんやりとした記憶より随分と幼く、髪もあまりもじゃもじゃしていない彼は教室をキョロキョロと見回していた。
「生田さん。噂の1年生が来てますよ」
私が生田さんにそう言うと、生田さんはちらりと切原さんの方を見て「ああ、本当だ。何の用事だろうな?ちょっと行ってくる」と言って椅子から立ち上がり切原さんの方へ歩いて行った。
私はと言えば、特に興味もなかったのでさっきまで話題にしていた本をパラパラと捲り眺めてることにした。
「名前」
突然名前を呼ばれ、条件反射で「はい」と言って顔を上げれば、生田さんと目が合い、次になぜか切原さんと目が合った。
生田さんに手招きをされ2人の所にむかえば、切原さんはなぜか大変お怒りのご様子で私を鋭い目つきで睨んでいる。
何か彼に睨まれる様なことをしただろうかと考えてみたが、私と切原さんは今日が初対面のため、こんなに睨まれる覚えがない。
「何か私に用事ですか?」
切原さんに何かしただろうかと相変わらず考えながら、私を呼んだ生田さんにそう問えば、「用があるのは俺じゃなくてこっち」と生田さんは言って、相変わらず私を睨んでいる切原さんを顎で指した。
「アンタが苗字名前?」
「ああ、はい」
私がそう答えると、切原さんが今度は値踏みするような目で私をジロジロ見てきた。
「…ハッ。アンタも身の程を知れよ」
突然そう言った切原さん。
身の程?なんのことだろう?
頭に疑問符を浮かべつつも切原さんが“身の程”という日本語を知っていたことに驚いていると、噂がどうとか私の様な人間がいるから自分達が迷惑をするんだとか、何だかよく分からない事をベラベラと喋り始めた。
それにしてもよくこんなに舌が回るもんだ。
私なら絶対に噛む。
そんな事を考えていると切原さんが「分かったか」と言ってきた。
…何をだろう?
そう思ったのは言うまでもなく、切原さんの話を聞き流して全く別の事を考えていた私は、切原さんが何の話をしていたのかさっぱり分からないでいた。
しかし、ここで「何がですか?」なんて言うほど私は空気の読めない人間ではない。
ここでそんな事を言ってしまえば、面倒なことになるのなんて目に見えているので、適当に話を合わせようと分かりましたと返事をしようとすれば「あれ?赤也?」と最近耳に馴染んだ声が聞こえた。
そこで開いた口を閉じ、振り向いた切原さんの体から覗くように顔を出せば、廊下に幸村さんと真田さんと柳さんがいた。
3人揃うと圧巻だ。
最早10代に見えなくなった彼等を見てそう思った。
「げっ!真田副部長…」
そう呟いた切原さんに気付いたのかそうでないのか、真田さんは私に「久しぶりだな」と声をかけてきた。
そう言われてみればそんな気もしたので「お久しぶりです」と言って頭を下げれば、切原さんが眉間に皺を寄せて私と真田さんを交互に見比べてきた。
一体何だと言うのだろう?
幸村さんは私と真田さんをきょとんとした顔で見比べ「ふぅん…」と言い、次に切原さんに視線を移し「で、赤也は何で俺の教室にいるの?俺に何か用事?」と訪ねた。
「いや、俺が用事あるのは幸村部長じゃなくてコイツっすよ」
そう言って私を指差した切原さんは真田さんに「目上の者に指を指すな」と言って怒られていた。
「赤也が名前に話し?」
そう言って首を傾げた幸村さんは酷く愛らしく、似合わないと分かりつつも、私も幸村さんに釣られるようにして首を傾げた。
「何の話しだったの?」
そのままの流れなのかどうか知らないが切原さんにではなく、私に話をふってきた幸村さん。
すみません。聞き流していたのでよく分かりません。
なんて切原さんの目の前で言えるはずもなく「えー…」と言って切原さんが何を話していたのか必死に思い出そうとしていると、間に割って入った切原さんが「コイツ、やましい事があるから言えないんっすよ」と言った。
やましい事など何もない私はただ彼を見つめているしかなく、切原さんに「何きょとんとした顔してるんだよ」と突っ込まれた。
「苗字が赤也の話を聞き流していた確率95%だ」
そう言って口の角を釣り上げで笑った柳さんは私に「どうだ?苗字」と聞いてきた。
柳さんったらなんて余計な事を!
というか、私に聞かないでいただきたい。
いつもは確率を出したら自己完結して終わるくせに、なぜ今回は私に意見を求めて来るのだろか。
そんなの決まっている。
見てほしい。柳さんのこの楽しそうな顔を。
これは確実に私を苛めて楽しんでいるに違いない。
そして切原さんからは「聞き流してたのかよ」とさっきよりも若干鋭くなった目つきで睨まれた。
「あの、別に決して全部聞き流していたわけではなく、ただ切原さんの舌がよく回るので、感心していたら、その…ですね…」
ああ駄目だ。
喋れば喋るほどに自ら墓穴を掘っていく私の声は尻すぼみになっていき、「100%だな」と言った柳さんの妙に満足感に溢れた声にちょっとイラっとした。
「それで?結局、赤也は名前に何のようだったの?」
「幸村部長と苗字名前って奴が付き合ってる噂、知ってるっすか?」
私と幸村さんが?
いや、有り得ないだろう。
私がそう思ったのもつかの間、幸村さんが爽やかな笑顔を浮かべて「うん、知ってるよ」と言った。
「ああ、その話なら俺の耳にも入ってきているぞ」
そう言ったのは柳さんで、何をメモするつもりなのかノートを開いてものを書く準備を始めた。
物凄くどもりながら「けしからん」と言った真田さんは、手に持っていた財布をぼとりと地面に落としてしまった。
「じゃあ、何で言ってやらないんっすか!そんな噂を勝手に流されて迷惑してるって」
迷惑なのは私の方なのだが、それをこの子が理解出来るとも思えず、かと言って理解してもらおうとも思わないので、誰も拾おうとしない真田さんの財布を拾い上げれば「幸村部長が駄目なら、今度は真田副部長ってわけですか?」と切原さんに言われた。
切原さんが私の行動を見て、何をどう思ってその発言に至ったのか分からないが、とりあえず更に面倒なことになったのは言うまでもない。
「私はただ真田さんのお財布を拾っただけです」
少し埃の付いた真田さんのお財布をはたき、真田さんに「どうぞ」と言って手渡し切原さんの方に向き直れば、やはり睨んでくる切原さんと目が合った。
ああ、本当に面倒臭い。
「切原さんは何か勘違いしているようなので言っておきますが、私はそんなデメリットだらけの噂を流したりしません」
そんな噂を流せばファンクラブの方々に何をされるかなんて明白で、とにかく平穏無事に学園生活を送りたい私には、テニス部とのゴシップをでっち上げたところでデメリットしか見当たらない。
「じゃあ、何でアンタと幸村部長が付き合ってるなんていう噂が流れてるんだよ」
そう切原さんに問われて瞬時に頭に浮かんだのは、4日程前に起こった幸村さん事件。
多分、いや、きっと。
この噂はあの事件のせいだ。
やはり、それをわざわざ彼に説明するのも面倒で「その辺りのことは幸村さんに聞いてださい」そう言って後処理を全て幸村さんに押し付け、私は自分の席に戻り読書に励むことにした。
しばらくすると生田さんが前の席に座り「お前ってさ、結構言うよな」と肩を揺らしながらそう言った。
「何がですか?」
「いや、気付いてないんならいい」
そう言うと生田さんは更に肩を揺らして笑いだした。